02:話せば分かると言って本当に分かり合った試しはない

 



 特別なきっかけなんてない。

 結局は、色んな偶然と必然が、タイミング悪く重なってしまっただけだった。




「どォォォォォォォォォォああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 全速力。

 腹の底から雄叫びを上げながら、町外れにある森の中を無我夢中で突っ走る一人の少年がいた。


 年齢は十代後半。背丈は平均的。日頃から畑の世話をしている都合上、多少は筋肉質だが、それ以外に大した特徴はない。

 彼の持つ茶髪と赤目なんてまさに一般的。ここ、『アミューゲル王国』では東西南北の端から端まで、どこに行っても茶髪や赤目とすれ違う。


 そんな凡庸一色の少年・ハルトは、ほとんど泣きながら森を駆け抜ける。

 逃げる。とにかく逃げる。

 追い付かれたら、確実に殺される。


「んぬぉあああああああああああああああああなんでこうなったクソぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんがあああああああああああああああああ!!」


 なんでも何も、特に理由なんてない。

 言ってしまえば、ただの偶然と必然がタイミング悪く重なってしまっただけだ。

 当然それは、現状とて例外ではない。

 そう、たとえそれが―――





 、だ。





『グルルルルルルルルルァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア『ゴガアアアアアアアアアアアアアアア!!』アアアアアアアアアアアアアアア!!』『グォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオ『ゥゥゥゥゥルルルルルルッ! グルルルルルルル『ブォアアアアアア!! グァルルルルルアアアアアアアアアアアアアア!!』ルルルルルウウウウウ!!』『オオオオオオオ!!』『ガァァアアアアアアアアア『ブワウ!! グォアアアアウ!!』アアアアアアアアアアアア『ギャゴオオオオオオオオオアアアアアア!! ガルルルルルルァァァアア『グルァ!! ガルア!! グルルルルアッ!! グルァ!!』アアアアア!!』アアアアアアアアアアアアアア『ガルルルルル!!』アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』


 ……なんて。


 魔獣の大群から一斉に放たれた咆哮は、もはや一つに凝縮された大音響として森全体を揺さ振っていた。

 空気がビリビリと震える。音の衝撃だけで木々が少し揺れる。

 恐ろしい爆音に思わずビビり、足元が狂って転びそうになるハルト。


 そんな彼の背後から、迫る。


 黄金の毛並みを逆立てた、『獅子』のような魔獣の群れが。

 森の草木も、大地も、岩も、動植物も、触れたものを軒並み踏み潰し、突き倒し、食い破り、吹き飛ばし、薙ぎ払い、進行方向の全てを破壊しながら。


 ハルトに向かって一直線に、迫る。


『『『『『『『『『『グォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』』』』』』』』』』


「うわあああああああああああああああ!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! ごめんなさあああああああああああああああい!!」


