第31話 禁忌と渇望の狭間で
アセロンが綾を送り届けた後王宮に戻ると、女王がリディアの亡骸を抱きかかえて泣いている姿を目撃した。
女王の周りに付き添っている兵の何人かも涙を浮かべており、アセロンに気づくと仇を見つけたように睨む者、そもそも目を合わせようとしない者がいた。
当然だ。二人きりだったのに守れなかったら、全てアセロンが悪いに決まっている。
アセロンを罪悪感が再び襲った。
目の前で彼女が想いを伝えている時に、殺された。
『ああ・・・』
「どうしたんだノク・・・?」
すると、アセロンの中にある感情が溢れかえった。それは“懐かしさ”と“嬉しさ”、そして“悲しさ”だ。アセロンの中に悲しさは始めからあったが、他の二つは身に覚えが無かった。
「ノク、お前の感情なのか・・・?」
『ああ、そうかもしれない。いや、そうだ。女王、セレナは私の妻だ・・・!』
「ええ!?・・・何故そんな脈絡も無く・・・?」
『分からないが、直感で分かるんだ。彼女のあの泣き顔、見覚えがあるんだ・・・!名前も思い出せるぞ。私の名前は確か・・・「ノクサリス・ラフィエル」だ』
「でも・・・」
――――――
そして、日が開けた。
リディアの死がヴァルドリア中に伝わると、王都の空気は一気に変わった。王族の存在は人々にとって安心と希望の象徴だった。それが失われた今、街には絶望と不安が蔓延していく。
異形の襲撃による被害は大きかった。応戦したハンターと巻き込まれた一般市民から、少なからず死者を出してしまっていた。そのことで、住民達は途方に明け暮れていた。
一方、王宮内では別の緊張が走っていた。リディアの唯一の親であり、現女王であるセレナは、玉座に座したまま、集められた貴族や重臣たちの報告に耳を傾けていた。
「リディア様の死の真相は――?」
一人の老臣が進み出ると、女王は深い溜息をつきながら答えた。
「まだ判明していません。ですが、襲撃者が閃一と名乗る者であることは確定しています」
その言葉に、部屋は沈黙に包まれた。
ラナティアの顔には疲労が色濃く刻まれていた。愛する娘の死は、彼女の心に深い傷を刻みつけた。しかし、女王としての責務が彼女を支えていた。
「今、我々がするべきは混乱を最小限に抑え、この国を守ることです。リディアの犠牲を無駄にしてはいけません」
力強い声でそう告げると、彼女は参集者たちに指示を与え始めた。
「外部への通商を一時的に停止する。城壁の防衛を強化し、各地からの支援物資を受け入れる準備をせよ」
重臣たちは彼女の毅然とした態度に頭を垂れ、即座に動き出した。
セレナが悲しみを押し殺して国を動かしていた。彼女の目には涙の跡があったが、誰もそれに触れようとはしなかった。彼女はただ、娘の意志を胸に刻み、国を守ることに尽力していた。
この状況下で誰もが共通して思っていたのは――
「リディアがいない世界がこんなにも重いとは思わなかった」
ゆくゆくは次期指導者を巡る争いが勃発し、各派閥が混乱の中で勢力を広げようと動く。さらに、王女を守るべきだった兵士たちの士気も下がり、街の防衛力が一気に脆弱化したため、他国のこともより一層気にすることになる。
――――――
そんな中、アセロンは医療施設の一室で綾を看病していた。
綾は一命を取り留めたのだ。・・・しかし、そうは言えない。今にも死んでしまいそうなのは変わらず、医師からも、もう長くはないと言われた。驚異的な生命力だが、持ってあと3日といった所だそうだ。
「クソッ・・・!どうしていつもこんなことに・・・!」
彼女は傷ついた身体を横たえたまま、かろうじて息をしていた。アセロンは綾の傍らで、微かな呼吸を確認し続けていた。
