第3話 雨上がりの朝
雨上がりの澄んだ朝の空気。少し濁った幾つもの水溜まり。木々の葉に残った雨水が雲の切れ間から射す朝日に照らされて、まるで宝石のように輝く雨上がりの通学路を、いつもより少しだけ晴れやかな気分で最寄り駅へ向かう朝。利用者の多い朝のラッシュ時の駅舎は、昨日と同じように混み合っていた。
「倒木だってよ」
「マジかー、カラオケで時間潰すか?」
「んな金ねーよ。って、このやり取り昨日もしたぞ」
今日も、電車が遅れていた。
拡声器を手に電車の遅れをアナウンスする駅員の近くのホワイトボードには遅延情報と復旧までのおおよその時間が貼り出されていて。改札付近で遅延証明書を受け取った利用者が続々と戻ってくる。
私も遅延証明書を受け取り、邪魔にならないように人の多い駅舎を出てから、担任に遅延証明書の写真付きのメッセージを送信。
電車の復旧予定は昨日より少し長い一時間後。駅近くのファミレスは、既に満席。有名チェーン店のカフェも行列が出来ている。駅前のベンチは空いているけど、昨日の雨で濡れていてとてもじゃないけど座れそうにない。
「居ない、か」
運行再開をただ待っているよりと思って足を運んだ、図書館向かいの公園。期待していた訳じゃないけど、 昨日の朝この公園のベンチで見かけた、綺麗でそれでいてどこか儚げな横顔をしていた人の姿は見当たらなかった。
手に取ったスマホのデジタル時計は8時30分を回ったばかり、図書館の開館時刻は30分後の9時から。運行再開予定時刻までまだ40分以上あるけど、素直に駅へ戻ろう。
公園を出て、行きも通った朱色の欄干の橋を渡った先で看板を掲げる、地場産の食材を使った料理なども提供している土産屋兼お茶屋の店先で風に揺れるのぼりが目に留まった。気になって覗いたお店の商品棚には、鯛焼き、桜もち、お団子、色とりどりの和菓子が並んでいた。他の棚も眺めていると、新茶を使った季節限定和菓子の入れ物を持った40代半ばくらいの女性店員さんが、店の奥から出てきた。
「いらっしゃい」
「おはようございます。早いんですね」
「そうなの。ちょうど今、新茶の季節だから。朝早く遠方から来てくれるお客さんも居るの」
「そうなんですか。えっと⋯⋯」
「無理しなくていいから。見ていってね」と微笑みながら店員さんは、慣れた手つきで空き棚に商品を陳列していく。それらの多種多様の和菓子から飲み物のメニューの方へ目を移す。お茶、冷茶、紅茶、コーヒー⋯⋯のぼりに書かれていたものはあるけど。
悩んでいると思われたらしく、店員さんがおすすめを教えてくれた。
「おすすめは、抹茶ラテ。この時期は一番茶を使ってて香りも味もいいのよ」
「じゃあ、抹茶ラテひとつ下さい」
「はい、ありがとう。ちょっと待っててね」
店の奥へ下がって行った。
レジ近くで待っていると、旅行客らしき人たちの姿がちらほら集まって来た。買い物の邪魔にならないようにレジから離れて待って、カウンター越しに抹茶ラテを受け取る。
「お待ちどおさま。熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます」
このまま駅まで持って行くには遠い。店先のベンチは、公園のベンチ同じで雨で濡れていて座れない。そういえば、公園の中には東屋があったはず。そう思って戻った公園内の東屋のベンチに、あの人が座っていた。
木製の長テーブルを挟んで空いている対角線上の席に座って、抹茶ラテのカップを置く。昨日と同じで、私のことなど気に留める様子はなく、手元の本に目を落としている。服装は昨日と殆ど同じ。清潔感のある白基調の上下長袖の寝間着の上にやや青みかかった白いカーディガンをはおっていて。そして、テーブルには――。
「あれ? あっ――」
思わず出てしまった声。とっさに口を手で覆うも間に合わない。本に向けられていた視線が上がり、私の顔を見て微かに首を傾げる。
「あ、いえ、なんでもないですっ」
「そう?」
初めて聞いたその人の声は、想像していたよりも少し低くて、想像していたよりも小さな声。
思わず声を出してしまった理由は今、口に運ばれたミルクティーが注がれた紙コップが、私の抹茶ラテと同じお店のものだったから。
「あの⋯⋯」
「ん?」
言葉を交わした後の最初の質問が飲み物なんて⋯⋯言いよどむ私の代わりに、先にきっかけを作ってくれた。
「同じお店のだね」
「あ、はい」
「畏まらないでいいよ。同い年だから、たぶんね」
少し可笑しそうにクスクスと笑いながら、そう気遣ってくれた余裕が、とても同い年とは思えないくらい大人びて見えた。
「何飲んでるの?」
「えっと。私のは、店員さんおすすめの抹茶ラテ。一番茶使ってて今の時期が一番香りが良くて美味しいって教えてくれたんだ」
「そうなんだ。じゃあ、今度はそれにしてみようかな?」
「あなたの――」
「あなたのは、ミルクティーだよね?」そう訊こうと思った矢先、電車の復旧予定時刻15分前を知らせるように設定したスマホのアラームが鳴った。
「行かなきゃ。えっと⋯⋯」
「急がないと遅刻しちゃうよ。もう遅刻かな?」
「電車止まってただけだから」
今度はちょっと揶揄うようにクスクスと笑って「いってらっしゃい。気をつけて」と送り出してくれた。
お店のメニューになかったミルクティーのことも、名前を聞きそびれてしまったことも忘れて「また、電車遅れてくれないかな?」なんて、そんな不謹慎なことを考えてしまうくらい。雨上がりの朝に交わした短い会話は、私には特別な時間だった――。
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