運命の歯車

よし ひろし

運命の歯車

 私には運命のが見える。


 物心ついた時から、何か重大な選択を迫られると、目前に歯車が現れるのだ。その姿は、アナログな機械に入っているあのギザギザの歯車そのもので、私が何か選択しようとすると右か左かにゆっくりと回りだす。それだけでなく、その選択が間違ったものだった場合、赤く点滅し警告してくれるのだ。そこで私はすぐに逆の選択をし事なきを得てきた。


 私に何故そのような歯車が見えるのかはわからなかった。しかし、この歯車のおかげで私の人生は順風満帆で、大きな失敗をすることなく、大怪我をすることもなく過ごしてきた。


 そんな歯車の選択の中で最も大きかったのは、このについてであろう。


 私の鼻は日本人としてはかなり大きかった。鷲鼻や鉤鼻と呼ばれるような鼻をしている。親兄弟の中にそのような鼻の持ち主はおらず、親戚を見回してもみな純日本人的な鼻の持ち主ばかりだったが、話によると住職をしていた高祖父が同じような鼻をしていたというから遺伝なのだろう。

 その鼻なのだが、顔の他のパーツが日本人そのものと言った感じなので、バランスが悪く、悪目立ちする。思春期を迎えるころには、どうしても気になって仕方がなく、女性にモテないのはこの鼻のせいではないかと悩んでいた。どうにかして小さくならないかと弄り回しているうちに、肌が荒れ、吹き出物ができて赤く腫れあがり、余計に目立つという悪循環を何度繰り返したことか。


 大学生になっても鼻に対するコンプレックスはなくなることなく、男女の付き合いをする人間が周囲に増えたことによってより気にするようになり、焦りの様なものを感じ始めていた。そんな中、私と同じように細い一重の目にコンプレックスを持っていた友人のTが、ある日美容整形を受けて、パッチリとした二重の双眸に生まれ変わったのだ。そのおかげか、人生初めての恋人ができ、私に自慢げに見せびらかした。正直言うと、その相手の女性は私の好みとはかなりかけ離れていたので、さして羨ましいと思わなかったが、悔しくはあった。

 そこで、私も美容整形でこの鼻を、そう思った。しかし、そこで運命の歯車が現れた。整形をするという選択は、非であると出た。

 そんな馬鹿なことがあるか。長年のコンプレックスを解消できるのだ。そうすることの何がいけないというのだ。

 私は運命の歯車のお告げに逆らってでも、そう考えたが、すんでのところで思いとどまった。実は幼い頃に一度だけ、歯車の警告を無視したことがある。その時、私は死んだ。いや、実際は一命を留めたのだが、数分間心臓が止まったのは事実だ。それ以来、私は運命の歯車の導きに唯々諾々と従ってきた。なので、その時も従わざるを得なかった。


 間違うはずがない、運命の歯車はいつも正しいのだ。


 結果として、その時も運命の歯車は間違っていなかった。

 整形を諦めてからほどなく、私にも素晴らしい恋人ができたのだ。彼女との出会いのきっかけこそ、この鼻だった。私のコンプレックスの象徴たるこの大きな鼻が、彼女の大好きなお祖父さんにそっくりだと言うのだ。彼女のお祖父さんは、アメリカ人で幼いころのその大きな鼻を触るのが大好きだったらしい。

 そんな奇妙なきっかけではあったが、私と彼女の相性はとてもよく、私が大学を卒業するのを待って結婚をした。私と似た鼻の持ち主である彼女の祖父は、外資系の大手IT企業の創始者で、父親は現社長であったこともあり、私もその皆がうらやむようなIT企業に就職し、現在それなりのポストについている。

 あの時、鼻を美容整形しないという選択は、私の人生を決めたといっても過言ではない。


 そう、運命の歯車は絶対なのだ。


 企業人となった後も、私は運命の歯車のお告げに従うことで成功をおさめ、ただのコネ入社だと陰口をたたく者たちを黙らせた。

 子供も三人授かり、家庭人としても幸せに暮らしている。



 だが、そんな運命が突然狂いだした。それは、今からひと月ほど前、私の父が脳卒中で急逝したこととから始まった。奴が現れたのだ。赤いかっぱの女。かっぱ、とはいってもレインコートのことではない。かっぱ、つまりは、妖怪と呼ばれる、あのである。