 なんで追いかけられているのか分からなかったが、こうなったらもう謝るしかなかった。

 迫り来る魔獣を視界の端で捉えつつ、ハルトは心の中で「なんでこんな事になったんだ!」と繰り返し己の運命を呪う。


 しかし何度も言うが、特別な理由があるわけではない。

 込み入った事情もなければ、誰かの思惑があったわけでもない。

 一つ一つの偶然と必然が、タイミング悪く重なってしまっただけだった。


 一つ目。

 王都の近くにある寂れた土地で、ハルトが細々と農業を営んで生活していた事。


 二つ目。

 しかしここ最近の凶作のせいで、深刻な食料不足に陥っていた事。


 三つ目。

 彼の農地のすぐ近くに、たまたま自然豊かな森林が広がっていた事。


 四つ目。

 農作物だけじゃ飯の足しにもならないので、食べられそうなものを探しに、その森へ入ってしまった事。





 そして、五つ目。

 その森の一ヵ所が、獅子型魔獣『キマイラ』の縄張りであると気付かず、勝手に足を踏み入れてしまった事。





 こうして、ハルトは縄張りを荒らされたと勘違いしたキマイラ達の怒りを買い、追いかけ回される羽目になったのだった。


「いで! いででででででで!」


 走っている最中、木の枝で皮膚を引っかきまくる。あちこちから血が滲む。

 気付けば靴も片方消えていた。足の裏がすごく痛い。石や木片を踏み過ぎて、皮膚がズタズタになっているのかもしれなかった。最悪だ。不幸過ぎる。

 それでも。


『グルルルルルルルウウウウッッッ!!』


「ひっ!?」


 死にたくないから、走り続けるしかない。

 木々を潜り抜け、草の波をかき分けて、死に物狂いで逃げ続けて―――

 突然、バッ! と広い場所に出た。


「な!!」


 そして、立ち止まった。


「嘘だろ!?」


 思わず叫ぶ。

 しかし叫んだところで現実は変わらないし、嘘だった事にもできない。

 ハルトの目の前に現れた、も、無かった事にはならない。


『ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ……!!』


 予想よりも近くから聞こえてきた唸り声に、ハルトは咄嗟に振り向いた。

 そして見た。

 自分を囲むようにびっしりと、ほぼ隙間なく並んだ魔獣の群れが、木々の奥からゆっくり現れるのを。


 雄々しいたてがみ。その隙間から覗く凶悪な眼光。しめ縄のように太い四本脚。体の後ろ半分を覆う刃のような鱗。

 そして肉体後方から伸びてくる紐状の物体は、長い尻尾……などではなく、意思を持って動く本物の『大蛇』。


 獅子型魔獣・キマイラ。

 そんな魔獣の大群が、圧倒的な野生として目の前に立ちはだかっていた。


「ど……どうすんだよこれ……っ!」


 そんな事を言っても、どうしようもないのだ。

 ジリジリと距離を詰められ、ハルトは完全に袋の鼠。後ずさりで下がろうとするものの……すぐに背中が岩肌のゴツゴツした感触を捉える。

 もうダメだ。下がれない。逃げられない。振り払えない。



 本当に、どうする事もできない。



「まっ……待ってくれ! 話せば分かるから!」


『『『『『『『『『『ボグルルルルルルルルルルルゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』』』』』』』』』』


 決死の言葉は届かなかった。

 魔獣の大群が一斉に雄叫びを上げ、ぐっ! と身を沈ませる。

 爪を立てる。牙を剥く。

 元から筋肉質な脚をさらに膨れ上がれせ、瞳を輝かせ、そして―――


「あっ、待……!!」


 少年一人に。

 野生の猛威が殺到する。


「うわぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 その時だった。


















 グラリ……と。


 ハルトの背後の岩肌が、唐突に動いた。























「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 時間が止まった。……ような気がした。

 時間ではないが、全ての動きは止まっていた。


 今にもハルトに飛びかかろうとしていた魔獣の群れは、ギラついた両目を真ん丸に見開いて、皆一様に石化したみたいに動かなくなっていた。

 ハルトもハルトで同じく石化。自分の背後の岩肌が、明らかに『意思』を感じさせる脈動を起こした事に、思わず叫ぶのをやめて目を見開いていた。


「…………」


 そーっと……。

 少年は恐る恐る、後ろを振り向く。








 


 というか、








「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」


 青、赤、緑、黄、紫、紺、橙、白、とにかく無数の色に輝く『瞳』があった。

 ただし、

 それがゆっくり、岩と岩を擦り削るような音と共に、大きく一回瞬きをした。

 ハルトがそう認識した直後だった。



 ズズゥゥゥゥゥン……!!!!!! と、足がフラつくほどの地響きが鳴る。



 本当に足元が狂って尻もちをつく。ハルトはそのまま呆然と頭上を見上げる。

 周囲のキマイラ達もハルトと同じく唖然のツラ。獲物がすぐそこにいる事も忘れ、仲良く一緒に空を見上げていた。


 その時、


 木々が地上ごと宙に浮き、驚いた鳥が一斉に羽ばたいていく。木の根がブチブチと引き千切られ、バラバラと空から土の塊が降ってきて、一瞬にしてハルトと魔獣達の前に岩の壁が出来上がった。

 いいや、それは壁じゃない。岩石で形成された『脚』だ。

 そう気付いた頃には、『ソイツ』は堂々と立ち上がっていた。





 全長、おそらく数キロメートル。


 それほどの巨体が、十本の脚で立ち上がっていた。





 体の表面を、岩石と鉱物で覆った生物だった。

 背中に森そのものを背負い、長い首の先端には『龍』の頭部を抱えた、大樹ほど太い十本脚を持つ何か。全体的なフォルムは亀に似ているが規模が違い過ぎる。その巨体は、小さい町や村なら簡単に覆ってしまいそうなレベルだった。


