巫女・卑弥呼

中田もな

 卑弥呼とは、実の弟から見ても、複雑怪奇な人物だった。


 卑弥呼は民の前では決して口を開かず、弟が彼女の言葉を代弁する。だが血の繋がった兄弟にすら、か細い声で二、三言話す程度であった。


「……次の戦、気をつけなさい」

「気をつける? 何をですか?」

「……東から、来ます」


 それだけ言うと、卑弥呼は背を向けてしまった。事実、のちの戦で敵軍が東の方角に潜んでおり、卑弥呼の予言は当たるのだが。巫女を冠する卑弥呼だからこそ、不可解なことが多すぎた。


 また、ある時。


 卑弥呼は普段、自分の周りに人を一切近づけない。ただ、術式でどうしても人手が欲しい場合だけ、弟と共に、侍女を何人か呼びつけた。


 だが手伝うと言っても、特に大した仕事はない。呪具や供物を並べるだけで、あとは座ってみているだけということも多い。その日も、お付きの者の仕事は早々と終わり、弟はしばし退屈していた。


 その瞬間。


 ──がしゃん、と尖った音がした。卑弥呼が鏡を落としたのだ。


「卑弥呼様!」


 次女たちが血相を変え、卑弥呼の元に飛んでいく。卑弥呼は動かない。ただじっと、一点を見つめていた。


 卑弥呼は、時々何かを感じ取ったかのように、はたと「空」を見ることがある。決まって悲しそうな顔をしているのが、彼はひどく気に掛かっていた。


「卑弥呼様、お怪我は……」

「大変、指から血が出ていますわ……」


 慌てる侍女を尻目に、部屋の隅を凝視している。そういう様子を見ていると、例えようのない不安に襲われるのが、人間の性と言うものだ。

 

 彼は以前、卑弥呼に直接尋ねたことがある。貴方の見つめる先には、天照の大神がおいでですかと。

 卑弥呼は、何も言わなかった。憂いた瞳を、彼に向けただけであった。

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