悪魔の消しゴム

桂木 京

悪魔の消しゴム

現代に生きることに疲れた俺は、自殺した。



社畜と呼ばれる働き方をして、得られる収入は同級生よりも低かった。

ずっと思いを寄せていた女の子に告白し、付き合うまで漕ぎつけたのに、大して働いていない、大企業のお坊ちゃんに取られてしまった。


プロサッカー選手になった、出来の良い兄。

俺はいつも兄と比べられ、蔑んだ目で見られ続けてきた。


こんな人生。


こんな自分。


消えてなくなればいい。


そう絶望した結果、俺は俺自身を『消し去る』という選択をしたのだ。

今はインターネット社会。

少し検索すれば、なんでも調べることが出来る社会。

料理の作り方、植物の育て方、女の子にカッコいいと思わせるテクニック……


……上手な死に方、痛みを伴わない死に方。



「……飛び降りとか首吊りは、もう昔の古い自殺の仕方なんだな……。」


苦しい、痛い。

最後の姿を醜く見せるのは、俺の残り少ないプライドが許さなかった。


これまで、惨めでカッコ悪い生き方をしてきたのだ。

死ぬ時ぐらい、綺麗に死にたい。



散々考えた結果、俺は薬で死ぬことにした。




――――――――――――――――――




死ぬ前に、片付けることは全て片付けた。

自分の持ち物はすべて捨て、スマホの電話帳は全て削除した。

何故か綺麗に部屋を掃除し、床まで磨いた。


遺書は用意しなかった。

どうせ、俺の遺書など読んだところで、誰の足しにもなりはしないし、気持ちを乱す者もいないだろう。

遺書の代わりに、丁寧に書いた会社の退職願を封筒に入れ、テーブルの上に置いた。



死に場所も、自分のことを誰も知らない街の、静かな山奥に決めた。

自分のことを知る人がいない場所なら、山奥に向かったところで、観光か探検に来た若者だろうと思われるだろうし、山奥であれば、そんな場所の住民の人にも迷惑をかけることもない。


そして、山奥を選んだ理由はもうひとつ。


今回俺は、向精神薬と一緒に睡眠薬も飲むつもりだ。

テレビでそんな薬での自殺の話題があったので決めたのだが、もしその向精神薬で死ねなかったとしても、睡眠薬で深い眠りに落ちている間に、野犬なり熊なりの野生動物が、俺のことを喰らってくれるだろう。

そう考えてのことだ。



迷いはなかった。

心も乱れることはなかった。


俺は、決めておいた地点に、躊躇することなく向かった。



―――――――――――――――――――――――





「ここにするか……。」


俺が選んだのは、少しだけ山道から外れた、多少無理しなければいけないような窪地だった。

此処なら誰にも見つからないし、自分も引き返すことは出来ないだろう。

それだけ、俺自身も覚悟を決めていた。


何の楽しみもない人生。

これ以上苦しくなる前に、自分の手で幕を引こう。

俺なりのちっぽけなプライドが、今日の自殺へと俺を突き動かした。


持参した薬は、小さなケース一つ分。

充分な致死量である。

箱ごと、瓶ごと持ち歩く自殺志願者が多いが、それでは駄目だ。

量が多すぎると、躊躇して加減してしまうし、少な過ぎても死ねない。

こういった自殺では、生き残った方が惨めだ。

後から非難される、叩かれる、晒される……。

『心配した』と言われれば悪く思われないだろうと思ってその実、散々恥を晒される結果となる。


故に、致死量をしっかり量ってケースに入れる。

その量をしっかり飲み干す、それだけでいいのだ。

躊躇も加減もいらない。

『それだけ』飲めばいいのだから。



俺は、小さな致死量分のケースを取り出すと、迷わず口に運んだ。




少しずつ薄れゆく意識。

心なしか、気持ちが良くなってくる。


(あぁ、これ……死ぬな。)


視界がぼんやりしてくる。

思い出が走馬灯のようには浮かばなかったが、幻覚でも見始めたのか、俺に背を向ける少女の姿も見え始めた。


(俺って……そんなに欲求不満だったのか。最期に見る幻覚が女……しかも少女とは……。)


