ペンフレンド Ⅱ

クニ ヒロシ

第1話 X-day

   X-dayまで後三日となっていた。


 やはり、郡をピッコロに呼んだのは正解だった。

 まさか、アルバイトの東が宮と通じているとは誰も気付いて居なかった。

 情報屋が情報屋やと気付かれれば何ほどの物でない。

 一同は堂々とピッコロを後にした。


 店を出た所で桜庭洋子が郡に話かけた。


「郡さんはF中の場所をご存じですか?」

「はい、これでも卒業生ですから」

「今からで何ですけど案内をして貰えませんか?」

「良いですよ」


 二人の会話は小浜哲司にも聞こえていた。

 小浜哲司は桜庭に窘める様な視線を送った。


「小浜さんは、もう、下見に行って来たんでしょ」

「あぁ、そうだけど~」

「アツ美さんは?」

「私は卒業して間も有りませんから~」

「なら、私と郡さんとで行ってきます」


 桜庭は哲司を一瞥して郡の下へと足を進めた。

 彼女はまるで恋人とそこらを散策する様な素振りを見せている。


 哲司にすれば面白くない。それが自身への当てつけと分かって居ては猶更である。

 ならばと哲司は、


「僕は永和に寄って行くよ」


 桜庭は勝ち誇った態度で、


「綾さんは居ませんでしたよ」

「分ってる。香とN中に出向いて居る筈だから」


 郡の顔が一瞬曇った。

 彼が胸の内を顔に出すの珍しい。いつもは物静かで平静を保って居るのに~。

 やはり、哲司の口から『香』の名前が出たのが気に掛かったらしい。

 郡と香はその昔し付き合っていた。随分前の事ではある。

 言うに堪えない結末を、未だに受け入れ兼ねている彼の心が動揺しない筈が無い。



 桜庭と郡は肩を並べてF中へと向かっている。

 郡にすれば香との懐かしい思い出が溢れている道である。

 桜庭が話し掛けて来ても生返事で応えていた。


 郡が以前勤めていたガソリンスタンドに刺しかかった時である。

 スタンドから若いスタッフが駆け寄って来た。


「郡さ~ん」


 二人は彼を捉え、自然と立ち止った。


「郡さん、何処へ行かれるんですか?」

 

 言葉は丁寧だがその口調にには親しみが込められて居る。


「うん。ちょっと、そこまで~」

「僕や姉ちゃんに内緒で、こんな綺麗な人と?」


 そう言われた桜庭は満更でもないようだ。さり気なく郡に近づき譲らない素振りを見せている。


 郡が桜庭を仕事関係の人だと説明しようとした時、スタンドの他のスタッフが駆け寄って来た。

 口々に何かを喋って居るが、一斉となると何が何やらである。


 ややあって、場が静まると郡は、


「仕事でこの人とこの先まで行く所なんや。変に気を回さんようにな」

「また~、僕らに隠し事はなしにして下さいよ。それならそれで僕らも嬉しいし」


 郡は場を繕えない始末である。

 ことさら、最初に駆け寄って来た若いスタッフは食い下がって来る。

 まるで、子犬が飼い主に駄々をこねて居るようだ。

 郡は彼に向って、


「勉、これで手が空いた時にみんなでな」


と言いつつ、財布から紙幣を取り出し彼に掴ませた。

 スタッフ一同、

「ありがとうございます!」

「帰りにも寄って下さいよ」


 

