大魔王と人々から恐がられているレベルで顔面凶器な彼ですが、固有スキルは【おうえん】です。

歌うたい

【1】立てば悪鬼、座れば羅刹、歩く姿は大魔王



 季節は二月の末。終わり際の冬の寒さが、重ね着を強いる昼下がりのこと。白昼夢すら醒めるほどの悲鳴染みた少女の懇願が、行き交う人々の間を走った。


「ど、どうか許してください! お願いします!」


 セレスティアル大陸における最大領土保有国家であり「星都」とも呼び声高き王国『プトレマイオス』。

 その城下町においては、細道であっても人通りが多い。故に道行く人々は足を止め、自然と騒ぎの元へ視線を彷徨わせる。

 そして見つけて、反射的に逸らした。

 目の前の光景から本能的に逃れるように。


「おおお弟がぶつかってしまってすいません! お洋服もよご、汚してしまって⋯⋯で、ですか、どど、どうかお許しください! お願いします、お願いします!」


 震える男児を抱きしめながら、涙ながらに少女は懇願する。まるで悪魔か何かにせめてもの命懇いをするかの様に。


「⋯⋯」


 姉弟と思わしき二人を、一人の男が見下ろしていた。

 手足の長い身体に映えた、黒の下穿きに黒ブーツ。狐毛をあつらえたフード付きのスリムコートに、ジャギーショートヘアの濡羽色も含めて、見事に全身黒づくめ。そんな男の出で立ちは、平凡とはかけ離れていた。

 黒尽くしの中で光る、悪魔のような真っ赤な瞳。褐色の肌に映える、高い鼻をまたいで出来た一閃傷。なにより膝を折りたくなるほどの、目付きの悪さと威圧感があった。

 もはや悪魔ですら生易しい。いかに天に仇なす権化であろうと、いざ彼と出逢えば尻尾を巻いて逃げ出すだろう。

 そんな例えが過剰ではないほどにその男⋯⋯『オウガ・ユナイテッド』は恐怖の化身と言って良かった。

 

「おい、誰か止めろよ」

「無理言うなよ⋯⋯あいつ、オウガ・ユナイテッドだろ? 庇うなんて命知らずも良いところだぞっ」

「『立てば悪鬼、座れば羅刹、歩く姿は大魔王』──あの悪評、誇張でもなんでもなかったんだ。こここ、こええぇ⋯⋯」

「あれでまだ二十にもなってないんだろ? なのにあの顔とオーラ。一体どんな修羅場を潜って来たらああなんだよ」


 悪評とはいつの時代も世にはばかるものである。周囲の大半はオウガの事を知っていた。

 だからこそ、そんな彼に見下されてる姉弟の行く末を憐れむくらいしか出来ない。


「おいこらクソ坊主」

「ひっ」


 しかし周囲の憐憫などオウガの知った事ではない。

 彼は姉には目もくれず、庇われてる弟にのみ声をかけた。


「見ろ。テメェがぶつかったせいで、俺のアイスもジーンズも台無しになっちまった」

「あ、あう」

「特にジーンズ。こいつはクソうざってえ腐れ縁が寄越したモンだが、割と気に入っちゃいた訳だ。漆染めの具合が特に良かったんだが⋯⋯愉快な有り様になっちまったなあ?」

「ご、ごめん、なさい⋯⋯」


 何故悲劇は起きたのか。その経緯を焼き付けるように、オウガがぐっしょりと乳白色に汚れた膝の一部を指差す。

 姉弟は震え上がった。言動はともかく、悪鬼の大切なものを台無しにしてしまったのだ。ただじゃ済まない。落とし所は検討もつかない闇の底ともなれば、震えながらに謝罪を繰り返すのも当然だろう。


「だがな坊主。んなことはクソどうでも良いんだよ」

「⋯⋯え?」

「俺が何より気に入らねーのは、テメェのその情けねえザマだ」

「!」


 けれど。何故こうまで怒りを滲ませているのか。

 そこの認識をそもそも履き違えてるのだと、悪鬼は吠えた。


「テメェが招いた惨状だろうが。だってのになんだテメェは。姉貴に護られてガタガタ震えるだけか、あァ?!」

「ひぃっ」

「ま、待ってください。お願いします。弟は! わ、私が償いますから。弟はまだ七歳になったばっかりで⋯⋯」

「るせえ、テメェが口を挟むな」


 語気を荒げ、威圧感を放つ悪鬼に容赦はない。

 再び庇おうと言葉を挟んだ姉をひと睨みで黙らせる。

 スラム上がりのゴロツキですら押し黙る眼力だ。失神しないだけ奇跡だった。しかし羅刹はどうやら、さらなる奇跡を望んでいるらしい。


「クソ坊主。この世の真理は『弱肉強食』だ」

「え⋯⋯じゃくにく⋯⋯?」

「弱けりゃくたばり、強けりゃのさばる。だが弱えっつーのは単純な力の強弱の話じゃねえ。這いつくばったまま脅威を過ぎ去るまでじっとするしか能の無ェ、今のテメェみてぇなヤツのことだ」

