第13話 無償の優しさ
スポーツ用品店で買い物中に偶然二人と出会した週の週末。
体育祭当日の朝。登校後荷物を教室のロッカーにしまい、体育の授業でいつも着替えに使用している別室で体操着に着替えて教室へ戻ると。今朝、家を出た時は淀んでいた空の雲の隙間から時おり入る日差しと共に、窓から流れ込む少し湿気混じりの生温い風が、まとめる前の髪を揺らした。
横髪を軽く抑えながら、何だか妙にクラスざわついているように感じるのを不思議に思いつつも自分の席につき、ポーチから取り出したヘアゴムを唇で挟んで、両手で後ろ髪を持ち上げる。普段髪をあげることあまりないことに加えて鏡もないから、だいたいの位置で束ねた髪を仮留めして、あとで
「そのまま。前見てて」
声の主は、まさかの
彼女と教室でしっかり話すは、誤解から微妙な関係になってしまった以前に初めてかもしれない。周りの反応は⋯⋯一部からは微妙な視線を感じるけど、彼女は気にする素振りは見せず、平然としている。
「毎回留める高さ変わってたけど、こだわりあるの?」
「特にないからかな」
「そ。低めの方がいいかな」
顔は正面を向いたまま、視線を横に向ける。
"空気"といえばいいのだろうか。やっぱり、通常の体育の授業とはクラスの雰囲気とは違って、学校行事特有のお祭りムードというのをあまり感じはしない。
「ハチマキは?」
「えっと――」
着ている上着のジャージのポケットにある、青色のハチマキを手渡す。細いヘアピン数本で仮留めした後ろ髪をハチマキで結んでくれた
「いいかな。はい、終わり」
「ありがとう」
彼女にお礼を伝えるのとほぼ同時に、朝は見かけなかった
「おはよ⋯⋯ふむ」
上下とも学校指定のえんじ色がベースのジャージ姿の彼は、机の前で立ち止まると私たちをじっと見て、そして無言で微笑んだ。そんな
「なによ?」
「二人ともいつもと雰囲気違うなーって」
二人とも――その言葉を聞き、
いつもはサイドテールの彼女の髪は、クラスカラーの青いハチマキをリボンの代わりにして結んだポニーテールだった。セットしてくれた私の髪も、型は違えど同じように青いハチマキで結ばれている。
「てか、みんな気合い入ってるよね。あついあつい」
「自分もそうでしょ。登校前に着替え終わってるし」
「先に来て雑用してたんだよ。この方が動きやすい」
「ふーん。で、またしょうもないことしてるんじゃないでしょうね?」
「してないしてない。ふぅ⋯⋯」
「大丈夫?」
私の問いかけに、彼は一瞬はっとしたような表情で顔を上げ、小さく笑顔を作った。
「大丈夫。思ったより外暑かっただけだから」
「羽織ってる上脱げばいいのに。で、まだ体力戻らないの?」
「まーねぇ」
「⋯⋯復帰はまだ先か。あ、先生来た。じゃあね」
担任の
「着替えは済んだみたいね。じゃあ、校庭へ移動。荷物忘れないように」
廊下側の席の人から順番に教室を出ていく。私や
「あ、ちょっと前ゴメンね」
少し遅れてグラウンドへやって来た別のクラスの中に、
「
「ん?
