花は枯れ、新たに芽吹く
坂餅
花は枯れ、新たに芽吹く
生徒会選挙は毎年五月から六月にかけて行われており、当選者は七月に前期の生徒会役員との引き継ぎを終えて、二学期から活動を開始する。
そして今日から二学期だ。もう、生徒会長という肩書ではなくなった。
「やっほ、会長」
もう会長では無いのだが、ついいつもの癖で反応してしまう。
会長と呼ばれた女子生徒――
「また君か、
春野
「相変わらずクールカイチョーだね」
「クールジャパンみたいに言わないでくれ」
抱きつこうとしてくる鏡花を躱しながら陽菜が言う。
元々、鏡花は他人との距離が近すぎるきらいがあった。陽菜がそれを再三注意してきた結果、陽菜にだけ距離が近くなってしまった。
それは恐らく、以前、私の目の届かない場所でそういったことはやってくれるな、と言ったからだろう。だからといって、私だけにそうしろ、とは言っていない。
「相変わらず君は距離が近いな」
「だって、会長に目を付けられてたらセンセー達からのマークが緩くなんだもん」
「それは私が生徒会長だったからだろ? もう生徒会長ではなくなった私に、君の期待する効果は無いような気がするんだが」
生徒会長、品行方正、という要素を持っている陽菜であるが、勉強ができる訳でもない。生徒会長という肩書を失った今は、ただの真面目な生徒の一人なのだ。
「でも、会長が会長であった事実は消えないじゃん?」
「……確かに、それはそうだが。別に私でなくても、
「やだー。
「彼女らしいな」
紗里に注意されている鏡花の姿を想像して、陽菜は軽く笑う。それを見た鏡花が、不満げな顔で陽菜を突っつく。
「紗里のことを考えてたっしょ?」
「ああ、宮木に注意される君の姿を想像してた」
「うーん……じゃあ五十点!」
「なんの点数だ?」
「半分あたしのこと考えてたから!」
「ははっ、そうか」
そうやって冗談を言い合いながら、二人は廊下を歩く。
今は放課後だ。放課後といっても、今日は始業式のため、学校は午前で終わっている。そのため、まだ日は高い。
「会長、どこ向かってんの?」
「生徒会役員室だよ」
「さっき行ってたくね?」
「忘れものさ。もしかすると、もう少しだけ、会長でいたかったのかもしれないな」
そして生徒会役員室に辿り着いた。
陽菜は職員室から借りてきた鍵を使って扉を開ける。
「なんか、イメージと違うね」
「豪奢な革張りの椅子でもあると思っていたのか?」
お嬢様学校でも進学校でもないただの女子校、そもそも生徒会という組織がなにをやっているのかすら知らない生徒が多い。
「いや、そこまでは……でも、なんか寂しいなって」
さすがに、生徒会役員室の中が机をくっ付けただけの小さな部屋だとは思っていなかったらしい。
「私もそうだが、基本的には内申点狙いの生徒ばかりだからね」
「そなんだ」
自嘲気味に笑う陽菜に、鈍い反応を返す鏡花。
「幻滅したか?」
「……いんや」
陽菜の問いかけに返す鏡花の声は、少し気が抜けた声だった。
「やっぱ会長って、雰囲気だけなんだなって」
「そうか?」
「だってそうやって髪型制服全部校則通りでカッチリしてんのに、成績大して良くないじゃん? そりゃあ授業態度とかはいいと思うけど、定期も模試とかもあたしとそんな変わんないじゃん?」
「なんだ、知っていたのか?」
「ったりめーよ!」
眉根を寄せる陽菜に、グッと親指を立てる鏡花。
「テストのことは言った記憶が無いんだが?」
「そりゃあ愛の力ってやつ」
「……愛?」
誰かに聞いたとかだと思っていたのだが、まさかそう返してくるとは。
「そう、愛」
聞き間違えではないかと思い聞き返してみたが、聞き間違えではなかったらしい。
この場合の愛というのはどういった愛なのか。それを聞いていいものかどうなのか、突然のことに陽菜は分からない。
「ラブの方だよ」
反応を返さない陽菜を見かねて、鏡花が距離を詰めてくる。夕日が差す教室なんていう、雰囲気がある時間や場所ではない。夏の暑さ残る真昼間の生徒会役員室。
今かいている汗は、なにが原因の汗かすら分からない。
「……つまり?」
「あたし……会長のことが好き」
「えぇ……」
