東へ!
ビーデシオン
第1話 大きなリンゴの木のある丘
夜空の下、知らない誰かの腕の中で、東の果てを眺めやる。
「ほら、綺麗だろう」
大きな岩山の麓に佇んでいるのは、遠く離れた私たちの都。その日はお祭りの日だったのでしょうか、岩肌に築かれたお城と城下町が、冷たい月明かりを跳ね除けるような、温かい光に包まれていたのを覚えています。
幻想的な光景に感動することもできたはずなのに、たしか私は、何かが引っかかって、首をかしげてしまったのです。
「あのお城は、光に入れてもらえないの?」
私は、王城の隣、しばらく離れた山頂に佇む、大きな塔のような建物を指差して、なんでもない疑問を投げかけました。
王城や、その下の街は照らされているのに、その塔だけが、なんだか寂しそうに見えたからでしょうか。
「あそこには、今は誰もいないんだよ」
「今はってことは、いつかは誰か帰ってくるの?」
普通に考えれば、廃虚かなにかだと納得してしまえるところを、私は揚げ足取りみたいに続けてしまって。
困ったような苦笑いが、後ろから聞こえました。
「いいや、そうはさせないさ」
呟くように小さく、何か決意に満ちたような声と共に、私の頭を撫でてくれた、鉄の小手。
あの、鎧姿の男性は、一体何者だったのでしょうか。
◇◆◇◆◇
「おい、いい加減にしろ!」
青々とした緑の茂る草原。てっぺんに、大きなリンゴの木のある丘。今日は珍しく騒がしいです。閉じていた目を開いて、丘のふもとを見下ろしてみると、こちらへ向けて、二人分の人影が向かってきていることがわかりました。
逃げている方は赤い服の子供。追いかけているのは、鉄のケトルハットと厚手のコートを身につけている……ああ、あの人ですね。
進行方向は丁度、私の方みたいです。なにやら競争している様子ですし、もしかしたら、木陰に寝そべる私には気付いていないのでしょうか。
「ってうわ!? 居たのかよ、
「居て悪かったですね」
赤い服の子供が驚いた様子でこちらを見ています。白髪女。正しい呼称ですね。私の髪は真っ白ですし、肌も雪みたいに白いですから。
もっとも、私の姿を見て、あからさまに嫌な顔をされると、こちらとしてはいい気分ではないのですが。
この子の名前は……なんでしたっけ。向こうは私を覚えているのに、こちらが覚えていないのは失礼かと思いましたが、人の顔を見てうわという方がよっぽど失礼ですから、大丈夫でしょう。
「今日は大人しく帰るので、気にしないでください」
「えっ、ちょっと」
「捕まえたぞ!」
男の子の脇に後ろから腕を通し、そう叫んだのは見慣れた人影。目が合って、こちらは呆れたような顔。流石に、彼の名前くらいは覚えています。なにかと厄介になることが多いですからね。
「お疲れ様です、ルダン」
「アニー、お前もか……」
「その子と違って、私は逃げたりしませんよ、帰れと言うなら帰ります」
私がそう言い放つと、ルダンはケトルハットの鍔を押さえながら、あからさまなため息をつきます。私たちの街を見守る衛兵さんは、今日も今日とてお疲れのようです。無駄に仕事を増やすのも、申し訳ないですし、私はここらでお暇しましょう。
「あっ、待てよ白髪女!」
待ちません。眠気は飛んでしまいましたし、待つ理由がありません。私は、男の子とルダンに背を向けて歩き出します。
ああそうだ、大事なことを伝え忘れていましたね。
「熟したリンゴは食べちゃったので、固いのしか残ってませんよ」
そうして私は、芯だけになったリンゴをつまみ、ゆらゆらと見せびらかします。
「くっそー、また先越された!」
悔し気な声を背中に浴びて、満足しながら家路に着きます。
「アニー」
「ん」
ふと名前を呼ばれて、私は立ち止まってしまいました。ルダンに呼び止められるのが、珍しかったからでしょうか。彼はいつも疲れてしますし、あまり饒舌な方ではないはずですが。
「お前は目立つだろう、街の外に出るのは危ないぞ」
「…………」
そう。あなたも私の外見が気になるんですね。まあ、別に普通のことですが。答えてしまえば、今後気ままにやりづらくなってしまうので、私は無言で背を向けます。なんだか、良い気分がそがれてしまいました。
今日はもう、帰りましょう。
◇◆◇◆◇
