また夢で逢いましょう

acco

また夢で逢いましょう

軽い浮遊感。


真っ暗だった世界に針のような光が差し、少しずつ少しずつ広がっていく。


その光はまるで責め立てるように私を暗闇から引きずり出していく。


私は光を受け入れる直前に祈る。どうかあの夢でありますように、と。


そんな祈りを込めながらも、現実でそうするようにゆっくりと瞼を持ち上げた。




「聞こえるかい?また、会えたね。」




優しく私に語り掛ける声。安心する。


この声だけが私が夢を望む理由だから。


私は白くぼやけた世界の中で彼に向って微笑みかける。




「こんにちは、魔法使いさん。今日はどんな景色を見せてくれるのですか?」






少しずつ夢に慣れてきたようで、視界が開けていく。


白い世界だ。彼のほかには誰もいない。


でもきっとそれでいいんだと思う。


夢が私の望んだものを見せてくれるのなら。




「今日はね、僕が好きな場所にしようと思うんだ。」


「好きな、場所?」




彼は少しだけ間をおいて頷くと、ちょっとごめんね と呟いて私の目の上に軽く手を被せる。


「耳を澄ませて。」




耳元でささやく彼の声に従おうと、目を閉じて耳を澄ます。


問題は胸を打つ早鐘がなかなか治まらないことなのだけれど。


私は殊更に深呼吸をする。


落ち着いて、落ち着いて。


言い聞かせるように何度かそれを繰り返していると、少しずつ耳に音が届いていく。




「…水の、流れる音?」


「そう、もう目を開けていいよ。」




私の目の上から温かな温度が引いていく 。


後ろ髪を引かれる気持ちに栓をして私はゆっくりと目を開く。




「わぁ…。」






まるで別の世界だ。色が満ちている。


魚の姿が見えるほどに透明な川に太陽を反射して青々と生えた植物。


川の流れに交じって聞こえる昆虫や鳥のざわめきが合唱のように空間を包んでいる。


何より、今までの無機質な白い光が生命あふれる緑や水の透明さを引き立たせるみずみずしさを持った光に変わっている。


彼はいつもこんな風にいろんな景色を見せてくれる。まるで魔法使いのように。


私は思わず息を吸うのも忘れてその空間に見惚れてしまっていた。




いつまでそうしていたのか。


彼が私を嬉しそうに見つめているの気づいて、私はあわてて話しかける。




「あ、あの、とても素敵ですね。」


「ああ、そうだろう?ここは、…大好きだった場所なんだ。」




そういう彼は笑顔を見せる。


そこに少しだけ哀しみを含んでいるように見えたのは私の見間違いだろうか。




「何か思い出のある場所だったのですか?」


「…そうだね。とても大事な思い出がある場所なんだ。」




それは一体どんな思い出なのか。




そう問いたい気持ちを言葉に換えようとしたその時、


今までの光景が急速に白んでいく。


元の世界に引き戻そうとするように周りがぼやけ、その存在を消していく。


どうやら時間切れのようだ。




「ごめんなさい、私そろそろ目が覚めてしまうようです。」




なんて早い。もっともっと話したいことは山ほどあるのに。


いつもこの夢を見るときは時間が足りない。




「…そうか。」




彼は一瞬悲しそうな顔を覗かせたが、すぐに元の笑顔を見せる。


そしていつも最後にはこういうのだ。




「大丈夫。また会えるから。必ず、きっとね。」




すでに彼の顔はぼやけて見えない。


光が暗闇に変わろうとしている。


ああ、だめだ。まだ私は彼に聞かなくちゃいけないことが残っている。


私は意識が遠のきそうになりながらも、気力を振り絞って声を出す。




「あ、あの、…あなたの、名前を教えてくれません、か。」




彼はどんな顔をしているのだろうか。私の声は届いたのだろうか。


だめだ、もう見えない。黒い闇の底に景色は消え去ってしまっている。


そこで私はかすかに聞いた。




「…僕の、名前は─────。」




そうか。やっと聞けた。


何度も会っているのに名前を知らなかったのだから。


これでやっと名前を呼べる。


魔法使いさん ではなく、あなたの名前を。




かすかに残った意識の中で、私は祈る。


また夢で逢えますように、と。






─────でも、どうして私は彼の名前を知らなかったのだろう。









また、夢の中だ。そう私は直感した。


しかし、それが望んでいた夢ではないことにもすぐに気づくことになった。




