第4話

「真緒、お待ちかねの第三の変動データ出たよー。ってもしもーし、真緒さーん?」


「・・・・・・」


「成り代わり・・・?狐憑き・・・?性格変化・・・?なに調べてんの?」


今まさにネットで検索したばかりの単語を読み上げられて、真緒はタブレット端末を放り出しそうになった。


「ぅうわっ!ごごごめん!なんでもないのよ!!なんでも!」


慌てすぎたせいで椅子から転げ落ちそうになって、必死に踏ん張る。


頼んでいた資料を持ってやって来た観測部門の同僚である倉橋伊夜くらはしいよが、怪訝な顔でこちらを見つめてくる。


無理もない。


今朝出勤した時から、真緒はずっとどこか上の空なのだ。


いつも通りの時間にいつも通りの表情で颯爽とフロアに入ったつもりが、スカートのファスナーが全開だったことを出勤して5秒後に指摘された事をはじめとして、保留予定の電話を切ってしまったり、資料のコピーに失敗したり、覚え書きをシュレッダーしたり、と踏んだり蹴ったりである。


それもこれも全て、あの男のせいだ。


「なんでもない事はないよねぇ・・・?成り代わりはともかくとして、狐憑きなんて、専売特許の人が山ほどいるんだから、ネット検索なんてせずに相談すればいいのに」


陰陽師という陰気な職業が全盛期を迎えていたのは、遥か昔平安時代のこと。


京の都を跋扈する魑魅魍魎をカッコ良くやっつける当時のスーパーヒーローは、長い年月を経てその形を変え、今も細々と受け継がれている。


神の怒りかと不安になるような天災があちこちで起こるまでは、業界最大手である幸徳井が、永田町をメイン顧客として最盛を誇って来た。


隙間産業よろしく零れ案件を片っ端から処理する何でも屋の西苑寺との相性は当然よろしくなく、長く続いていた二大派閥の睨み合いは、永遠に終わらないかに見えた。


そこに一石を投じたのが、当代の西苑寺・西園寺両当主だ。


これまで血族間でのみ受け継がれて来た家業を、素質のある人間を見出して育成することで陰陽師の資質の底上げをする、という大義名分を持って養成機関アカデミーを設立し、


『どっち派とかもうええんちゃいます?この際業界全部を箱推しして貰えるようにしましょうよ。あ、箱推しっちゅーのは、みーんな好き言うことね』


と謎の切り口で面倒なことこの上ない重鎮たちを説き伏せて、ものの数年で、養成機関アカデミーを復活したばかりの陰陽寮直属機関としてしまった。


家筋血筋にどこまでもこだわる幸徳井、勘解由小路、西苑寺をはじめとする有力者たちが揃ってポッカーンとなった伝説の会談は、のちに西園寺の変と、して語り継がれることになる。


これを機に、大々的に幸徳井と西園寺が手を取り合って共に業界の明るい未来を目指しましょう!ということで、白羽の矢が立ったのが、初代実務責任者を押し付けられた龍詠と、勘解由小路の傍系である真緒である。


かくして発足した養成機関アカデミーは、育成部門の他に、陰陽師の国家資格を保持する人間を管理し、厄災終結のため派遣を行う管理部門と、変異厄災の顕現を予測するための観測部門が存在し、真緒は観測部門で厄災の前兆を観測する地象研究者として働いている。


倉橋の言った通り、管理部門にちょっと声をかければ、手すきの陰陽師を呼んで貰えるし、夢占いや八卦、護符作成なんかもお願いできるのだが。


「いやぁー・・・それは・・・ちょっと」


さすがに同僚に、私の夫の養成機関アカデミーの責任者が狐に憑かれたみたいで、なんて言えない。


「え、なによそんな言いにくい事?っていうか、成り代わりってなに?」


半笑いで尋ねてきた倉橋に、迷いつつ質問を投げてみる。


彼女は一番仲の良い同僚だし、養成機関アカデミーの立ち上げ当初から一緒に頑張ってくれた相棒でもあるのだ。


「・・・・・・んんー・・・っと・・・ええっと・・・参考までにね!あくまで参考までに訊くんだけど、人が、別人に成りすますのって可能だと思う?外見も声も全部!」


「一卵性双生児でも連れてこないと無理でしょ」


「だよねぇ・・・あ、じゃあさ、急に性格が変わるのはどう?」


「二重人格的みたいな?いきなり凶暴になったり、性別変わったり?」


「んんんー・・・ちょっと違うな・・・急に情熱的になったり・・・すんごい口説き文句言ってみたり?」


「はっはーん、分かった。普段クールな龍詠さんが急にデレデレになったんだ。いいじゃないの飽きなくて」


「は!?いや、別にあの人じゃないし!」


「じゃあなに、他に誰に情熱的に口説かれたのよ?こっそり教えてよ」


明らかにからかう口調で倉橋がにじり寄ってくる。


面白がる気満々の同僚を必死に睨みつければ、その向こうに般若のような顔になった夫の姿を見つけてひいっと悲鳴が口から零れた。


振り向いた倉橋が、旦那様の登場に目をきらっきらに輝かせる。


「あら!龍詠さん、お疲れ様です」


「お疲れ。で?なんだ今の話。俺の妻が誰に情熱的に口説かれたって?」


聞き捨てならんなと言葉と態度で示されて震え上がる。


これまで視察以外でフロアを覗いたことなんてないくせに、なんで今日に限ってやって来るのか。


「さーあ。私も気になってるんですー。ほらほらー白状しなさいよ、真緒ぉ。旦那様がお怒りよー」


「まさか社内の人間じゃねぇだろうな!?」


立ち位置を入れ替えて真緒のデスクにドンと片手を突いた龍詠が、じいっと食い入るように両の目を覗き込んでくる。


嘘をつこうものなら容赦はしないとその顔に書いてあった。


「なにを勝手にっ!居ません!あり得ません!私を口説く男なんてあんた以外いるわけないでしょ!!!!」


ちょっと冷静に考えれば分かりそうなものだ。


誰がどう見ても真緒より倉橋のほうが美人でスタイルもいいし、社内でも圧倒的に人気がある。


研究気質の人間が集まる地味な観測部門の大輪の花として咲き誇っているのは間違いなく倉橋伊夜だ。


そもそも、三十路過ぎの地味な容姿の真緒を人妻と知りながらわざわざ口説いてくる物好きな男なんているはずもない。


ここがフロアなことも忘れて大声で叫んだら、契約婚のはずの夫が、ぱあっとまばゆいばかりの笑みを浮かべた。


「そうかいないのか。見る目があるのは俺だけってことだな。安心した」


心底ほっとした表情で答えた龍詠が、確かめるように左手を持ち上げて薬指に触れてくる。


そうっと宝物に触れるように指の腹で撫でられて、むずがゆい感触に一気に居心地が悪くなった。


ねえ、ほんっとにどうしちゃったの!?


うちの契約夫は、どっかで変なものでも口にしたのかもしれない。

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