気の抜けた声しか出ない。
「えっと……ダメ?」
「いや……ダメというか…………いきなりのことで……ちょっと待ってくれ、整理する」
「……分かった」
手を額に当てた陽菜は、とりあえず扉の鍵を閉め、冷房を入れる。
そして、とりあえず腰をかけ、忘れ物のことなど忘れてしまった頭で考える。
鏡花が自分のことを好きになった理由はさておき、それよりも大切なのは、自分が鏡花のことが好きなのかどうかだということだ。
生徒会長だから恐れられている、という訳ではなく、陽菜自身があまり人と関わる人間ではないため、友達と呼べる存在は多くない。そしてその中でも、鏡花が一番共に時間を過ごしている。だからといって、陽菜が鏡花に恋愛の好きという感情を抱いているかというと、そういう訳ではない。
鏡花に告白された今、嬉しくないのかと言うと、ぶっちゃけ嬉しい。ただ、その嬉しいが、どういった嬉しいなのかが分からない。恋愛的に好きではない相手に告白されて、嬉しいと思ってしまうこの感情、今まで告白されたことなど無い陽菜にとって、当然答えの出しようが無いものだ。
「……分からない」
ぼそっと零した言葉、この場には二人しかいない。その言葉は鏡花にも聞こえていた。
「えっと……分からない……って?」
返したくれた鏡花の方を見ると、今まで見たこともない、静かに顔を赤く染めた鏡花の姿があった。
初めて見る鏡花の姿に、陽菜は顔が熱くなるのを感じる。
目が合うと、サッと視線を外すその仕草。今までなら、目が合うと笑顔で手を振ってくれたのに。
「いや……すまない。告白なんて、初めてされたものでな。……信じられないんだ」
あまりにも現実とは思えない光景だ。だからこれは夢ではないかと、逃げ道を求めてしまう。
「夢じゃ……ないんだけどな……」
ゆっくりと、陽菜の下へやって来た鏡花の顔は真っ赤に染まていた。
「だが、私なんて、好きになられるような人間では無いんだぞ。これは夢に――」
夢に決まっている――。そう言おうとした陽菜だったが、その言葉を最後まで言うことはできなかった。
唇に柔らかいものが被さり、言葉を発することができなかったのだ。
ようやく唇に被さっていたものが無くなると視界には、瞳を潤ませながら、口に手を当てている鏡花の姿が入った。
「夢じゃない……! あたしは会長が好き、会長自身がなんと言おうと、好きなの」
震えながら、しかし力強く言い放つ。夢だと逃げようとする陽菜を捕まえて離すまいと、目を逸らすなと。
そこまでされて、これは夢だと言い出すことは、陽菜にはできない。ここまで本気で言われて、逃げるなんて、自分を卑下するなんて最低なことはできない。
「だが、分からないんだ。私は、本当の私はっ、いつも、自分のことで精いっぱいだったからっ」
校則を守るのも、生徒会長になったのも、全て自分のためだ。
「それってさ」
座る陽菜の顔をはさみ、自分の方へ向かせる鏡花。
「会長は、あたしが好きかどうか分からないってことだよね?」
結局はそこなのだ。鏡花が欲しい答えも、陽菜が答えるべきことも、それは鏡花の告白に対する陽菜の答えだけなのだ。
「だったら、あたし……会長が、悩むことなく、あたしのことを好きって言えるようになる!」
陽菜が答えに悩むのなら、悩むことなく惚れさせればいいだけだ。
「待ってくれ! どうして私が君の好意にこたえる前提で話を進めるんだ」
「え……」
「いやそういうことではなくてだな! ああもう! とりあえず待ってくれ、君に告白されたり、キっ……キスされたりで、頭が追い付いていないんだ」
「……分かった」
未だに顔の火照りが無くならない。一旦クールダウンということで、鏡花も椅子に座る。
そしてそのまま無言の時が過ぎ、冷房の設定温度まで室温が下がったであろう時になり、ようやく陽菜が口を開いた。
「待たせてすまない。私なりに、君への気持ちを整理し終えたよ」
「え、あ、うん」
陽菜は整理がついたと言っているが、実は鏡花の頭はずっと沸騰していた。
今日この場所で告白する予定が無かったのだが、なぜか勢いに任せた告白をし、付き合っていないのにキスまでしてしまったのだ。