「随分、人気が有るんですね?」

「初めての職場でしたから、今でも、何かと気に掛けてしまうんです」

「それ以上じゃ在りません。私はあんな風に歓迎された事は有りません。・・・、郡さんて不思議な人ですよね?」

「えっ!僕がですか」

「ええ。得体が知れないと言った方が良いのかな。昔で言う所の何たら十面相。郡さんの他の顔にも俄然興味が湧いて来ました」

「どう取れば良いんですか?」

「お好きなように。決して悪い意味では有りませんから~」


 等と、先ほど迄とは打って変わって話が弾みだした所で、二人はF中の校門に辿り着いた。


「ここがF中なんですね」

「はい、随分様変わりしています。無理もないか、かなり前の事だったし」

「卒業以来ですか?」

「そんな事は有りませんが、中々足が向かなくて」

「グランドは何処に?」

「あの桜の木の向こう側です」

「綺麗に咲き誇ってますね」

「ええ、行きましょうか」


 F中の校内とグランドは道路を挟んで向かい合っていた。

 丁度、裏門を出て道路を渡るとグランドである。


「グランドには扉が無いんですね?」

「ええ、授業や部活が終わると解放されて居ますから」


「生徒たちの姿が見当たりませんね」

「みんな下校したんでしょう」

「もう、そんな時間」


 桜庭は腕時計に目をやった。


「急ぎましょう。体育倉庫は何処に?」

「あそこです、グランドの角に」


 体育倉庫に近付くにつれ桜庭の顔に緊張が漲って来た。

 無理もない。一人の女子中学生の未来が喰い荒らされた場所で有るのだから。


 桜庭は体育倉庫の扉に立ち向かっていた。

 この中で行われた事は舞の手記でほぼ知り得ている。

 鍵が掛かって居る。

 彼女にしては無謀な行いだが、その鍵を掴み左右に揺り動かしている。


 堪り兼ねた郡は、


「無茶をすると怪我をしますよ」

「そうですよね。弁護士の私が器物破損、不法侵入では話になりませんものね」

「当日ならなんとかなるでしょうが」


 グランドに隣接する工場からけたたましい騒音が、


『これでもか、これでもか』


と、鼓膜を突き抜け胸の奥まで響いて来て居る。


 桜庭は事件当時にこの中に居て必死に抗って居たであろう舞に向かって、


「この騒音なら、幾ら泣き叫んだとしても誰も気付かないよね」


と、語り掛けた。


「何にか言いました」

「独り言です、気にしないで下さい」


 郡は先ほどまでと打って変わった桜庭の様子に驚いて居る。


「郡さん」

「何ですか」

「いつの世も、女は虐げられる対象で居なければ成らないのでしょうか?」


 どちらかと言えば虐げる側の男としては返す言葉が見当たらない。

 郡はそんな思いを顔に浮かべるだけで、口を開けずにいる。


 気を取り直したのか桜庭は頬を緩めて、


「帰りましょう」

「・・・」


 郡が頷くのを待たず、桜庭は歩き始めていた。


「ガソリンスタンドに寄るんですか?」

「止めときましょう。裏道を行きます」

「えっ、なんで?」

「とやかく言われそうなんで~」

「私は構いませんけど。いっそ、恋人どうしって事にすれば」

「からかわないでくださいよ」


 郡は心の襞をくすぐられて居る様な表情を浮かべると、


『照れちゃって、意外と可愛い所が有るんだ』


 この二人、何事も無かったとは云えホテルで一夜を共にして居たのである。

 桜庭にすれば佐藤組の法律顧問なる手立ての一つが郡と親密になる事で有った。

 何処まで親密になるかは未だ定かでは無いが。



  X-dayまで後二日。


 青空法廷プロジェクトのメンバーの動きも慌ただしく成って来ていた。

 結局、舞はN中の卒業式には参加しなかった。

 チャコの落胆ぶりをあらためて述べる必要はないであろう。


 この日、綾は重要な役目を担ってF中に赴き、舞の担任だった大橋教師に会って居た。


「お待たせしました。どうせ、いつも近隣の方の為にグランドは開放して居るので、その~」

「ええ、お別れ会です」

「教頭からその許可がでました。当然ですよね。上田さんも突然転校したので何かと心残りですよね」

「はい、その様で。それで、体育倉庫の備品をお借りする事は?」

「大丈夫です。その日は私も学校に来ますので、職員室で一声かけて貰えれば鍵をお渡しします」

「無理を言ってすいません」

「ところで、私も参加したいのですが、如何でしょうか?」

「それは、ちょっと~」

「何か不具合でも?」


 彼女に来られては不味い事は分かり切って居る。

 しかし、担任で有ったからには無下に断る事はできない。

 綾は取り敢えずこの場を治める為に、


「いえ、そんな事は有りませんが、大橋先生が来られるとみんなが委縮してしまうのでは?」

「えぇ、そんなに嫌われてたかな~」

「そんな事はないと思いますが、では、こうしては如何ですか。参加者が打ち解けた頃合いを見て顔を出されては?」

「そうですね。その方が良いのかも知れません。では、そう云う事で、当日を楽しみにしています」


 F中を後にした綾の顔に緊張の解れが覗える。

 綾は哲司から、

『無理押ししてでも了解を得て来て下さいね。無断と成ると何か有った時に困りますから』

と、きつく言い渡されていた。これで、一安心と云う所である。



