契約婚のはずですが!?~あんなに冷たかったのに、急に愛してるなんてどうしちゃったの旦那様!?~

宇月朋花

第1話

勘解由小路かでのこうじという大層な苗字が、西園寺に代わって8か月。


短い婚約期間も含めると約一年。


振り返って見ても、ろくな思い出が無い。


今日も眉間に皺を寄せて苦い顔をして苦いコーヒーを啜りながら、目の前に居座っている名目上の夫との夫婦メモリーといえば、形ばかりのウェディングフォト数枚ぽっきり。


こうなることは結婚前から、いや、形ばかりのお見合いで顔合わせをしたその時から分かっていた。


『あー・・・まあ、その、これは所謂配置換えだ。ウチと、おたくが、養成機関アカデミーを通して業務提携を行うその延長で、どうしても必要な手続きってことで。巻き込まれたあんたには申し訳ないが、俺も断れる状況にない。けどまあ、最低限の妻の表の役割さえ全うしてくれりゃあとは好きにして貰って構わねぇから。ああ、でも好きな男が出来たときにはコトに及ぶ前に相談してくれ。上手く取り計らうから』


お見合いにはお誂え向きの日本庭園の中に佇む茶室で、ドラマのワンシーンのような鹿威しの音色と共にその言葉を聞いた時、勘解由小路真緒かでのこうじまおは細く長く息を吐いた。


スタッフ3人がかりで朝の5時から着付けとフルメイクを施され、完全防備で挑んだ人生初のお見合い。


これまで両親から遠回しにお見合いを勧められる度、仕事を理由に逃げ回っていたツケを纏めて払わなければならない事態に、悔しさと憤りでいっぱいだったところに食らったカウンターパンチ。


へーえ。はーあ。ほーう・・・・・・・・・


吐き出したい悪態をどうにか喉元で押しとどめて、必死に無表情を務める。


ここが社会人2年目にして初めて手に入れたお城と呼ぶべきワンルームマンションで、くたびれた部屋着姿でソファーに寝転がっている時だったらば、もっと別の返事になったかもしれない。


日本のごく一部の界隈においてはかなり有名な勘解由小路家の末端に生まれて、全盛期からの急転落ですっからかんになった謂わばお荷物の真緒にとって、今回の縁談はどう転がっても拒めるものではなかったし、それは、夫となる西園寺龍詠さいおんじりゅうえいも同じだろう。


同じだからこそ、断れない縁談が始まりでも、どうにか手を取り合って夫婦として成長していけたら。


そんな真緒の淡い期待は、彼のこの一言で木端微塵に吹き飛んだ。


龍詠にとって妻は、あくまでも名目上の妻であり、愛し慈しむ相手ではない。


彼が興味のあることと言えば、西園寺グループの株価と、押し付けられた養成機関アカデミーの運営状況だけ。


生まれの貴賤に関わらず、素質のある者を集めて才能を見出し育て、外の世界へ排出する。


天変地異が日常になったこの国を守る礎となる人間を、派閥の垣根を越えて育成することが目的の養成機関アカデミーは偏屈者として知られる西苑寺家当主が発起人となって興したが、紆余曲折あって今は国の行政機関である。


永田町界隈からの依頼をメインに捌いてきた幸徳井からあぶれた案件を逃さず拾って収益を得て来た西苑寺と、幸徳井は、本質は同じでも方向性は真逆。


そんな主要派閥の二家が、折り合いをつけて後進育成に乗り出したのは数年前のことで、幸徳井の直下である勘解由小路も当然そのごたごたに巻き込まれた。


当主同士の複雑なやり取りを経て、ちょうど年齢が合う、という理由だけで人身御供よろしくお嫁に出されることになった真緒の半生は、それなりにハードだったが、傍系でもなく養子だという龍詠のほうも、まあ色々あるのだろう。


ある意味色々ある者同士、お似合いの夫婦になれるかも、なんて、物凄く甘かった、甘すぎた。


新婚生活への展望は物の数秒で閉ざされたが、幸いにも彼は、表向きの妻の役割さえきちんとこなせば後はご自由に、というスタンスのようだ。


地象研究者として養成機関アカデミーの研究所に勤務する真緒の仕事を奪うつもりもないようだし、恋愛もお好きに、というなんて、まさに斜め上の大盤振る舞いである。


女性からの着信を隠そうともしないところからして、彼のプライベートはすでに充実しているようなので、それならもう契約婚だと開き直って、仕事を続けながら自分の時間を大切にすればいい。


そんな心持ちで始まった結婚生活は、無味無臭で驚くほど平穏。


龍詠が最初に口にした配置換え、まさにその通りだった。


住む家が5倍ほど大きくなって通勤経路が変わっただけで、後は何も変わらない。


感覚としてはルームシェアのような感じだ。


契約婚の夫が家にいる時間はごくわずかで、深夜帰宅の早朝出勤と外泊のオンパレード。


冷蔵庫の中身は真緒の食料プラスミネラルウォーター。


自宅で過ごした痕跡をほとんど残さない秘密主義の夫の愛人が二人ということさえ、つい先日まで知らなかった。


それでも夫婦はやっていけるのだ。


親族の行事に揃って出席して関係各所に挨拶回りさえすれば。


管理部門の定例会議が予定時刻に終わらないのはいつもの事で、採決が終わるなり次の予定があると言い訳をでっち上げて揃って会議室を後にして、新婚生活に興味津々の御大尽様方をやり過ごそうと控え室に戻って、頼んだコーヒーを向かい合って(視線は合わせず)飲むのもいつものこと。


出会ってこのかたミルクと砂糖を入れるところを見たことの無い龍詠のコーヒーカップは、やっぱり今日も真っ黒で。


コーヒー牛乳並みにミルクを注いで角砂糖を一つ放り込んだ真緒の定番を一口飲んだところで、タブレット端末を睨んでいた龍詠に異変が起きた。


急に額を押さえて呻いたかと思ったら、何かを思い出したように急にこちらを凝視してきたのだ。


真顔で見つめられて怯んだら、次の瞬間あろうことか龍詠は目元を赤くして、涙目になった。


当然こんな彼の表情を見るのは初めてのことだ。


な、なにごと!?


「あ・・・あの、龍詠さん・・・?大丈夫?」


上がってくる報告に苦い顔でけれど冷静に指示を出す龍詠しか見たことが無かった真緒は、夫の体調不良を疑った。


これは側近の卜部を呼ぶべきか。


けれど、真緒の心配を他所に弾かれるように妻の真横に移動してきた龍詠は、次の瞬間勢いよく真緒の身体を抱きしめた。


はいいいいいい!?


何が起きたのか最初はわからなかった。次いで、彼の体温と吐息に驚きと衝撃が走る。


「俺の心配をしてくれるのか!・・・本当に・・・・・・・・・出会えてよかった」


感極まったように囁かれて、初めて聞く声音に心臓が撥ねる。


よく考えてみれば、これが初めての抱擁である。


「っへ!?な、なに!?ちょ、龍詠さん!?」


出会えて良かったって・・・・・・なんで今更!?


パニック状態の真緒を置いてけぼりでぎゅうぎゅう腕の力を強くした彼は、あろうことか髪に頬ずりしてくる。


どうしよう・・・仕事もプライベートも勝手に充実させているとばかり思っていた契約夫は、どこか壊れているらしい。


どうしちゃったの、旦那様!?

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