いつまで

小狸

短編

「いつまで小説家なんて目指しているつもりなの。そろそろ現実を見なさい」


 母からそんなことを言われたのは、お盆明けのことである。


 どうやらお盆休みには親戚一同で集まったらしい。


 僕も誘われたけれど、行かなかった。


 僕みたいな出来損ないになった大人を、いとこたちに見られたくないからである。


 自宅に返ってきた母は、容赦なく僕に言った。


「もう、良い歳した大人なんだから」

 

 大人――そう、僕は大人になってしまった。


 中学の頃、僕は不登校になった。


 公立の中学校だった。


 原因は、小学校の頃からのいじめであった。何かにつけいちゃもんを付けて、殴る、蹴るを繰り返して来るのである。


 当時は学校が視界に入るだけで吐き気を催すくらいになった。


 まあ、令和の今の世の中、「いじめられる側にも問題がある」なんて言説が当たり前みたいに検証される世の中である。どうせ僕が悪いのだろう? 容姿が醜く、根暗で、陰キャで、人と上手くコミュニケーションが取れなかった、そんな僕が悪いのだ。もうそれで良い。


 どうでも良い。


 そのまま中学、高校、大学には行かず、ずっと家に引きこもっていた。


 その間、ずっと小説を読んでいた。


 小説だけが、僕の心の支えだった。


 それが無ければ、とっくの昔に自殺していただろう。


 幸運なことに、僕には自分の部屋があり、両親も大きな本棚を購入してくれたりした。図書館や書店には行けないので、ネット通販や、最近では電子書籍を活用して、読書に勤しんでいた。


 色々な小説を読んだ。


 両親も、最初こそいじめや僕の精神的な病状に対して理解を示してくれたけれど、徐々にその態度は変わっていった。


 いつになったら治るの?


 いつになったら元気になるの?


 いつになったら、普通になるの?


 そんな苛立ちが、言葉の節々から感じられるようになってきた。


 これは実際に体験した者しか分からないだろうが、一度壊れた精神というのは、元に戻らない――と僕は思っている。


 同級生に殴られ、蹴られ、それでも笑うことを強要され、そんな中で誰も助けてくれないクラスメイト達、新任であることを言い訳に見て見ぬ振りをする教師。


 僕はその中で、ある種の諦観に達していた。


 そうか、これが世界なのだ。


 世界にとって、僕はこの程度の価値しかないのだ。


 殴られ、蹴られるために、僕はここに存在しているのだ。


 誰かのストレスの捌け口なのだ。


 両親も、次第に僕をストレスの捌け口にし始めた。引きこもりの僕に対して「部屋から出るな」とか「近所に出るな」とか、弟に対して「あんな風になっちゃ駄目だよ」とか、言いたいことを言いたい放題言われた。


 僕だって、なりたくてこうなった訳じゃない。


 それでも、人と対面すると、駄目なのである。


 吐き気と、希死念慮と、その他様々な感情に襲われ、立っていられなくなるのだ。


 心療内科には通院したけれど、一向に良くならなかった。それはひとえに、誰のことも信用できなかったからだと、僕は今になって思う。


 良く「引きこもりが一念発起して大活躍する物語」というものがある。そういうものには必ずと言って良いほど、外的要因――助けてくれる他の誰か、というのが登場する。


 理解のある誰か、と言っても良い。


 対して現実は、そこまで都合良くできてはいない。


 精神病患者に対し理解をし、向き合うのには、相当な胆力が必要である。生半な覚悟では務まらない。それこそ、家族や婚約者などの強い絆で結ばれていたとしても、理解者に対して相当の苦労を強いることは必然である。


 駄目な奴は駄目なまま幸せになれないし、僕をいじめた奴はいじめたという事実を揉み消して勝手に幸せになる。


 そんな現実と向き合いたくなくて、僕は小説を書き始めたのかもしれない。


 一人でもできること――誰にも邪魔されないこと、まだ「好き」だと思えること。


 残念ながら、僕の「好き」は、小中学校時代にいじめっ子や教師によって全て踏みつぶされているけれど――それでも唯一、読書だけは、親が許してくれた。


 だから、書いた。


 空いた時間を利用して、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、書いた。


 もし。


 もしこれが物語だとすれば、僕は引きこもりながら小説家としてデビューし、期待の鬼才として執筆業界から大注目を浴びることになるだろう。最近の小説の傾向を見る限り、そういう虚構の作り方が、人々の支持を得られることは容易に想像できる。


 しかし何度も言うように、これは現実である。


 そんな都合の良いことが、僕の人生において起こるわけがなかった。


 駄目な奴は駄目なまま、消えて忘れ去られてゆく。


 新人賞にも何度か応募したけれど、引っ掛かるどころか一次選考にも残らなかった。


 僕には、小説の才能はなかった。


 それだけの話である。


 そして今、小説を書く環境すらも、奪われようとしている。


 どうして。


 どうして?


 僕はどうして生きているのだろうもう死んだ方が良いのではないか辛い苦しい現実現実現実現実生きている意味が分からないどこで間違えてしまったのだろう寂しい意味がない死ねばいい自殺でもすれば良い助けてと言っても誰も助けてくれなかったどうすれば良かったのだいじめのせいだ僕のせいだ自己責任だちゃんとしなければ普通にしなければ皆はちゃんとしているのにちゃんとできない当たり前にできることが当たり前にできない逃げたい助けて助けて助けて助けて助けていつだって助けを求めた誰も助けてくれなかった皆指を差して莫迦にした嘲笑した侮辱した下に見た下らないつまらないもう無理だもう終わりだおしまいだ人生いつでもやり直せるなんてのはやり直せた側にいる恵まれた奴の発想だ何となくやり直せちゃった奴らの感想だ少なくとも僕はどうしようもないどうにかできようがない外れてしまった逸れてしまった壊れてしまった誰も僕に期待しない誰も僕に求めない誰も僕を必要としない誰も僕を褒めてくれない僕はもう駄目だもう駄目だもう駄目だもう駄目だもう駄目だもう駄目だ。


「あー、もう駄目だ、駄目だ。駄目、駄目、駄目、!」


「な――何、どうし――」


 どうしたのよ、と続けようとする母親の顔面を思いっきり殴って、倒れ込んだ所の頭を思いっきり踏みつけた。床と頭が強く衝突する、鈍く、蛙が潰れるような音がして、母は動かなくなった。


「よーし」


 もう人生、終わりで良いや。


 そう思って、キッチンから包丁を取り出し、新聞紙でくるんで、リュックの中に入れた。


 久しぶりに靴を履いて、玄関から出た。


 向かう先は、いじめっ子の住む家である。


 あいつらを殺そう。


 僕の人生は、今日までで良い。




(「いつまで」――了)

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