口笛
月丘翠
前編
「パパー、じいじとばぁばの家、もうすぐ?」
娘の香純が、嬉しそうに飛び跳ねている。さっきまで通り雨で雨が降っていたから、地面にはいくつか水たまりがある。今は晴れた空をきらきらと映し出している。
久々に降りた地元の駅は、何も変わらない。田舎の単線で、無人駅だ。
駅から出ると、駅前にタクシーが一台止まっているだけで、コンビニも二駅隣にしかない。
駅前には小さな個人商店の「たまや」があるだけだ。たまやは服も売っているし、お菓子も売っているし、野菜も文具も売っている何でも屋さんだ。
達哉が高校生の時は、村上のばあさんが店主だったが、3年前に亡くなった。そして今は、息子が村上のおっさんと呼ばれて店主をやっているらしい。
たまやを通り過ぎると、少し住宅があって、その先は田んぼと畦道が続く。
(あの頃と何も変わっていない)
香純の手をつなぎながら、香織と昔歩いた道を歩いていく。
夕日に照らされて畦道に大小二つの影がつながって並んでいる。
(香織―)
「たっちゃん、たっちゃん」振り返ると、高校の制服姿の香織が立っている。
「なんだよ」達哉がめんどくさそうに返事をするが、香織はお構いなしだ。
香織は小学2年生の時に転校してきた。転校当初は都会から来たこともあって、色白で服のセンスもおしゃれで、同じクラスの男子はみな香織に目を奪われていた。でも一ヶ月もしないうちに、香織は地元の子と同じように日に焼け、明るい性格だったのであっという間にクラスになじんでいった。たまたま達哉と香織の家が近かったこともあり、一緒に下校することも多く、仲良くなっていった。でも、大きくなるに従って、達哉の心の中には友達とは違う感情が芽生えてきていた。それを認めるのが恥ずかしくて、うまく表現できず、このころは香織に冷たく当たっていた。
「たっちゃん、今日は塩見神社の星祭りって覚えてる?」
「知ってるけど、なんだよ?」
「神社の鳥居の前に18時だからね、遅刻したら許さないからね」
香織はいたずらっぽく笑うと、畦道を走って帰って行く。
「おい、俺行くなんて・・」
「約束だからねー!」遠くから大きく手を振っている。達哉の話はまるで聞く気がないらしい。達哉は小さくため息をついて「めんどくせー」とつぶやくと、得意の口笛を吹いた。
塩見神社の星まつりは、クリスマスの日に行われる。完全に神社とゆかりもない、ただただ町おこしで始めた企画だ。達哉の住む町は田舎で何もないが、その分星がきれいに見えるのが自慢だったので、星まつりを開催しようと町長が言い始めて始まった。
最初はしょぼい祭りだったが、冬にある祭りが珍しいことと、少し人気のあるインフルエンサーが紹介してから人気がでて他の町からもお客が来るようになった。
18時に鳥居の前に来てみるが、香織は来ていない。向こうから言ってきたくせにこれだ。達哉が帰ろうとしていると、香織が走ってきた。
「ごめん、遅れた!」
達哉は文句の一つでも言いたがったが、制服姿とは違う浴衣姿の香織に何も言えない。子供の頃からさんざん浴衣姿なんて見たはずなのに、達哉は動揺を隠すように前をさっと歩き始めた。
今年の祭りは昨年以上に盛り上がっているようで、人が多く少し目を離すとはぐれそうだ。
「香織、はぐれるなよ。お前方向音痴なんだからすぐわからなくなるぞ」
「わかってるよ」と言いつつ、達哉の服の裾を握ると、「これではぐれないでしょ」とにこっと笑う。
「お前、ほんと」と達哉が言いかけると「あ!金魚すくいある!たっちゃん取って」とグイグイ引っ張っていく。どんな時も香織のペースだ。
思えば子供の時からそうだった気がする。昔もヨーヨー取りや射撃などねだられて、やってたっけ。
「金魚持って帰らなくてよかったのか?」
「うん。水槽とか準備できてないし、考えたら金魚の飼い方の知識が足りないからさ。来年までに水槽も準備するし、事前に勉強しとくから、来年もとってよね」
「来年もって…」
その後も、香織のペースは変わらず、射撃にくじ、綿あめやお面まで買わされた。
「ねぇ、たっちゃん。たこ焼き食べたい!」
「へいへい。そこのベンチで座って待っといてくだせぇ」
達哉は仕方なくたこ焼きを買いに行った。香織は昔からたこ焼きが好きで、祭りになるとよく食べている。でも大体ソースで服を汚して半泣きになることが多い。それでも毎年たこ焼きを食べることはやめない。だから去年は、汚れてもいい服で来いと言ったら、ものすごく怒られた。今年も汚すんだろうなとズボンのポケットにハンカチとティッシュがあるのを確認すると、たこ焼きの列に並んだ。
たこ焼きを買ってベンチに戻ると、数人の男に話しかけられている。見かけない奴だ。隣町の奴だろうか、少しチャラい感じがする。複数人にけんか売るほど、達哉は強くはない。
(どう対処すべきかな)達哉がそう思いつつ、近寄った時、香織が泣きそうな顔になっているのが見えた。
その瞬間、気づいたら男の肩をつかんでいた。
「あの、連れになにか用ですか?」と声をかけると、達哉を上から下までじろっと見ると、「なんだよ、彼氏持ちかよ」と男たちは吐き捨てるように去っていった。
「たっちゃんは背が高いからこういう時ラッキーだよね」
「なんだよ、その言い方」
「だって、たっちゃん本当はけんかとかできない性格だもの。見た目で圧倒出来てよかったなって」
「…うるせぇな」
たこ焼きを食べ終わり、案の定汚した浴衣を拭いて、時計を見ると、22時を指している。
「そろそろ帰るか」
「…たっちゃん、ちょっとついてきて」
香織に言われて、ついていくと神社の裏を少し歩いた先の広場についた。
ベンチに座り、空を見上げると綺麗な星空が広がっている。
「綺麗だね」
「ほんとに星だけは綺麗だよな」
無言でいると遠くから祭りの音だけが聞こえる。
「たっちゃん、私たち幼馴染で、ずっと小学生から一緒にいたよね。なんでも一緒でいつでも近くにいて、それが当たり前だって、私思ってたの。でも最近たっちゃん、私のこと避けてるよね?」
「いや、別に避けてるわけじゃ」
「私ずっと素直になるのが怖かった。たっちゃんに嫌われたくないって思ってたし、この関係を壊すなんて考えられなかったから・・でももう嫌なの。たっちゃんの気持ち想像して勝手に暗くなったりするの」
香織がすっと達哉の手を握る。
「私と付き合ってください」
香織が真っ赤な顔でまっすぐ達哉を見つめている。
「…本当にお前はずるいよ。いつだってお前のペースなんだから」
達哉は握った手を自分の方へ引っ張り、抱きしめた。
そして、この日から達哉と香織は付き合うようになった。
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