「誰?」
それは、彼女が毎週観ているドラマ「恋の
「へぇ、
「誤解は解けたよ、とりあえずね」
「じゃなきゃ髪のアレンジなんてしてくれないか。あたしもやってもらおうかなー?」
「頼んでみれば?」
あの時の
「出来たよ。戻るね」
「ありがとー」
クラスのテントに戻ってほどなく、体育祭の開会式が始まった。開幕式閉幕後、各学年、各クラスの生徒は席へ戻り、オープニング競技の出場選手たちがトラック内に集まり、いよいよ体育祭スタート。
出場選手へ大きな声援が飛び交う体育祭は、序盤から大盛りあがり。去年も思ったのだけれど、うちの学校の体育祭は熱意が凄い。運動部に所属している男子は特に顕著。運動部が多く参加する陸上競技以外もほとんど手を抜かず、どの種目でも息が上がるほどみんな全力で臨んでいた。
「なんかスゴいなぁ」
その姿に、思わず感心の声が出てしまう。
小さな頃は、もっと一生懸命だったと思う。いつの頃からだろう、物事に全力で取り組むことが少なくなったのは――。
「
「あ、うん」
借り物競争に出場するクラスメートと一緒に入場ゲートへ移動し、トラックで行われている障害物競争の決勝戦を観覧しながら待機。
「――いい⋯⋯」
「ん? 何か言った?」
「ううん、何でもないよ」
作り笑顔で手を振って誤魔化す。迂闊に口にしないように気をつけないと。
そうしている間に、障害物競争は終わり。トラックの一部で撤収作業と借り物競走の準備が進む。入場ゲートの整理を務める係員に指示に従って、グループごと列になって並び直す。トラックの撤収作業が完了、放送が入る。私出番は、三番目。前ふたつのグループのお題は比較的、物が多い印象を受けた。
そして、出番が回ってきた。客席を見渡し、選ばれそうな物に目星をつけつつ、スタートラインに立つ。
「位置について、よーい――」
――パンッ! と、スターターの空砲の乾いた発破音がグラウンドに響く。競走相手は、みんな速い。けど、何だか借り物に苦戦してる様子。お題が書かれた紙を手にしたまま、なかなか動かない。トップ集団から少し遅れて、勉強机の上に置かれた紙を取って広げる。書かれていたお題は――。
「え⋯⋯ええっ?」
どうしよう。悩んでいると、先に着いていたのに立ち止まったままでいた女生徒のお題が見えた――「気になる人」。ふと、彼女と目があった。そんな助けを求めるような眼差しを向けられても⋯⋯。それに私のお題も一歩間違えればまたあらぬ誤解が⋯⋯。
どうやら、他のみんなも簡単ではないお題のようで、悪戦苦闘している。知ってか知らずか、放送委員のやや意地の悪い煽り立てる実況に悪ノリして、若干ヤジ混じりの声援が飛ぶ。覚悟を決めた数名が、一足先に先に動き始めた。
「――よしっ」
意を決して、私も走る。向かった先は、自分のクラス。
「――いた。
「はあ? なんで⋯⋯ちょっ――!」
障害物走を終えて、汗を拭っていた
「はぁ、疲れたー。変なお題じゃないでしょうね?」
「うーん、たぶん?」
肩で息をしながら疑いの目を向けられるも、そこは笑って誤魔化す。マイクを持った係の女生徒が、お題の確認に来た。
『おつかれさまでーす。ではでは、お題の確認です。お題は――カッコいい人!』
響めき交じりの歓声が、客席からあがる。
『なるほど~、理由をどうぞー』
「障害物競走で走ってた姿がカッコよかったなーって」
『確かに、運動部相手に最後まで競り合ってましたもんね。これは、クリアです。おめでとーございまーす!』
係員の指示に従って、拍手を贈られながら、順位の数字が書かれている旗が置いてあるトラックの内側へ移動。1番の旗の前で、他の人たちのゴールを待つ。
「で、なんで私なわけ?
「私は、思ったこと言っただけ。みんな納得してくれたし」
「ハァ」
というより例にあげるの、彼氏の
スタートラインに立つ
そして、体力自慢の運動部の猛者たちが集まる中、彼は相手に差をつけて一位でゴールを駆け抜けた。
* * *
午前の種目はすべて滞りなく消化され、体育祭は昼休みに入った。クラスで食べなければならない決まりもないため、
「てかさー。あのお題なら、あたしでいいじゃん? 三位だよ、あたし」
「借り物競走のあとだったでしょ」
「それはそうだけどー」
小さめのカラーフォークで刺したおかずをほおばるやや不貞腐れて気味に彼女に少し呆れながら、私も箸を進める。おかずを交換したりして話しながら半分ほど食べ終えた頃、湿った生温い空気を払拭するかように、涼しく爽やかな風が吹いた。
お弁当箱を膝の上に置き、グラウンドで行われているダンス部のパフォーマンスを遠目に眺めながら、汗をかいた身体を冷ます涼しい風を受けて、しばしリラックス。