ヴァルドリアの町では、異形の襲撃によって倒壊した建物の復興作業が夜を徹して続けられている。作業に汗を流す人々の姿には、生きるための力強さが感じられた。
しかし、その対照的な喧騒がアセロンには耐え難かった。生き延びることを選んだ町と、命を失おうとしている綾。そのコントラストが、彼の心を重く締め付けていく。
すると、シリウスがこの部屋に入ってきた。
「おはよう、アセロン。それと綾さん」
「ああ、シリウスか・・・」
「アセロン、少し外で話せるかい?」
シリウスはアセロンと綾に挨拶を交わすと、アセロンを外へ招いた。
そして、彼はアセロンと話し始めた。
「実は昨日、アセロンが戦っている時にルーカスの仇の暁という奴と戦ったんだ」
「・・・そうなのか?そいつについての情報は何か得られたのか?」
シリウスは首を横に振った。しかし、情報は全く無いという訳ではない。
「無いに等しいけど、ほんの僅かな情報ならある」
そしてシリウスは、暁に関する情報を話せるだけ話した。暁が去って行った方向や、鎧を纏っていたことなどを話した。
「やはり、掴めたとしてもそんなものか・・・」
「ごめんね。もっと引き出すべきだったよ」
「いいんだよ。・・・どんな些細な情報しか集められなくても、俺はあの女を殺すまでは死ねない」
「でもアセロン、暁の裏には強大な何かがありそうだよ」
「そんな事は百も承知だ。だが関係ない。それが俺の行く手を阻むのなら、全部叩き潰してやる」
「アセロン・・・」
――――――
ヴァルドリア王城の一室。
女王は、玉座ではなく応接室の長椅子に腰掛け、目の前に立つアセロンに視線を向けた。
「・・・復興には時間がかかります。それでも、私たちは前に進むしかありません」
女王は静かな声で語り始めた。しかし、その声には重い疲労と悲しみがにじみ出ていた。
アセロンは短く頷いた。
「そのために、俺も力を尽くします」
そう言うものの、どこかよそよそしい。自分の責任に苛まれているのか、それともリディアを救えなかった無力感が心を縛っているのか。
女王は一瞬だけ俯いた後、話題を変えた。
「リディアはね、幼い頃からとても自由奔放な子だったの。」
リディアとの思い出
ラナティアの口元がわずかに緩み、彼女の瞳には遠い記憶が浮かび上がる。
「あの子は、王族としての規律を嫌っていて、私が目を離すと、すぐに城を抜け出していました。近くの村に遊びに行ったり、畑の収穫を手伝ったりして、服を泥だらけにして帰ってきたこともありました」
その記憶を語る声には、愛情が満ち溢れていた。しかし、話が進むにつれ、次第に声が震え始める。
「私はあの子に、女王としての道を歩んでほしかった。でも・・・リディアはそれを受け入れつつも、自分自身で道を切り開こうとしていました」
ラナティアは涙を拭おうとするが、感情を抑えることはできない。
「どうして・・・あの子が・・・どうして、私を残して逝ってしまうの・・・?」
「それは・・・お、俺が・・・」
アセロンは何も言えず、立ち尽くすだけだった。
――――――
翌朝、綾の顔色はさらに青白くなっていた。薬草を煎じた治療も焼け石に水で、意識はほとんど戻らない。
アセロンは綾に食事を促すが、彼女は口を動かそうともしなかった。
「俺は・・・どうすればよかったんだ・・・?教えてくれよ・・・ルーカス」
すると、綾が口を開け、弱々しく言葉を紡いだ。
「もう・・・私のことなんて、気にしないで・・・」
「どうして・・・?」
「私なんて・・・誰にも想われることも無く・・・ただ一人で、ちっぽけに・・・消えてしまえば・・・いい」
「そんなこと言うなよ・・・。そんな哀しいこと、あってたまるかよ・・・」
その夜、アセロンが宿に向かって歩いていると、後ろから声がした。
「どうもお久しぶりです、アセロンさん」