死を目前にして、俺は自嘲した。

結局、何も良いことの無かった俺の人生、そうさせたのは俺自身だったということだ。


(生まれ変わったら、もう少しマシな人生を……)


そう心の中で呟いて、俺はゆっくりと目を閉じる。



――――――



どのくらいの時間が経ったのか。

ゆっくりと目を開けると、そこにはおそらく俺の幻覚の中の存在であろう少女が、俺を見下ろすように立っていた。


「あ……やっと起きた。」


辺りは真っ暗。

場所は、俺が選んだ最期の場所だった。


「ここは、天国か?」


未だ状況が理解できない俺は、少女に訊ねた。



「天国?……バカじゃないの? そんなわけないじゃん。」


少女は小生意気な口調で俺に言うと、思い切り俺の足を踏む。


「痛い!! なにするんだ!!」


俺は大きな声を少女に向かいあげると、そこで自分がまだ生きていることを悟った。


「痛い、って言うことは俺、生きてるんだよな。おかしい、確かに致死量を量ったはずなのに……。」


睡眠薬に向精神薬。

出来るだけ苦しまない、そして確実に死ねる量と種類の薬を、俺は用意した。


……はずなのに。


「んー、ごめんね。そこまで準備してるなら、さっさと死なせてあげたかったんだけどね~」


少女は、申し訳なさそうにゴメン、と両手を合わせた。


「お前……何言ってるんだ?」


「消しゴムは持ってきたけど、ノート忘れちゃって。そこの木の幹に書いたはいいんだけど、消しゴムじゃ消せなかったんだわ。ごめんごめん。」



先ほどから少女は俺にしきりに謝ってくる。

しかし、俺にはその理由も言葉の意味も全く理解できなかった。


「しっかり説明しろ。お前は何なんだ。」


俺はまず、少女の正体を明かすことから始めた。


「え? 私は悪魔だよ。死にたがりがいるから命とって来いって言われて。」


「お前……正気か?」


きっと、アニメとかゲームとかに感化され過ぎた可哀想な少女だ。

俺はそう思った。


「証拠は?」


「証拠……コレ。」


悪魔である証拠だと、少女が俺に提示したのは、持っていた消しゴム。


頭がおかしい類の少女だ。

俺はすぐさま、この少女と距離を置くことにした。

どのみち自殺は失敗してしまった。

関係者や家族に悟られる前に、早く次の薬の用意をしなければ。


「あーそうか。じゃぁその素敵な力で早く消えろ。」


あしらうように少女に言うと、


「あー、信じてないな。あの木、見てみなよ。」


頬を膨らませた少女が、先ほどまで向かい合っていた木の幹を指さした。

仕方なく、重い足を引き摺るように木の前へと歩くと……。


「……何で、お前が知ってるんだよ……。」


その幹には、俺の名前が書かれていた。


「だから言ったじゃん。悪魔だって。コレつければ、名前くらい『視えるんだって。』


少女は、頭にちょこんと載せてある眼鏡を指さした。

その眼鏡をかけると、他人の名前も分かるらしい。


「本当に、悪魔なのか……?」


「だから、そう言ってんじゃん。」


言っていることは、まるで幻想。

しかし、何故か納得してしまう。


「それで、何で俺は死ねなかったんだ?」


俺は、少女が『悪魔である』ということを前提に、話を聞いてみることにした。つまらないただの遊びなら、さっさと少女を置いて戻ればいい。


「この消しゴムでこの名前を綺麗に消せれば、あなたはめでたくあの世生きだったんだけどね。強く書いたから幹に傷が残っちゃって。少しでも文字が残ると消せないし、そうするとダメなんだよね。」