暗い。あたりは真っ暗で何も見えない。


視線を動かし、辺りを窺うが何かが動く気配はない。


誰も、いない。もちろん彼の姿も。




遠くで断続的な音が鳴り続け、逆にこの空間の静けさを強調する。


それが私の恐怖心を駆り立てた。




怖い。ここにいてはいけない。




そんな思いが浮かび、すぐに私は身体を動かそうとする。


しかし、できない。


どうしても上手く身体を動かすことができず、私は身体を横にしてしまう。


息が上がる。怖さのせいだろうか。胸が苦しい。


胸に手を当て、必死に自分を落ち着ける。


息が整ってくると、ふと右腕に軽い痛みを感じた。


何かが引っ掛かっている。


身体全体をよじり右腕に絡む何かから引きはがそうとするが、まるで鎖のようなものが巻き付いているのかびくともしない。



怖い。怖い。



私は恐怖心から体をばたつかせる。


しかし、まるであざ笑うかのように何かは右腕を掴み離さない。




私は何かに囚われているのか。何のために。


いや、そもそも夢に意味などない。


どうしてこんな見たくもない夢を見させられないとならないのか。


私が何をしたというのだろう。




そんなとりとめのない考えがぐるぐると頭を回る。


そのたびに大きな氷の塊をそのまま飲み込んだような冷たい恐怖が私を襲う。




いやだ、助けて。お願い、助けて。




そう願いながら心に描く彼の姿に乞い願う。


そして気づいてしまった。




そうだ。私は。




まだ、彼の名前を知らないんだ。






どうして彼の名前を聞かなかったのだろう。


一番そばにいてほしい人の名前を呼べない。


どうして。




せめて、と私は彼の言葉を思い出す。


また、必ず会えるよ。


そういった彼の言葉を思い出し、必死に目を閉じる。


次に見る夢はきっと彼がいる。そう信じて、必死に彼の姿を心に描く。


これを乗り越えれば、きっと。きっと。




夢が終わるのを願い続ける時間はあまりに長く私を蝕むけれど


いつの間にかその夢もさらに暗い闇の底に沈んで溶けていった。













ああ、光だ。私を蝕む暗闇じゃない。


よかったと安堵したが、なにかおかしい。


彼がいない。


いつもなら私に はにかむように笑いかけて また会えたね、って言ってくれるのに。




消えたはずの恐怖を感じ始め、目線を動かす。


目線の端に彼の姿が映る。


どうやら自分のすぐ隣にいたみたいだった。


思った以上に近くにいる彼の姿に思わずびっくりしてしまったが、


よかった。彼はいた。




あの、と声をかけようとしたが少しずつ晴れていく視界が彼の表情を映したとき


私は発する声を飲み込んだ。


彼は真剣にそれでいて何かを耐えるような表情をして私の右腕を撫でていた。




どうしよう。


どうしてそれほど真剣に見ているのか。


声をかけたほうが良いのだろうか。


そんなことを思いつつも私は声をかけられないでいた。




もう少しだけこうしていたい。




そんな思いが先に立ち、じっと彼の顔を見つめる。


どうか私が彼を見ていることに気づきませんように。


そんなことを願いながら。




そう思っていると彼が顔を起こし、目が合ってしまう。


瞬間的に彼は私から手を放し、顔をそむける。


赤らんだ顔を隠そうとしているのだろう。


もう少しだけそむけたままでいてほしい。


そう思った私の顔はきっと彼よりもずっと赤らんでいるだろうから。




「ごめん、いやだったよね。」


「いえ、そんなことは…。」




そんなことはない。と言おうとして思いとどまった。


否定することは好意を伝えているのと同じに思えてしまったから。


別にそれは悪いことではないけれど。


どうしてもためらってしまう。




お互いに無言の時間が続く。


沈黙に耐えかねたのか照れ隠しをするように笑って彼は言う。




「今日はね、僕の大切な思い出の場所を見せようと思うんだ。」


「え、えっと、大切な場所って…。」


「ああ、この前とは違う場所なんだけど、…そこも僕の大切な場所なんだ。」




そう言って、私の目の上に軽く手を被せる。




少しして、手を離れていくのを感じ、ゆっくりと目を開ける。




前と同じ風景だった。


流れる川に緑豊かな植物。


何か違ったところがあるだろうか、と私は視線を動かす。


でも何が違うかわからない。