 河童など架空の存在だ、そう思う方は多いだろう。ただ、私のように自然豊かな場所で生まれ育った人間にとって河童という存在は、存外身近なものであった。

 私の故郷は、飛騨山脈の山間やまあいにある小さな温泉街なのだが、近辺には河童の伝説が残る場所が多くある。川だったり、池だったり、水辺のいくつもの場所に河童を見たという話は残っており、そのものの名のついた河童橋という橋もあるほどだ。


 そんなこともあり、父の葬儀の後、実家に泊まった夜更けに、河童が訪ねてきても思ったほどは驚かなかった。本当に驚いたのは、彼女の話の内容であった。

 私の目前に現れた赤い肌をした女性の河童。肌の色は環境によって保護色のように変化するらしいが、赤というのは特別で、特殊な力を持つ証らしい。その河童が言うには、私の持つ運命の歯車の力は、本来彼女の持つ力であったという。それが何故、私のものとなったかというと、それは父のおかげであった。

 かつて、その赤い河童は、父に命を助けられた。その礼をしたい、と申し出ると、父は己のことではなく、まもなく生まれる子供の将来が明るく幸せであるようにと願ったそうだ。その産まれてくる子供が私であり、河童の礼として授けられたのが、この運命の歯車の力だったのだ。


 産まれた時から持つこの不思議な力、その正体が判り、私はすがすがしい気持ちになった。しかし、その後に続いた河童の話に、私は愕然となった。


 力を返して欲しい、そう河童は言うのだ。


 その力はあくまでも父への礼であり、当人が死んだ今、その約束も終わりだと言うのだ。そんな馬鹿な、そう言い返したが、その力は彼女の生命エネルギーを使うことによって稼働しているという。つまり、彼女は今まで己の命を削って、運命の歯車を動かしていたのだ。その話を聞いたら、もうそれ以上言い返すことはできなかった。

 ただ、産まれてこの方付き従ってきた能力だ。今すぐにと言われても、心の準備ができていない。少し待ってくれ、そう申し出た。

 すると河童は、ひと月、次の新月の夜まで待とう、そう言ってくれた。父に対する恩義の証だろう。私はそれで納得するしかなかった。


 その新月の夜が明日来る。


 私はどうすればいいのか?

 このひと月、悩み悩みぬいた問いの答えは今も出ない。

 私にとって運命の歯車はもう自分の一部なのだ。それを奪われたら、まともに生活していく自信がない。さりとて、返さないわけにもいかないだろう。

 どうすればいいのか。答えの出ない問いを自らに投げかけ続け、はやひと月。食欲はなくなり、まともに寝ることもできず、げっそりとやせ衰えた。妻と出会って以来自慢となっていた大きな鼻は、すっかり張りをなくし、先端がだらりと垂れて唇につきそうだ。目はくぼみ、頬はこけ、皮膚の向こうに髑髏が透けて見えるようだった。


 約束が明日に迫った今も書斎の仕事机に座り、明日のことを考え続けていた。目前には運命の歯車が見えている。あの話を聞いてから、ずうっと歯車は出っぱなしだ。当然だろう。人生最大の選択が迫っているのだ。


 運命の歯車の力を約束通り返すべきか? それとも拒否し持ち続けるべきか?


 この二つのどちらにすべきか、心が動くたびに、歯車も左右に動く。しかし、どちらに動いても警告の赤い点滅が起こるのだ。こんなことは初めてだ。


 どちらも、正解ではない。


 私はどうすればいいのか?


 わからない。答えは出ない。

 今こうして己に起こった不思議な出来事を手記にしてしたためている間も、悩む私の心を反映するように、運命の歯車が右へ左へと回り続け、その度に赤い警告が点滅する。

 私には選ぶことはできない。


 どちらも選べない、選ばない。


 それしか答えはない。つまり、それが答えか。

 ああ、何を言っているのだろう。自分でもわからない。もういい。


 もう最後だ。


 第三の選択をしよう。

 ワインは用意してある。自分の生まれた年のワインだ。何かのお祝いにと思って用意していたものだが、今ここで封を開けよう。今しか機会はもうないのだから。

 それともう一つ。懐には小さな包みがある。白い粉の入った小さな包み。

 それをワインに溶かして、最後の晩餐としようか。


 さあ、ここまでだ。

 愛する妻よ、息子たちよ、さらばだ。



 終焉


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