どうやら、少女の持っている消しゴムに秘密があるらしい。


「で、その消しゴムはなんだ?」


少女は、得意そうに消しゴムを俺に見せ、言った。


「これは、悪魔の消しゴム。書いた文字を消すと、『それ』が全部消えちゃう魔法の消しゴムだよ」




……やはり、言っている意味が分からなかった。

消しゴムが書いたものを消すなど、当然のことだろう。

魔法でも何でもない。それが消しゴムだ。


「当り前のことを言うんじゃない。」


「何か誤解してるみたいだからさ、やってみる? 何か紙貸して。」


少女が不満げに俺を睨みながら、手を出してくる。

俺はここに来る前に1本だけ飲んだ缶ビールを買った時のレシートを少女に渡した。


「これでいいか?」


「充分! じゃ、書くね。」


少女はさらさらと文字を書いた。

そこには、俺の名前が書かれた。そして、その後ろに『財布』とも。


「俺の……財布? これか?」


先ほどレシートを出したときに取り出した財布。

それを少女は文字で書いたのだ。


「うん。もう要らないでしょ?」


「まぁ、な。」


「じゃ、消すね。」


少女は、俺に財布が不要であることを確認してから、書いた文字を消しゴムで消した。すると……。


今まさに持っていた俺の財布が、跡形もなく、消えた。



「マジかよ……。」


俺は今までの人生で一番驚いた。

どこを探しても、今持っていた財布が無いのだ。


「あ、今の文字に『財布の存在』って書いてれば、さっきの財布の存在は、それを知る全ての人の記憶から抹消されるの。書き忘れたから、あなたには『財布が消えた』って認識出来たわけなんだけど。」


少女が得意げに笑う。


「人を殺すためだけにある消しゴムじゃないのか?」


「違うよ。そんな使い方、楽しくないじゃん。この消しゴムは、書いた文字に書かれた内容を、『本当に』消すもの。その気になれば、この地球だって消せちゃうよ。」


「…………」


俺は、生まれて初めて言葉を失った。

人間、心底驚くと、本当に言葉が出ないのだなということを、俺は生まれて初めて知った。


同時に、俺はその消しゴムが欲しくてたまらなくなった。


「その消しゴム……俺にも貸してくれないか?」


少女は少しだけ困った顔をしたが、


「まぁ……私の失敗で迷惑かけたし、いいよ、貸してあげる。でも、私がいるときしか使っちゃだめだからね。悪魔の道具は、悪魔しか使っちゃダメな決まりだから。


「あぁ、分かった。」


自称悪魔の言うことは、正直この時あまり聞いてはいなかった。

こんな素晴らしいアイテムを、どのように使ってやろうか。

その一心だった。




それから、俺は悪魔の消しゴムで様々なものを消していった。


まず一番最初に消したのは、自分の存在。

もう、この世に未練はない。

名前も、姿かたちも全て消し去って、自由になりたかった。

故に、文字はこう書いた。


『俺という人間の名前・生い立ち経歴全て。』


これで俺は晴れて誰も知らない、透明人間のような存在になった。

試しに実家に帰ってみたが、家族たちは誰一人として俺のことを家族と認識しなかった。

昔の友人、会社の同僚、俺のことを知る人間の前に俺は次々と姿を現したが、誰も、俺のことを覚えていなかった。いや、『知らなかった』のだ。


「すごいな……この消しゴムの効果は……。」


「でしょ? だって悪魔の道具だもんね。」


この時ようやく俺は、この『自称悪魔』が本物の悪魔であることを信じることにした。

思い返せば、普段ではありえ無き事が次々と起きていたのだ。

なぜ、誰も知らない山奥に彼女はいたのか。

なぜ、俺の名前を知ったのか。


考えれば、それが以上であることは分かったはずだった。


(死を目前にすると、やっぱり冷静ではいられないんだな……。)