「ねぇ、聞こえてる?」
「んー? わっ!」
声が聞こえた方へ顔を向けると。そこには、いつの間にか天海くんが立っていた。突然のことに驚いている私の代わりに、
「なんか用?」
「⋯⋯ああ、
「知らなーい。てか、あんた失礼すぎ」
目を細める
「あいつ、参加しないのか?」
「裏方に徹するみたいだよ。体力が戻ってないって話してた、
「そうか」
「あっ」
木から離れた
「ウマ。これ、
「まぁ⋯⋯。彼女に作ってもらいなよ」
返事がない。たぶん、この件はこれ以上触れちゃいけない。
タイミングよく、昼休み終了五分前を知らせる放送が入った。午後最初の種目に参加する弥生と天海くんは先にクラスへ戻り、私はレジャーシートを片付ける。
「こっち持つよ」
「あ。ありがとう」
手を貸してくれたのは、先ほどまで話題にあがっていた如月くんだった。クラス委員の
「
「そっか。ありがと。まあ、部活出ろって話しだろうけど」
「実際いつ復帰するんだ?」
「未定。てか、行かなくていいの」
「そうだった、先に行く」
「がんばってね」
「サンキュー」
駆け足で入場ゲートへ向かった
午後最初の種目、体育祭の花形競技100メートル走が終了。残す種目はクラス全員参加の長縄跳びと、男女混合4×100mリレーの2種目。けれど、思いもよらないアクシデント発生。長縄跳びの着地の際、リレー選手の男子が一人ケガしてしまった。
「先生、テーピング捲いてください」
「無理よ。テーピング捲いたところでまともに走れないわ」
保健の先生の診断は、軽度の捻挫。軽度とはいっても、地面に軽く足を着くだけで痛みは走るし。なにより彼は、運動部に所属している、学校行事で無理はさせられない。
ただ、総合優勝に手が届く順位に位置していることもあって、ケガをしてしまった責任をひとりで抱えてしまっている。慰めの声はきっと届かない。
クラスの体育祭実行委員を中心に代役を決める話し合いが急ピッチで行われている最中、首に青いハチマキをかけた如月くんが、集まっているリレーメンバーに声をかけた。
「んじゃあ、行こうか」
「
「見てたらちょっと走りたくなった。いい?」
「そりゃお前なら誰も異論ないだろうが」
輪から一歩前に出た
「走れるの?」
「100なら問題ないって」
「そ。じゃあ、アンカーね」
「はあ?」
「練習してないんだから当然でしょ。
代役を決める話しは、
そして、一年生の混合リレー終了後、四人はそれぞれ所定の位置につき。いよいよ、体育祭最後の種目――男女混合リレーが始まる。
乾いた音と同時に、第一走者が一斉にスタートを切る。序盤はほぼ横一列も、陸上部で短距離を走る白組が徐々にリードを広げ、第二走者へバトンパス。うちのクラスの第二走者は、100m走に出場した
「
「はい!」
「お願い!」
「はいよ――!」
トップから一歩遅れて
緊急参加の
「ガンバってー!」
ゴールまで、残り20メートル。
「くっ!」
そして――。
『一着――白組! 二年の総合優勝は、白組です!』
最後の最後――残り1メートルにも満たない距離で、
「ハァ、しんど⋯⋯」
「
「んな余裕ねぇーっての。トイレ行こ」
「
「トイレって言ってたよ」
「そうか」
「で、どうだったの?」
「何が?」
「惚けてもムダ。どうせ今年もやってたんでしょ」
「さてな。探してくる」
「あっ、もう!」
「今のなんの話し?」
「知らない方がいいこともあるの」
結局、はぐらかされて教えてはくれなかった。
そうしている間に、三年生の結果が発表された。
これで、体育祭全種目が終了。体育祭の閉幕式が始まる前に、お手洗いのため校舎へ入るも、みんな考えることは一緒。一階は行列が出来ていた。少し遠いけど連絡通路を渡って、体育館へ。お手洗いから戻る時、まるで校舎の影に溶け込むように座っている人がふと、視界に入った。その人の足下には空のペットボトルと、青いハチマキが落ちていた。
私の足は、自然とその人の元へ向いた。
「大丈夫?」
両膝に手を乗せ、
――思わず絶句してしまった。
顔色は真っ青で、額には脂汗が滲み。息遣いも荒く、胸に手を当ててる。
「ほ、保健室行こっ」
「⋯⋯大丈夫、ただ疲れただけだから⋯⋯」
「でも――」
どうみても大丈夫とは思えない。
半ば強引に肩を貸して、保健室まで連れていく。
そう、彼はまだ病み上がりで。ケガをしてしまったクラスメイトに負い目を感じさせないように、ひとり無茶をしていた。
彼のその優しさは、ずっと変わらなかった――。
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