「う、う⋯⋯」

「テメェの姉ちゃんを見てみろ」

「え⋯⋯?」

「身体ガタガタ震わせながら、そんでもせめてテメェだけはって身体張って守ってる。この俺を前にしてなかなか出来る事じゃねえわな」

「⋯⋯」

「だが、テメェはどうだ。泣いてる姉貴にしがみついて、ただじっと嵐が終わるのを待つだけか。それで良いのか、テメェはよ。ガキだからって、護って貰うクソカスのままで良いってのか、あァ?」

「う⋯⋯」


 睨まれて、恫喝どうかつされて、けなされて。理由は分からないが、少年は理解した。

 目の前の魔王は。

 自分に。震える事しか出来ない自分に。

 立ち向かえ、だなんて無謀を望んでいる。


「相手がでけぇからなんだ。まだ七歳だからどうした。震えるだけが精一杯か?」

「う、うう⋯⋯」

「泣かせてんのはオマエだろうがこのデカブツ、って啖呵たんか切る度胸もねえのか。小せえのは身体だけか。振り絞る勇気はねえのかっ!!」

「ぐ、ううう⋯⋯」


 確かに少年には度胸もない。身体だって小さい。

 きっと目の前の男には、逆立ちしたって敵わない。

 けれど、それでも。

 大切な姉の為になら。


「"あるんだって証明してみせろよ、男だろうがっ"!!」


 振り絞る勇気くらいはあったのだ。


「ううう────うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 力が湧いた。何故かは知らない。分からない。

 でも少年は一握りの拳を作り、声を荒げて。

 人生ではじめて、人を殴った。 


「ぐおぉっ──」


 否。殴ったでは不正確だ。

 "殴り飛ばした"が正しい。

 そう。飛んでいた。

 少年のパンチで、優に百八十にも及ぶオウガの身体は吹っ飛び、そして、背中から地面に叩き付けられていた。


「はあーっ、はあーっ、はあーっ⋯⋯」


 大陸西方の大国プトレマイオスは、細道であっても人通りが多い。雑踏が行き交い、喧騒で賑わうのが常だ。

 しかし今この瞬間は、少年の荒い吐息以外は誰も口を開けなかった。

 たった今、目の前で起きた奇跡のような光景が信じられないからである。

 それは少年とて同じだった。


「はぁっ、はぁっ⋯⋯」


 でも彼からすれば、そんなことはどうでも良かった。

 少年は、呆然とする姉の腕を手に取って、その場を離れるべく駆け出した。


「ぶつかってごめんなさい!でも! 泣かしたのはお前だからなっ! お姉ちゃんを泣かせるんなら、僕が許さないぞ!!」


 言葉を残したなら、もう心残りはない。

 小さな勇者とその姉は、タタタッと群衆の中を掻き分けていった。


「う、嘘⋯⋯なに今の⋯⋯」

「あの男の子の『ギフト』か?」

「分からないよ。というかアイツどうなった?」

「吹っ飛んでたよな。へ、下手したら⋯⋯」


 奇跡を起こして勇者は去った。

 ならば残るは極悪魔王。果たして彼はどうなったのか。誰もが固唾を呑みながら、通路の真ん中で仰向けに倒れる黒づくめを凝視していた。


「⋯⋯ったく、余計汚れちまった」


 魔王は健在だった。

 むくりと起き上がると、衣服についた砂を雑に手で払る。まるで殴り飛ばされた事など無かったかの様に。


「やばい生きてる。ピンピンしてるぞ」

「絶対怒ってるよな。どどどどうしよう」

「逃げろ、逃げるんだ。くっ、あ、足が動かない」

「終わりよ。今日がセレスティアルの命日。世界最後の日なのよ⋯⋯」


 人々は己の馬鹿さ加減を呪った。

 オウガが倒れている隙に、何故この場から逃げ出さなかったのかと。奇跡に目が眩んで判断を誤ったと、口々に後悔を滲ませていた。


「さっきからなァに好き勝手にほざいてやがる、塵芥共が⋯⋯!」


 彼らの杞憂は正解である。

 確かにオウガは激怒していた。

 殴り飛ばされた事にではない。

 黙って見てるだけでしかなかった癖に、今もまだ悲嘆を垂れ流している群衆に、彼は頭に来ていたのだ。


「蚊帳の外からさえずりやがって、鬱陶しい」


 オウガの米噛みに青筋が走ると、周りから悲鳴が漏れる。が、もはや周囲が何を言おうが、オウガにはどうでも良かった。

 直ぐにでも散らしてやるとばかりに、血管の浮いた手骨をバキッと鳴らした、その時。


「テメェら良い加減、とっとと失せ──」

「はいはーい。オウちゃんそこまでだよー」

「むが?!」


 魔王の一喝は、突如現れた美少女の抱擁によってさえぎられ。

 セレスティアルの命日とやらは、もれなく延命となったらしい。


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