俺は思った。

死を超越したことで、俺は常人には理解できない、絶対的な存在になれるのだと。



消しゴムは、文字通り書いた文字の内容をそのまま消した。

例えば、建物を書いて消すと、その建物は忽然と姿を消す。

しかし、その建物の記憶も消しておかないと、周囲は「あれ?建物が消えた」と認識する。


完全に存在を抹消するには、「建物とそれを知る人の建物に関する記憶を完全に消す」ことが必要なのだ。


その言葉遊びが少々面倒だったが、慣れてしまえば簡単だった。

そして、その言葉遊びはよく考えると残酷な結末を導き出すことも可能である。

俺は、彼女を取られた大企業の御曹司に仕返しをした。


『K商事の社員たちの愛社精神』


この文字を消したことで、御曹司の父の経営する会社の社員たちは全員、無断欠勤や退職を次々としていくことになった。

結果、この会社は会社としての機能を失い、赤字企業へと急落していくことになる。


「命を消されなかっただけ、ありがたく思えよ。」


笑いが止まらなかった。

俺のことを苦しめた奴全員に復讐してやろう。

この消しゴムなら、自分が直接顔を見て、声を聞いて話して手を下さなくても、それが出来る。


俺は、誰にも負けない力を手に入れた、そう確信した。


「ねぇ、なかなかいい調子で消しまくってるじゃん。そんなにこの世の中が嫌いだったんだね~」


「あぁ、俺はこの世の中の膿を、全部取り除いてやるんだ。」


俺は、次々と悪魔の消しゴムで気に入らないものを消していった。


俺のことを落伍者呼ばわりした、高校教師。

バイト先で執拗に俺のことを苛めてきた女チーフ。

俺の企画を自分の企画のように盗み、プレゼンした同期のアイツ。


コイツは生かしておこう、こいつは抹消してやろう。

その権限は、自分にある。

自分のさじ加減で、俺を苦しめたことのあるヤツの人生を変えられるなんて、これ以上ない快感だった。


「ねー、もっと大きなものを消せばいいじゃん。国とか、大陸とかさー。こんな小さな国の、自分の周辺の人だけ消したって、世界は支配できないよ?」


隣で毎度のように悪魔が口を挟んできたが、無視する。

確かに地球は広大で、世界は広い。

しかし、俺が生を諦めた世界というのは、本当にちっぽけで、電車で3時間もすれば踏破できるような、そんな世界だったのだ。


ちっぽけと言われても、俺はその世界を壊せれば、それでいいと思った。



あらかた、俺が邪魔だと思った、思っていた存在を消したところで、悪魔の消しゴムはだいぶ小さくなってしまった。

悪魔の道具とはいえ、モノは消しゴム。使えば減っていくのだろう。


「なぁ、この消しゴムが無くなったら、次はないのか?」


「そうだね~。もしもの時のために、少し残した方が良いんじゃない?この先、本当に心から消したいものが現れるかもしれないしさ。」


悪魔の言うことも一理ある。

今は目先の相手だけ消しているが、この先さらに大きな敵が現れてしまった時、消しゴムを使い切ってしまったら何も出来ない。


「そうだな。少しだけでも取っておこう。」


俺は、悪魔の話を聞いたふりをして、消しゴムをポケットに仕舞った。


「悪魔の道具、他にもあるのか?」


「当り前じゃん!悪魔の道具が消しゴム1個なんて、格好悪すぎだよね!」


俺の問いに、悪魔は機嫌を損ねたように頬を膨らませる。

その反応を見て、俺の中である作戦を思いついた。



(それなら、コイツから悪魔の道具を奪い取ってやればいい。消しゴムで脅して取引だ……)



「お前、消されたくなかったら、俺に他の悪魔の道具を寄越せ。」


悪魔に言葉選びなど無用だろうと、俺は率直に目的を悪魔に告げた。

しかし、悪魔は俺の言葉に恐怖を感じるでもなく、うっすらと笑みを浮かべる。


「ねぇ……私がアンタに消しゴムを渡したってこと、ちゃんと理解出来てる?もしかしたらアンタが私に牙を剝くかもしれないなんて、容易に想像できるよね?」


悪魔の紅い瞳が、俺を射貫くように見つめる。

思わず、腰が抜けそうになるのに必死に耐える。

これは、心理戦だ。


「さぁどうかな?俺はお前が消されるのが怖くてほらを吹いているようにも聞こえるぞ?だからお前がいるときしか消しゴムを使わせなかったんじゃないのか?いざとなったら他の道具で奪い取れるように。」


「悪魔の道具なんだから、悪魔がいないと使えない。そんなの当り前じゃん。それに、そもそも道具を貸すって言うこともご法度なんだよ。今回は私がアンタに悪いことしたなぁと思ったから、少しだけ貸しただけで……。」


嘘をついているようには見えない。

しかし相手は悪魔。嘘をつかないと信じることも難しい。


(いったん、ここは退くか……。)