「あ、あの、ごめんなさい。前回と何か違うのでしょうか。」


私は正直に彼に質問した。


一瞬彼は何を言われているのかわからないという表情をしたが、景色をのぞき込むと




「あっあっ、ちょっと待って。これじゃなかった。」


と慌てだす。




そんな慌てた姿を見たのは初めてで思わず私は吹き出してしまった。


取り繕ってはいたが、まだ彼も動揺していたのかもしれない。


そうだったら嬉しい。そうだったらいいな。




彼は一つ咳払いをすると、指を立て指揮棒を振るように空間をなぞる。




まるで魔法のように一瞬で景色が入れ替わる。


満天の星空だ。


星々がまるで宝石のように光り輝き、手が届きそうに見える。


なんてきれいなのだろう。




ふと彼を見ると、何かを思い出すような顔をしてじっと星を眺めていた。


大切な場所、そう彼は言っていた。


「ここは、大切な場所だって言っていましたよね。どんな思い出があるんですか?」




思わず私は彼に問いかけていた。


彼は少し驚いた顔をして、言葉に詰まる。


「ここは…えっと、そうだな。…僕が魔法使いになるきっかけの場所、かな。」




そう言ってまた少し悲しそうな顔で笑いかける。


魔法使いになるきっかけとはどういう意味なのだろう。


どうして彼は悲しげな顔をするのだろう。


もっと知りたい。彼のことを。


もっと。もっと。




さらに言葉を紡ごうと口を開いた瞬間、空間が白みだす。


いつもの夢から覚める前の予兆だ。


そんな、おかしい。いつもならまだ時間はあるはずなのに。




思わず彼を見る。


彼は一瞬きょとんとした顔をしていたが、何かを察したのか顔を曇らせる。


「大丈夫だよ。また会えるから。きっとまた、…必ず。」


そういう彼の声はまるで祈りのようで。




いつもよりも暗闇が迫るのが早い。


もはや口すらも動かせない。


ああ、まだ伝えたいことがあるのに。聞きたいことがあるのに。




あなたの名前を教えてほしい。


名前で呼ぶことができるように。


次の夢で必ず会えると信じられるように。


どうか。どうか。




想いは言葉にならず、急速に迫る闇の中に意識ごと飲み込まれていった。














「……眠った、かな。」


僕は持っていた端末の電源を落とした。

昔は毛嫌いしていたはずの その端末をみて、僕は自嘲気味に呟く。


「やろうと思えばできるものだな…。」


最初のころは何をどうしていいのかわからず、孫や息子たちにはずいぶんと苦労を掛けた。

今では彼女に見せるために必要な写真や動画は誰かに聞くこともなく調べられる。


僕が魔法使いであるための生命線だ。


一つ息をついて、僕は彼女の細く枯れた右腕を見る。

皮がめくれ、赤くなってしまっている。


前日の夜に目を覚ました彼女が暴れたらしいと看護師から話を聞いた。

きっと自分の腕に巻かれた布を見てパニックになってしまったのだろう。


そっと彼女の腕をさする。


仕方がない。

それでも夜間の拘束をとるわけにはいかない。

今の彼女が病院のベッドから落ちでもしたら命にかかわりかねないのだから。


僕はテーブルに置かれた拘束具を見た。


何のことはない、ただの布切れだ。

それをベッドガードに軽く括り付けただけ。

それでも今の彼女にはもう、解けない。


いつからだっただろうか。

彼女が現実のことを『夢』と呼ぶようになったのは。


会う度に一つ一つ彼女は記憶を、過去を、手放していった。


今では彼女は覚えていない。


二人で育った田舎で遊んだ川や森のことを。

将来を誓った星空の景色を。

僕の、名前すらも。


それでもいい。

彼女が忘れてしまったのなら、僕はまた彼女と恋に落ちよう。

君が望むのならば魔法使いにだってなってみせる。

僕は彼女と一生を誓ったのだから。


だけど、それでも。


すでに現実で起きている時間よりも、眠っている時間のほうが長い。

彼女にとっては既に此方のほうが夢なのかもしれない。

夢に引き留め続けるのは、正しいのだろうか。

彼女をいたずらに苦しめているだけなのではないのだろうか。


わからない。これは自分のエゴなのかもしれない。


それでも逢いたいんだ。

どうしてももう一度。


だから僕は彼女の頬にキスをして、いつものようにこう告げた。




「また、『夢』で逢いましょう。」

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