天高くそびえる山岳の先、西の果て。国の名前を、メービスといいます。その更に端の端、海岸沿いにあるのが、私の住む街、ルセチーナです。大通りを外れれば、すぐに平原か、輝く水平線が見えるくらいには田舎の街。漁港の方は賑やかなものですが、私の家のある、街のはずれは静かなものでした。
「ただいまー」
レンガ造りの壁と屋根。その中心にある、ドアの取っ手に手を添えて、無意識で帰りのあいさつをしながら、中に入ります。
「おかえり、アニー。早かったわね」
玄関を抜けて作業部屋を覗くと、お母さんは部屋の中心にある大釜をかき混ぜながら出迎えてくれました。動きに合わせてゆらゆら揺れる、白くて長い、奇麗な髪。肌の色まで含めて、私に受け継がれたものではありますが、改めて見てみると、やっぱり街のみんなとは違います。
「どうしたの?」
「ううん、なんでも」
顔に出てましたか。
問い詰められても困りますし、ごまかすべきでしょう。
「また街の子に何か言われたの」
「違うよ、大丈夫。お母さんも疲れてるだろうし、なんでもないの」
私はそう言って、自分の部屋へ向かおうとしますが、次の瞬間には、私の両肩にお母さんの両手が乗っていました。慣れたてつきで反転させられ、お母さんの顔が眼前に迫ります。
「アニー。無理にとは言わないけど、不安なことがあったら何でも言って。お母さん、どんなに疲れてても、力になれるから」
「……わかった」
優しい声。きっと疲れているお母さんにここまで言わせておいてなんですが、別にそこまで大した悩みでもないので、気まずいです。
でも、別に大したことじゃないなら、言ってしまってもいいような気がしてきました。
「今日、年下の子に白髪女って言われて、確かにみんなとは違うなって思っただけ」
「あーなるほど、それは確かにそうねぇ……」
お母さんは考え込むように、顎に手を当てて目を閉じていますが、本当に大したことではないのです。別に、私はみんなと同じになりたいとは思いませんし、どちらかと言えば一人でいるのが好きですし。
「ああ、でもお母さんが知ってる限り、アニーのその髪。結構人気らしいわよ?」
「そ、そうなの?」
「うん、サラサラで雪みたいで奇麗って、女の子はもちろん、男の子からも!」
「ええ……」
そういえば、お母さんは顔が広いんでした。街のお母さん会みたいなものにも、律儀に毎回行ってますし、こないだなんてちょっとしたお祭りを取り仕切る、役員みたいなのにもなっていましたっけ。
「アニーは口調が丁寧だから、それにコロッときちゃう子もいるって話よ? こないだなんて、いつもの赤い服着てる男の子が……」
「あー聞きたくない聞きたくない」
それ以上聞くと、外に出たくなくなります。私の口調が丁寧なのは、他人と距離を置きたいからです。私は一人が好きなんです。一人で原っぱに寝転がって、昼寝してるのが好きなんです。
「まあ、そこまで首を突っ込んだら野暮だけど、いつかいい人見つかると良いわね」
「十四歳に何言ってるの」
私はまだ十四歳。成人まで四年もあります。相手を見つけるのなんて、それからでも遅くないでしょうに。
「成人になってから相手を探すと苦労するらしいわよー」
「そうなの?」
「うん!」
あっしまった、思考を読まれた。考えていたことの答えをぶら下げられて、ついつい答えてしまった。こうなると、お母さんの話は長そうです。
「お母さんなんて、お父さんに見つけてもらうまで二十年もかかったんだから」
「……お父さん」
そういえば、お父さん、十五の誕生日までには帰ってくるって話だったけど、今どこで何してるのかな。
「あっ……えっとね、お父さんはね」
「えっ? ああいや、大丈夫。気にしてないから」
ああ、また思ったことが口に出てしまったみたいです。お母さんは見るからに焦って、目を泳がせています。
「そ、そう?」
「うん。じゃあ私、部屋に戻ってるから」
大丈夫。私は何も聞いてません。聞いてないんです。だから、お父さんはそのうち帰ってくるし、お母さんはそれを待ってるだけなんです。
お父さんが、しばらくずっと姿を見せないのには……きっと理由があるんです。
自分にそう言い聞かせて、私は足早に自分の部屋に戻りました。
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