「分かったよ。聞いてみただけだ。」


わざと残念そうな表情を浮かべて見せ、俺は悪魔から離れた。

しかし、悪魔の道具は他にも存在する。

それが分かっただけでも上出来だった。



数日、悪魔の様子をうかがったが、道具を盗み出す隙など全く無かった。

悪魔も、俺が道具を欲しがっていることを知ってから、心なしか警戒心を見せるようになった。


もう、俺という存在は世間からは認知されていない。

故に、特に急ぐような用事もないし、まだまだ俺には時間があるのだが……。

人の良くというものは醜いもので、道具があると分かってしまった以上、俺はすぐにでもその道具を手に入れたくなった。



「そうだ……アイツの存在を道具以外すべて消して、道具だけ奪ってしまえばいいんだ……。」


俺は、悪魔が自分から離れた隙に、悪魔の消しゴムを使うことにした。

悪魔が俺の側から離れる時間は限られている。

普段、俺が眠りにつく時間。

その時間は道具も使わないだろうと、悪魔は俺から離れる。


その時間は、深夜2時。


俺は、深夜2時を待ち、計画を実行に移した……。




――――――――――――――――――




ノートに鉛筆で、『悪魔』と書く。


「思えば、長いようで短い付き合いだったな……。」


あの日、俺が自殺しようとした深夜。

悪魔が俺の名前を書き忘れたことで、俺は死ななかった。死ねなかった。

しかし、あの時生き延びたことが、俺にとって大きなターニングポイントとなったのは、言うまでもない。


これから、俺の思うままの世界が幕を開けようとしているのだ。

そのための、最後の犠牲。

そう、それは俺のことを殺し損ねた、悪魔に他ならない。


「お別れだ……。」


『悪魔』と書かれたノート。

その文字をそっと、少しずつ消しゴムで消していく。

消しゴムは、この1回で終わるだろう。

最後の仕事を終えた消しゴムは、ポロポロとまるで砂の塊であったかのように崩れ去った……。



「これで、俺の時代の到来だ~~~!!!」


気持ちは高揚していた。

俺は、声高らかにそう叫んだ。



「いえ~~い!!」


久しぶりに感情を爆発させ喜ぶ俺の横で、悪魔は俺と同じように両手を頭上に突き出して見せた。


「……え?」


俺は目を疑った。

悪魔が、死んでいない。

おかしい。確かに悪魔という文字を書いて、悪魔の消しゴムでそれを消したはず。

悪魔は、驚いた表情の俺を見ると、ニヤリと笑った。


「お前……どうして生きている?」


悪魔は、俺を見ると嘲笑うかのように口元に手を当てる。


「だからぁ、言ったじゃん。私が側にいないと力が使えないって。」


そう言うと、ポケットから悪魔の消しゴムを出し、俺の方に放り投げた。

好機とばかりに受け取る俺。


「馬鹿が! 死ぬつもりか?」


「いーから消してみなよ。」


悪魔の顔から笑みは消えない。

余裕を見せていられるのも今のうちだ。

俺はもう一度『悪魔』とノートに書き、消しゴムで乱暴にこすった。


しかし、何度文字を消しても目の前の悪魔は消え去らなかった。


「どうして!!」


俺はもう、混乱していた。

悪魔はそんな俺を面白おかしく眺めて言う。


「ねー、私の名前は?」


「え……?」


その時、俺は悟った。


(本名を書かなければダメなのか……?)


混乱が、やがて恐怖に変わった。


「アンタが私を消したい理由は、良ーくわかった。でもね……。私にも、アンタを消す理由が出来ちゃったんだよね。」


悪魔は、ポケットからもうひとつ、消しゴムを出した。


「アンタ……ちょっとやり過ぎたよ。」


迷うことなく、俺の名前をノートに書いていく。


「や、やめろ……。」


「死にたかったんでしょ?都合良いじゃん。」


そして、少しずつ俺の名前を消していく。


「やめて……まだ……死にたくな……」



俺の懇願は、果たして悪魔の耳に入ったのだろうか。

それも分からないまま、俺の視界が真っ暗になった。


死んだ。

今度こそ。


視覚も触覚も消え失せ、立っているのか寝ているのかも分からない状態の俺の、おそらく耳元で悪魔は囁いた。



「『上』に、私が人間に道具を貸したことがバレちゃったんだよね。アンタがいると都合が悪い。そう、それがあなたを消した理由。悪く思わないでね。バイバイ。」



これが、悪魔の力を欲した、ちっぽけな人間の末路なのか……。



後悔する間もなく、俺は消えた。



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悪魔の消しゴム 桂木 京 @kyo_katsuragi

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