 さて、永和の家では綾を覗くメンバーの殆どが居間のテーブルに広げられた

見取り図を囲んで、打ち合わせに余念が無い。

 舞は一人奥の部屋で手紙を仕上げる事に奮闘している。


『リリーン・・リリーン・・』


 電話の呼び出し音が一堂に緊張感を起こさしめた。

 愛が受話器を取った。


「ええ・・・はい。・・・そうですか。・・・分かりました、・・・」


 場の雰囲気のせいか、愛は母親の綾に対して真摯に受け答えして居た。


 舞が受話器を置くと皆が一斉に注目した。


「少し問題はあるけど、許可を貰えたそうです。詳しい事はこちらに帰り着いてからだそうです」


 第一関門を通過したことで、各々に安堵の色が浮んでいる。


 小浜哲司が誇らしげな笑みを見せながら、


「そう云う事で一安心ですね。では、続けます」


 皆がまたテーブルの上に視線を向けた。


「郡さんのチームはここと、ここ、それにここに控えてください。その上で、郡さんはスタンドの高い位置から全体を掌握して頂ければ~」

「分かりました」


「それで、金本君は一番の重労働になるけど、その分手の空いてる人は手伝ってあげて下さい」


 溝口恵子が金本を見やって、

「金ちゃん、大丈夫?」

「恵子が心配せんでもええ。奥の手を考えて有るから」

「ホンマに。それって?」


 金本は一堂に目をくれてから、

「ネコの手を借りるんや!」

「冗談言うてる場合やないやろ」

 恵子が窘めた。


 金本は恵子の冷ややかな視線に動ぜず、

「この中で、ネコを知ってる方は?」

「アホなこと言うてから、うちが恥ずかしくなるやん」


 流石である。郡が応えた。

「手押し車のことやろ」

「ご正解!」

 

 恵子は金本の肩を平手でパシッ、

「もう、クイズ番組や無いんやから、調子に乗って。みなさんすんません。あとで、言い聞かせて置きますので~」


 恵子の言葉に少し場が和んだ。

 愛も眼を細めて恵子を見つめていた。

 ある意味、恵子をメンバーに加えた事は正解だった。


 さて、金本が言う所の『ネコ』とは一般に使われていない用語であるからして、知らない方も居られるであろう。建築現場などで見かけられるのだが、要するに、バケット付けた一輪車で物を運ぶモノを、関係者の間では『ネコ』と呼んでいるのである。


 哲司は次の課題に進んだ。


「桜庭さんの方は順調ですか?」

「ええ、郡さんの眼力が後押ししてくれてましたから、ねぇ~」


 郡は場に窮している。

 桜庭の言い様が、彼女と郡の親密さを誇張している様に聞こえるからだ。


 この二人は、既に佐々木隆と中川鉄男の自宅を訪れていた。

 当初の計画通り、佐々木隆には店を守る法的手段をチラつかせて青空法廷に参加する同意を得ていた。


 ところが、中川鉄男は彼を写したふしだらな写真を翳しても首を縦に振らなかった。そのネガまでをも要求して来たのである。

 いくら気落ちして居たとは云え、肝心な事に抑えを効かせたのだ。


 承知の通り、そのネガは宮の金庫に収められて居る。

 桜庭はその場で頭を抱えた。今一度、宮と駆け引きなど出来よう筈がない。


と、郡は鉄男に向かって、

「なら、こうするか。写真はここで全部くれてやる。ネガは当日ってことでどうや」

「郡さん!」


 桜庭は郡の胸の内を図り兼ねている。今、ここで写真を手放せば鉄男を呼び寄せる手立てが無くなってしまう。いくら郡でも宮の手もとにあるネガを容易く手に入れらる筈が無い。


「大丈夫です。桜庭さんは僕の事を信頼してくれてますよね?」

「勿論です。これまでも、これからも」

「なら、僕に任せて下さい。ぼうず、それでええな?」

「わ、分かりました。その日、その時間にそこに行けば良いんですよね」

「俺に嘘をかましたら(ついたら)どうなるか分らん歳でもないやろ!」

「・・・」


と、まぁ。こんな具合で話を付け二人はその場を離れた。



「郡さん、ネガはどうやって?」

「前にも言ったでしょう、宮の手の内はお見通しだと」


 郡はネガを失くした宮の慌てふためいた顔を思い浮かべてか、にんまりして心地良さそうだ。



 郡は桜庭と別れたその足で興信所に向かった。


 ドアを開けると事務員しか居なかった。

 郡は彼女に眼で合図を送り、そのまま、階段を降り、人気のない建物の裏側に回った。


 程なく、興信所の事務員が郡の下に現れた。


「用件はなんですか?」

「宮の金庫は開けられるやろ」

「ちょろいもんです。あの人、どっか抜けてるんやろうな、金庫を開ける度にダイヤルの番号を口にするんで、いつの間にか覚えちゃいました。多分、本人は心の中で呟いて居るつもりの様です。可笑しいったらありゃしない」

「そんな大声で笑ったら誰かに聞かれるやろ」

「郡にいさんは可笑しく無いんですか?」

「あぁ、万事がそうやからな」


 郡はその日の内にそのネガを手に入れた。

 桜庭にも直ぐにその事を電話で知らせた。

 さっきの今である。桜庭が驚くのも無理はない。と共に、郡の力量に舌を巻いていた。一層、郡への依頼度が高まった事だろう。



 以前にも、興信所の事務員の事に少し触れて居たと思う。

 郡と彼女の関係は次のエピソードで紹介する事にする。





 

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