「まず結論から言おう。考えさせてくれ」
「うん…………………………なんて?」
「考えさせてくれ、と言ったんだ。私は君に恋愛感情を持っていない。だが、君に告白されて嬉しかったし、キっ……キスをされても、嫌……では無かった。それは少なくとも、君のことを好ましく思っているからだと思うんだ。しかし、この好ましいという感情が、君が私に向ける好きという感情と同じ類のものかと言われると分からない。だから、分からないと言ったんだ」
早口で捲し立てる陽菜の言葉を、一言一句聞き漏らさずに聞いた鏡花。気持ちを整理したと言って、赤くなって捲し立てる陽菜を見て、徐々に落ち着きを取り戻していったのだ。
「ぷっ……あっはっは」
「な、なにがおかしい」
「いやあ、やっぱ会長だなって思ってさ。あたし、会長のそんなクソ真面目で不器用なとこ好きだよ」
「そ、そうか……」
鏡花に微笑みかけられ、顔を逸らす陽菜。
「まあ会長があたしのこと恋愛対象として見てくれてなかったのはショックだったけどね」
「すまない。私は、人を好きになったことが無かったんだ」
するともう一度、陽菜の顔をはさんで自分の方に向かせる。
「さっきも言ったんだけど。あたしが、会長が悩むことなく、あたしのことを好きって言えるようになるから。人を好きになるってこと、あたしが教えたげる‼」
全く照れていない、力強い視線を真正面から受ける。
そんな目を向けられると、断ることなんてできない。断るという選択肢など無いが。
まっすぐ、鏡花の目を見る。逃げることなんて考えない。真剣に答えよう、そう思って、決意を固める。
「ああ、分かった。教えてくれ、私に、人を好きになるということを」
陽菜の決意を受け、表情を崩す鏡花の瞳から涙が溢れる。
そしてメイクが崩れることなんて気にせず、陽菜の胸に飛び込む。
「え、おい……」
一瞬戸惑った陽菜だったが、すぐに鏡花を受け入れる。ただ黙って、鏡花が泣き止むまでその背中を優しく撫でるのだった。
〇
たっぷりと泣いた鏡花のせいで、ブラウスが涙鼻水メイクで汚れてしまったが、不思議と怒りは湧いてこない。
「ごめん、会長……服汚しちゃって……」
「別にいいさ、それよりも落ち着いたか?」
「うん……」
まるで幼子のような鏡花の姿を見て、穏やかに笑った陽菜。落ち着いたところで時計を見てみると、かなりの時間が経っていた。職員室に鍵を返しに行くのが遅れると、不審に思った教師が見に来てしまう。早いところこの部屋出て、鍵を返しに行かなけらばならない。
当初の目的通り、忘れていたペンを取り、リュックから取り出した筆箱に戻す。
「動けるか?」
そして、座って鼻をかんでいた鏡花に手を差し伸べる。
「うん、大丈夫」
そう言いながらも、しっかりと手を握って立ち上がる鏡花。置いていたリュックを背負い、いつでも出られる準備をする。
それを確認した陽菜が冷房を切り、生徒会役員室の扉の鍵を開ける。
二人揃って外へ出ると、夏の熱気が二人を囲む。
「あっつ」
「この後、自動販売機にでも寄ろうか」
鍵を閉めながら言った陽菜。さっきまで鏡花は泣いていたのだ、泣くのは体力を使う。熱中症にならないため、水分補給をした方がいいだろう。
「飲み物持ってるよ」
「そうか」
「会長、急に優しくなったじゃん。彼女のこと大切にするタイプ?」
そう言いながら、腕に抱きついてくる鏡花。いつもなら躱していたのだが、鏡花の気持ちを知った今、躱すことなんてできなかった。
「ただの気遣いだよ」
「でもこうして、あたしのスキンシップを嫌がらないのって、あたしのこと好きだからっしょ?」
「君の気持ちを知った後で、そういうことはできないだけだ。ただ、私がずるいだけだ」
「それでも、あたしは会長とこうやってくっ付くことができて嬉しいよ」
「……そうか。だが、そろそろ離れてくれないか? 歩きにくいし、そのまま職員室には入れない」
「分かった」
鏡花が素直に離れると、陽菜は職員室を目指して歩き出す。鏡花はその隣に並んで歩く。
ブラウスがかなりの汚れている。このまま職員室に入ると、なにか聞かれるだろうか? そんな疑問を抱いたが、適当な理由でも言えば大丈夫だろうとすぐに切り捨てる。