 そんな神話的な『魔獣』が。


 悠然と、もはや世界の全てを見渡せるような高度から。

 森羅万象何もかもを見透かすような無限色の瞳で。

 地上の一切合切を睥睨へいげいしていた。


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………な、ん……」


 声を出す事もはばかられるような威圧感に、ハルトもキマイラ達も、遥か頭上を見上げながら目をパチクリさせるしかなかった。

 しかし、どれだけ神話的であろうが、相手は生物。


「……へ?」


 当然、そのままじっとしてるわけもなく、


「……ちょ……わ、うわ、うわっ、うわっ!?」


 ブォォォォォォォアアアアアアアアアアアアア!!!!!! と。

 空気を押し退けるような音と共に、ちょうどハルトの目の前にあった太い脚が、鈍重な動きで真上に上昇していく。


 その魔獣が、一体何をしようとしていたのかは分からない。普通に歩くつもりだったのか。それとも邪魔な小虫を払うような動作だったのか。

 詳しくは分からないが、一つだけ分かる事がある。



 こんな太い脚を、こんな至近距離で振り下ろされたらどうなるか。



「待て……待て待て待て待て待てちょっと待てええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」


 絶叫したのはハルトだけじゃなかった。

 キマイラの群れも同じように『キャウン!』だの『クルルア!』だの情けない声を上げて、振り上げられた脚から遠ざかるため一目散に逃げていく。


 だけど、もう遅い。


 四本脚で疾走するキマイラ。そんな四足獣を追い越す勢いで爆走するハルト。

 それら有象無象を嘲笑うかの如く、巨大な脚はあっさり地面に叩き付けられた。

 直後の出来事だった。




 なんていうか、もう、全部飛んだ。




 ほとんど隕石の衝突。

 巨大な質量が地面に着弾した衝撃波で、森を形成していた大樹も、大地を覆っていた草の海も、周囲にあるもの全てが丸っと根こそぎぶっ飛ばされていた。


 キマイラの群れも一匹残らず晴天の星になった。

 そして当然のように。

 たかだか一匹の農民風情が、そんな衝撃波に耐えられるはずもなかった。


「んばあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 ハルトは最初、自分が吹き飛ばされている事に自覚がなかった。

 視界が白い。景色がグルグル回っている。そうしている間にも地面との距離はどんどん離れていき、気付けば少年は遥か上空―――脚一本を収めるだけで精一杯だった魔獣の、その全身を視認できるくらい高く遠くに吹き飛ばされていた。


 こうして見るとなお恐ろしい。

 その魔獣の頭部は、もはや空に浮かぶ雲の中にまで埋まってしまっていた。


 神話的な魔獣は、そのまま優雅に歩く。

 一歩一歩で大地を震わせ、空気を押し退け、船の如く雲を裂きながら。

 規格外も規格外。まるで山脈そのものが意思を持って動いているかのような、強烈な光景がそこにあった。


 ……が、今のハルトには、そんなものにいちいち驚いている余裕はなかった。


「ふぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 無理だ!! 無理だ!! 死ぬっ!! 死ぬうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!」


 青く澄んだ真昼の空を、華麗に横切る謎の影があった。

 隕石少年、ハルトである。


 恐怖に叫び、手足を暴れさせ、しかしどうする事もできずに涙を撒き散らすしかない流星のハルトは、「川の上にでも落ちなきゃペチャンコになって死ぬ!」と、自由の利かない体でなんとか落下先を確認。


 仮に助からなくても、せめて死地くらいは自分の目で確かめたかった。

 と、その時だった。


「あれ……あれ!?」


 神は見捨てていなかった。

 ちょうど落下していく軌道の先――――ハルトの視界に映ったのは、緑の木々に円形に覆われた謎の空間だった。

 その空間の真ん中で、キラリと光る鏡のような何かがある。




 泉だ。

 ちょうど落ちて行く方角に、巨大な水溜まりがあったのだ。




「うっ、うおおおおおおおおおおおおお!! 掴んだ!! 一筋の奇跡!!」


 不幸中の幸いとはまさにこの事だ。

 それこそ奇跡のような幸運に、ハルトは心の中でガッツポーズ。そして調子こいて神への祈りなんて捧げてみせる。

 助けてくれてありがとう神様、この御恩は必ず返します……と。


 でも。だけど。


 果たしてそれは、本当に幸運だったのか。


 神様という奴は、そう簡単に幸運を賜ってくれるものなのか。


 あるいはそれは、結局、いつも通りの不運と不幸でしかなかったのか。




 こうしてハルトは、自分の向かう先が幸か不幸かも分からないまま、森の奥にある小さな泉に向かって、隕石のように突っ込んでいったのだった。




















 この時の少年は、まだ知らない。


 自分が突っ込んでいった泉では、一人の少女が優雅に水浴びをしていた事を。


 そして数秒後、彼の視界が肌色一色で埋め尽くされる事を。


 さらにその数秒後、彼は再び大空に吹き飛ばされてしまう事を。






 そして、さらにそれから数日後。

 彼は自身の名誉を賭けた、正真正銘の『戦争』に巻き込まれてしまう事を。














 何度も言うが、これは決して特別なきっかけなどではない。

 結局は、あらゆる偶然と必然が、タイミング悪く重なっただけに過ぎないのだ。





 

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