声のした方向を見ると、そこにはエリクが立っていた。エリクとは護衛の後から会っておらず、思い出すのに少し時間がかかってしまった。
「お前は・・・ああ、エリクさんか。久しぶりですね」
「ええ、ご無沙汰しております。・・・綾さんのこと、残念でしたね。それに王女様も・・・」
「はい・・・。というか、綾はまだ死んでませんよ?」
アセロンは酷い言い間違いをしたエリクに鋭い視線を送った。しかし、エリクは反省の色を示すどころか、口調が軽くなっていった。
「あ~、すみません、早とちりしてしまいました。以後反省します」
「何ですか、その態度は・・・」
「すみませんね、少し嬉しくて」
「何がだ・・・」
アセロンはエリクの飄々とした態度に苛立ちを覚えると同時に、すこし不気味さを感じていた。
「あなたは閃一という襲撃者を、自らの手で打ち倒した。数多くの犠牲を払って・・・」
「もうそんなに広まっているのか・・・」
「言ったでしょう?私は多少顔が利くのだと。・・・あなたは死の運命から逃れ、己の渇望を満たすために旅に出た。そしてその果てに、あなたの渇望はより深く、遠くなり、そしてより強く燃え盛る・・・。私はそれが嬉しくて堪らない」
エリクは不気味な表情で語り続ける。しかし、その内容は顔が利くというレベルでは収まらないような内容だった。
「どうしてそこまで知っている・・・!?エリク、お前は何者だ!?」
「その質問には答えられません。なので私の方から一つ質問を・・・。あなたは、“神”の存在を信じますか?」
「神だと?・・・神がいるからこそ、俺はこうして生きているんだろうが・・・一体何の関係があるんだ!?」
しかし、アセロンが訪ねることは全て無視されてしまう。
「人間は神によって生み出されたからこそ、運命というものに翻弄されるんです。運命というものは時に残酷・・・いや、残酷だから運命だと言うべきか・・・。例えば王女様」
そして、エリクは王宮を指さした。
「何かを得ようとしたら、何かを失う。世の中は綺麗なまでに、このシステムで作られている!物を得れば、お金を失う。勉強をすることで人生の糧を得れば、遊びに費やす自由を失う。そして、王女様は愛を欲したばかりに、閃一という男にその命を奪われた・・・。全く、哀れで仕方が無い」
アセロンは拳を握りしめ、エリクを睨んでいる。
そしてエリクはアセロンを指さした。
「そして、あなたの渇望が満たされるとき、何かを失うのは当然。あなたが綾さんを失った時、シリウスがあなたに生を届けてくれた・・・。こうして、運命は残酷に巡っていく!」
エリクの話はヒートアップしていく。
「そして、あなたは閃一から勝利を得たのに、まだ何も失っていない。だから、いつその代償を払うことになってもおかしくはない!」
「だから、一体何が言いたい!?まるで意味が分からない!!」
そしてエリクは不気味に笑って空を指さし、アセロンに問いかけた。
「あなたは、“神”の存在を信じますか?“神”はあそこに、確かに存在していると思いますか?」
アセロンは俯いて考えていた。エリクの言っていることが理解出来ずに、ただ立っているだけだった。
「俺は――」
そしてエリクの方に顔を上げると、そこにエリクは居なかった。
「何なんだあいつ・・・!」
そこには、底知れない恐怖が残されていた。
――――――
綾が倒れてから3日目の夜。限界の時が訪れた。
綾の呼吸はほとんど感じ取れず、その身体は今にも消えてしまいそうだった。アセロンはその場に俯き、己の無力を噛みしめていた。
残酷に過ぎ去っていく時間、みるみる弱っていく綾、ぐるぐると渦巻いて虚無を生み出していく意識。この世の全てが、彼から何かを奪っていく。
しかし、その時、アセロンの中にある何かが囁いた。