職員室には陽菜一人で入った。始業式のあった日でも、部活動は実施されているらしく、微かに活動音が聞こえる。
生徒会役員室は校舎の誰も近づかないであろう場所にあるため、他の生徒が来るだろうなんて思いもしなかったが、よく考えると、場所は遠くても生徒会役員室は他にも生徒が活動する学校内にあるのだ。今更だが、恥ずかしくなってきた。
それに、メイクも落ちてすっぴんを晒しているということも恥ずかしさに拍車をかける。
鏡花が恥ずかしさに悶えていると、陽菜が職員室から出てきた。
「どうしたんだ? うずくまって」
「色々と恥ずかしいかったなって……」
鏡花の言葉を聞いて、陽菜も同じことを考えたのだろう顔を赤くする。
「今日は、早く帰ろう」
「うん……‼」
二人は互いの顔を見ずに、そそくさと昇降口に向かう。
途中、数人の生徒とすれ違うが、幸運にも誰も二人には声をかけない。
学校から出さえすれば人の数は減るだろう。だから校門から出るまで、二人は言葉すら交わさなかった。
そして、校門を出ると二人は互いに顔を合わせる。
「行こうか」
「うん」
二人は並んで、同じ歩幅で駅までの道のりを歩く。他の生徒の姿は見当たらない、今だけは二人の空間だった。
しかし、話せる状況になってもなにを話せばいいのか分からない。いつもなら、鏡花から他愛のない話を始めるのだが、二人の間に流れる空気が変わってしまったからだろう、なかなか口を開かない。
「あのさ、会長……手、繋いでもいい……?」
そして、やっと口を開いたかと思えば、口にしたのはそんな言葉。
「私達はまだ付き合っていないはずなのだが」
「でもキスはしたじゃん?」
「あれはっ、君が――」
「でも、受け入れてくれた」
「…………」
それを言われると反論できない。
「それに、あたしは会長に、人を好きになるってことを教えるんだから」
「……分かった」
おずおずと差し出した手に、鏡花の指が滑り込んでくる。
緊張で暑くなっているのか、ただの暑さか、判断に難しいが、悪い気持ちはしない。むしろ落ち着くというか、心がじんわりと熱を帯びる。
「どう? ドキドキする……?」
「いや、落ち着いているよ」
「あたしだけか、ドキドキしているのは」
微苦笑を浮かべる鏡花。
そして再び無言の時間が始まる。このままでは、なにも話すことなく駅へ着いてしまう。
そして無情にも、なにも言葉を交わすことなく駅まで辿り着いてしまった。二人の家は反対だ。電車が来てしまうと今日はもうお別れだった。メッセージアプリは互いに交換しているが、やはり好きな人とは顔を見て話したいものだ。
上り線も下り線もまだ到着まで時間はあるが、安心してはいられない。
刻一刻と、電車がやって来る時間は迫ってくる。先に電車へ乗ることになるのは鏡花だ。
「あのさ、もう会長は会長じゃなくなったんだよね」
「そうだな。元生徒会長だ」
間も無く電車が到着するというアナウンスが流れる。
「そっか……じゃあ、会長って、呼べないんだ……」
「そうなるな」
電車がホームに滑り込む。
「……陽菜」
「え?」
陽菜が聞き返したところで、電車のドアが開く。
「バイバイ、陽菜。また明日」
頬を微かに染めた鏡花が電車に乗り込む。すぐにドアが閉まって、電車はゆっくりと走り出す。手を振ってくれる鏡花に、手を振り返す。鏡花の姿が見えなくなると、陽菜は口元に手を当てる。
「聞き間違い……ではないよな……」
あの時、確かに鏡花は陽菜を名前で呼んだ。別に誰にも陽菜と呼ばたことが無いという訳ではない。しかし、鏡花に下の名前を呼ばれるのは初めてで、呼ばれた瞬間、心臓が跳ねたように感じたのだ。
それが事実であるか確かめるため、胸に手を当てると、心臓がうるさいぐらい拍動している。
「……分からないな」
どうして鏡花に名前を呼ばれるとここまで鼓動が激しくなるのだろうか。初めての感覚に困惑しながら、陽菜はやって来た電車へ乗り込むのだった。
花は枯れ、新たに芽吹く 坂餅 @sayosvk
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます