03:変態だから全裸なのか、全裸だから変態なのか


 

 わあ~! お肉がたくさんだ~!



 あっちのテーブルにも、こっちのテーブルにも、油でテラテラに光り、こんがり綺麗に焼き上がり、香ばしい匂いを立ち昇らせるお肉達がズラリと並んでいた。

 分厚く切り分けられたお肉。骨が付いた塊のままのお肉。なんか美味しそうなソースをかけられたお肉。野菜と一緒に盛り付けられたお肉。


 その光景たるや。

 視界に飛び込んでくる、極悪的な幸福空間たるや!



 やった~! お肉だお肉だお肉だ~!


 すご~い! お肉なんて何年ぶりだろう~!


 ん~! おいしい~! 食べても食べても全然減らな~い!


 し~あ~わ~せ~!!!!!!











 ぴちょん。












「んがっ……」


 頭に水滴が落ちる衝撃で、幸せな夢から目が覚めた。

 夢うつつに目蓋を開け、視界も意識もボンヤリさせ、ハルトは「肉……」と。

 脳裏にコンガリジューシー肉祭りの幻影を描きながら、しかし現実にはどこにも肉が見当たらず、「なんだ?」と周囲を見渡そうとして、


「つっ……。……あれ」


 体に痛みが走ったのは一瞬。

 思わず身をよじろうとして……なぜか体が全く動かない事に気付いた。

 ほんの少しドキリとしたが、しかし見てみれば何の事はない。単にだけだと知る。


 なーんだ、これのせいか。よかったよかった。

 ハルトはホッと一安心。そのままもう一度瞳を閉じる。さて、再び夢の中で、無限に広がるお肉パーティを存分に楽し――――


「は?」


 眠気が一瞬で消し飛んだ。

 ……鉄の枷? なんだそれ? 急に現実に引き戻され、目を見開いたハルトは焦ったように辺りを見回した。




 そこは、薄暗くて、狭苦しい、空気が淀んだ場所だった。




 広さはおよそ六メートル四方。藁小屋暮らしの農民からすれば十分なスペースだったが、とてもじゃないがここに住もうだなんて思えない。

 土が丸出しの石の壁。水が滴り落ちる脆い天井。汚いトイレが一つと、おそらく寝床として柄うであろう薄いボロ布が一枚。


 そして何より、黒く錆び付いた鉄格子。


 太陽の光は差し込まない。唯一の光源は鉄格子の向こう、細い廊下にぶら下げられた簡素なランプのみ。

 まさに『人を閉じ込める』ためだけの場所。

 それを明瞭に分からせる独特の雰囲気。


「……嘘だろ……」


 嘘でもなんでもない。

 数分してようやく、ハルトは事実を理解した。


 ……いや、だから、意味が分からないのだが……。

 受け入れがたい現実に、一瞬、自分は悪い夢を見ているのだと思い、


「ああ! 夢だったのか!」


 叫んでみた。

 が、やっぱり夢ではなかった。

 それどころか、時間が経てば経つほど寝ぼけた頭はクリアに冴えていき、


「現実か……」


 もう、認めるしかないのだった。

 しかしそれにしたって、だ。牢屋? 拘束? つまり罪人扱い? なぜ? どうして? どういう事? ―――善良な一般市民(自称)は混乱の極みであった。


 まずもって、自分が『こう』なった経緯が微塵も思い出せない。


「待って。なんで……だって確か魔獣に追われてて……」


 深い森の中。走る自分。追いかけてくる魔獣。背後から轟く咆哮。殺気。

 そして、見上げるように巨大な『何か』。

 それが脚を振り上げ、振り下ろし……衝撃波。吹き飛ばされる自分。成す術なく落下する自分。そして……。


「……なん……だっけ……」


 そこから先の記憶がスッポリ綺麗に抜け落ちていた。

 多分その先に『こう』なった原因があるのだが、どれだけ頭をひねっても全く出てくる気配がない。


「……うん! でも生きてるなら大丈夫! なんとかなる! だいじょーぶ!」


 記憶がないまま獄中という、常人なら慌てふためいてもおかしくないこの状況。

 しかし、不運と不幸の申し子は一味違った。

 見よ、この出で立ちを!

 まるで自分から牢屋に乗り込んでいったかのような、この堂々たる姿を!


「今さら今さら! 理由も分からず牢屋送り程度じゃ何も驚かないぜ!」


 誰かに言っているわけではない。完全に自己暗示だ。そうでもしないと心が壊れてしまう。


 ……不運や不幸に愛されている自覚はあった。

 だからこそ、厄介事を回避する能力だけは必死に磨いてきた。

 そうやって、これまで多くの苦難を乗り越えてきたのだ。



 ある時なんかは、ただ道を歩いていただけで『竜車』に轢き潰されるし。


 ある時なんかは、畑を耕しているだけで野鳥の群れに襲われて農作物を全部持っていかれるし。


 またある時なんかは、欠片も身に覚えのない冤罪をかけられて、衛兵に十時間くらい尋問されるし。



 そういう数え切れない困難を、なんとかギリギリで乗り越えてきた。



 ハルトはずっと一人だった。親も兄弟も友もいない。だから一人で生きられる力を必死こいて身に付けてきたのだ。

 手探りで農業を始め、試行錯誤の果てにようやく畑仕事も板につき、商売もそこそこ上手くやり、なんとか自分の生き方を見つけられたと思ったのに。


「気付きゃあ牢屋にぶち込まれておりましてってか! いいぜ上等だやってやらあ! 尋問も拷問もどんと来ーい! あはははは! ははは……は……」


 アホか。

 こういう事になるのが嫌だから頑張ってきたのに、最終的にはこうなるのか。


「はああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁ……」


 自覚はしていた己の不運と不幸。まさか、これほどとは。

 お先真っ暗どころか、すでに闇のど真ん中。両手両足を壁に繋ぎ留められた牢屋の中で、ハルトは溜息をつく。


「……これからどうなんのかな、僕」


「何を悩んでいるのですか?」


「ほわああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 独り言にあるはずのない返事が飛んできて、ハルトは驚愕の悲鳴を上げる。

 その悲鳴に、返事の主も驚いたらしい。「ひゃーお!」と猫みたいに跳び上がり、ハルトの向かい側にある牢屋の鉄格子にしがみ付いて、


「あああああわわわわわわわわわわわ!? なんて凄まじい気迫なのですか! さすがは上空からのダイビングで『姫様』の裸を覗こうとした変態さんなのです! 高度です! 性の欲求が実に高度なのです! これが噂に聞く変質者! とっ、とてつもない神秘を感じるのですよ! ……じゅるり!」


「お、おう、ごめん、ちょっと驚き過ぎた。……神秘?」


 高鳴る心臓を抑えつつ、ハルトはその声の主をようやく視界に入れた。


 鉄格子の向こう側でコチラを眺めているのは、白衣姿の少女だった。

 身長もそこそこ高く、顔つきも成熟に近い。見た目は十八歳かそこらだが、全体的に柔らかそうな雰囲気が、彼女の印象を実際よりも幼く感じさせている。


 ふんわりとした栗色の髪と、同じ色の瞳。

 ふっくらした輪郭。豊満な胸。艶めくような生足。


 そして、白衣の隙間からチラリと覗く、』。

 うんうん、これはなんとも目の保養になって――――


「は?」


 生足? 地肌? どうしてそんなものが見える?

 まさか服だけを透視する特異技能でも身に付いたのか?

 なんというご都合主義! ……というわけではもちろんなく、


「へ、変態さんが、パーシェの体を舐め回すように見ているのです! なんていやらしい目つきなのですか! はっ! ま、ままままままさか変態さん、パーシェの体に欲情しているのですか!? そんな……『姫様』の裸体に飽き足らず、パーシェにも変態的欲求を満たそうと!? そ、底知れぬ性欲です! これが男! 人間の雄! かっ、解剖してみたい……! 実験してみたいのですう!」


 一人で勝手に盛り上がり、一人で勝手に興奮し、しまいにはハルトを解剖する算段まで立て始めた彼女は、何を隠そう―――

 というか、何も隠されるものがないくらい。




 あろう事か、ほとんど全裸白衣であった。




「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 まさに全裸に白衣を着たままの成りで、少女は鉄格子の向こうに立っていた。

 かろうじて胸と下腹部は申し訳程度の布で覆い隠しているが、それだってもう、あって無いようなものだった。


 なんなら見える。っけ透けである。

 いっそ布の凹凸で全部見えている。本来隠されるべきあちらこちらが。


 ナイスバディーな女性の体が、ハルトの網膜に飛び込んで来る!


「な……っ!?」


 言葉を失うしかなかった。

 だから、失いかけの語彙力で、彼は全力でツッコんだ。


「何なんですかチミはあ!?」


 失いかけというか、ほとんど無いも同然だった。

 そして女性の裸に対する耐性も無かった。

 心臓がすごい勢いで跳ねまくる。血流の速度も跳ね上がる。その影響か、ハルトは己の下腹部で、何かが熱を帯び始めるのを感じていた。

 ……何かがナニとは言わないが。


「な、なななななななななななんだねそのエロい格好はあ!? 一体全体これは何がどういう……くっ! し、視線が吸い寄せられるぅ……!!」


 一応ハルトは紳士のつもり。ほぼ全裸の少女から視線を外そうとするものの、悲しいかな、オスとしての本能が邪魔をする。目を逸らそうと思えば思うほど、彼女の方へと視線が動く。


 何より凄まじいのは、彼女の扇情的な身体つきだ。


 柔らかそうな肉質。女性特有の脂肪の蓄え方。外から見える肉付きだけでもこうも艶めかしいというのに、『完璧な全裸ではない』という部分も最高にいやらしい。

 ほとんど見えてしまっているとはいえ、ある程度の布を身に付けているだけで、無駄に豊富な男子の想像力をこれでもかと刺激する。


 あの布の向こう側はどうなっているんだろう。どんな形状をしているのだろう。どんな世界が広がっているのだろう。

 そういう想像力こそが、人類の人類たる所以だ。彼らが他の生物と一線を画す要因とは、すなわちこの想像力だと言っても過言ではない。


 やっぱり人間の想像力って偉大だなあ。

 うんうん。


「はっ! 何を冷静に分析してるんだ僕は!」


 少女のエロさを丁寧に描写している場合ではない。

 このままでは、あまりのエロさに己の中の『檻』が解き放たれ、下腹部の方から熱い何かが飛び出してしまうかもしれなかった。

 ……何かがナニとは言わないけど。


「お嬢さん!? 何がナニやら分からないがとにかく服を―――」


「ふぉぉおおおおおおおお!? しゃべった! 変態さんがしゃべったのです!」


 ガシャアン!! とすごい音を立てて、全裸白衣の少女はハルトのいる牢屋に鉄格子に思い切り飛びついた。

 そりゃ人間だから喋るだろ……。そうツッコみたくなる衝動をぐっと抑えて、


「頼む! 君がどこの誰かも分からないし! 僕も自分の状況がいまいちよく分かってないけれど! まずはもっと文明的な服を着てくれ! じゃないと僕、もうなんか色々と我慢ができなくなりそうなんだ!」


「はっ! これはまさかパーシェと意思の疎通を図ろうと!? なるほどです! これほど高次元の変態に成り果てた雄でも一定の理性は保っているのですね! メモメモ……ああメモするものがない! パーシェ、一生の不覚!」


「あんたが一番意思の疎通を図れてないよ!」


 気付けば普通にツッコんでいた。


「なんでもいいから服を着てくれ! 僕のアレが弾ける前に!」


「むっ、こうなったら仕方がないのです! 何が何でも!」


「だから話を聞――――じっけん?」


 少女の中でハルトがどういう扱いなのかは知らないが、どうやら少年の言葉など、彼女の鼓膜には全く届いていないようだった。


 というか……え、なに、どういう事?

 じっけん?

 実験!?


「なになになになに!? 実験!? 僕これから何をされるの!?」


「ふふふ、そう怖がらなくても大丈夫なのですよ、はい……。ぜーんぶパーシェにお任せくださいなのです、はい……」


「全部お任せしたら実験されんだろうが! だから何なの実験て!」


「ご安心を! 痛いのは最初だけなのです!」


「痛くなる感じのやつなの!?」


 逆に痛くならない感じの実験なんてあるのかどうかは知らないが、とにかく痛いのは嫌だった。


「や、やめろ! 思い直してくれ! ついでに己の格好も見つめ直してくれ!」


「見ているです、よぉぉぉぉぉぉぉぉく見ているですよぉ。ああなんて神秘的……産まれてこの方お父様の老いぼれた肉体しか目にこなかったのですが、今、ようやく! 若い男が目の前に! しかも噂に伝え聞く変態さんの肉体なのですう!」


 全裸白衣は暴走状態だった。


「なんて魅力的な筋肉! 太く角ばった骨格! 地を這うような声の低さ! 女性とはまるで違うのです! ああ見たいっ! 中身まで全部調べて舐め回したいのですう! 瞳の味はどうなのですか!? 男も妊娠するのですか!? 脳の構造はどうなっているのですか!? 穴と棒は何個ずつなのですか!? むっふううううううううう!! こ、コーフンしてきたのですうううううううううううううううう!!」


「ダメだ聞いちゃいねえ……!!」


 大きな栗色の瞳をギラギラに輝かせ、荒い息に鼻を膨らませ、ヨダレを垂らして鉄格子の間に顔をねじ込み始めた少女はもう止まらない。今にも鉄格子を突き破り、内側に入って来そうな勢いだった。

 だが、しかしだ。


「こ、興奮しまくってるとこ悪いが残念だったな! 君は僕には手を出せない!」


 体を狙われたハルトは、それでも強気に啖呵を切る。


「見ろ! その頑丈な鉄格子を! 君が一体全体僕に何しようとしてんのか分からんけど、それがある限りコチラには入ってこれまい! つまり! 君は僕に恥ずかしい全裸白衣姿を見られ続けるしかないのさ! 僕に手を出したくばその鉄格子を超えてみる事だね! あはははははー!!」


「こんな事もあろうかと、パーシェ、牢屋の鍵をお預かりしているのです」


「終わりだあああああああああああああああああああああああああああああ!!」


「はいガチャンと」


 まるで自宅に入るかの如く、全裸白衣の少女は当たり前のように牢屋の鍵を開けて中まで踏み入ってくる。


「ふひっ、ふひひひひひひひっ……! 観念するのですよ変態さん、すでにパーシェの射程圏内なのです……!」


「何かが飛び出す感じのやつなの!?」


 飛び出そうが飛び出さなかろうが、実験される事は確定だった。


「まっ、待ってくれ! 落ち着け! 早まるな! 今ならまだやり直せる!」


「心配ご無用です! やり直す気も起きないほど、この一回で味わい尽くしてやるのです!」


「安心できるか! せ、せめて五回戦ぐらいの分割払いで―――」


「そんなの我慢できないのです! 男の体、いざ! 貪り尽くしてやるのです!」


「うわああああああああああああああああああああああ!! 助けてくれ! 誰でもいいから助けてくれえええええええええええええ!!」


「それじゃあ感謝を込めて……いっっっただきますなのですぅぅうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!」


「いぃぃ―――――――やぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 絶叫は、どこまでも大きく響き渡った。

 あらゆる感情が入り混じった地獄の音響は、壁を越え、大地を越え、実はハルトが閉じ込められていたのは事などお構いなしに、遥か上空まで突き抜けたという。


 そして。

 つんざくような絶叫が、次第に快感の喘ぎ声に変わったあたりで、ハルトの声はプッツリ途切れた。





 そこで何が行われていたのかは、推して知るべしである。



 


 

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