『お前には力がある。その力を使え。己の渇望を満たすために、ただ自分のために使うのだ――』
「急にどうしたんだノク?」
『・・何のことだ?』
「なら・・・何なんだ、今のは・・・?」
するとアセロンは自分の持っている異形の血液を目にした。
「・・・」
そして、アセロンは異形の血と閃一から採った血液を手に持った。
しかし、ノクが突然話しかけてきた。
『アセロン、貴様が何をやろうとしているかは言わない。それに、私が貴様のやろうとしているのを止めることは出来ない』
アセロンが一体何をしようとしているのか、何のために血液を手に取ったのか、ノクはそれを理解していた。彼が禁忌に手を出そうとしていることを。
『だが、これだけは言わせて貰う。貴様がそれを遂げた時、さらなる代償が付き纏うだけで無く、もう二度と引き返すことはできなくなるぞ』
「・・・いいんだ。俺はもう引き返せないし、引き返すつもりもない」
『そうか、好きにするがいい』
アセロンは迷いを振り払い、禁忌に手を出した。異形の血、そして閃一の血、さらに自分の血を混ぜ合わせ――
――――――
アセロンが綾のいる部屋を後にし、宿に向かって夜の街道を歩いていると、シリウスの姿が現れた。いつも冷静沈着な彼の顔には、普段では見せない険しい表情が浮かんでいた。
「・・・アセロン、やったな?」
シリウスの低い声が静かに響く
アセロンはその言葉を無視するかのように歩みを進めようとした。しかし、シリウスがその肩を掴んで止める。力強い手が、アセロンを振り向かせた。
「君は何をした!?言ってみろ!」
いつも穏やかな声が、怒りに震えていた。
アセロンは黙ったまま、シリウスの視線を受け止めた。だが、その目は決意と後悔が入り混じった曖昧な光を宿していた。
「彼女を救うため・・・ただ、それだけだ」
アセロンが低く呟くと、シリウスの拳が壁に叩きつけられる音がした。
「救うため!?それが禁忌に手を染める理由か? 君がしたことは・・・彼女を救うどころか、もっと深い苦しみに追いやるかもしれないんだぞ!」
シリウスの声は震え、その目には怒りと悲しみが交差していた。
「綾を救いたい気持ちは分かる。僕だって・・・君と同じ立場なら、そう思ったかもしれない。でも、それでも・・・!」
言葉を詰まらせたシリウスは、拳を握りしめたまま俯いた。
アセロンもまた、その場で立ち尽くした。禁忌に手を染めたことへの罪悪感は、彼の胸を締め付けていた。
「あのまま死なせるべきだった、そう言うのか?」
アセロンの言葉には、自身への問いも込められていた。
その言葉に、シリウスは再び顔を上げた。その瞳には怒りだけでなく、深い理解の色が滲んでいた。
「そうだ。彼女のためを想うのなら、終わらせてやるべきじゃなかったのか?このまま生きていても、生きる目標の無い彼女は・・・!だからこそ、それが・・・君の役目じゃないのか?」
しかし、シリウスは続けた。
「・・・だけど、僕は君を責めきれない。君の気持ちも分かってしまうんだ」
その声は、先ほどの怒りから一転して、痛みを含んでいた。
「君が彼女を救おうとしたことに対して、僕は怒りたい。でも、同時に赦してやりたいとも思う・・・」
シリウスはそう言いながら深く息をつき、静かに視線を落とした。
「ただ一つだけ、言わせてくれ」
シリウスはアセロンをじっと見つめた。その彼の目つきは、未だかつて無い程、鋭かった。
「自分がしたことの責任は・・・必ず自分で取れ。それだけだ」
その言葉を残して、シリウスは背を向けた。一人残されたアセロンは、ただその背中を見つめながら、自らの行いの重みを噛み締めていた。
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