向日葵が向く先に
SEN
第1話 私の太陽
この世界で誰かと二人きりになるなら、誰を選ぶだろうか。大切な家族? 仲のいい友達? それとも大好きな恋人? みんなはきっとどれかを答えるだろう。でも、私が選ぶのはそのどれでもない。
「陽子はどうしていつも外を見てるの」
8月9日の昼下がり。私はいつものように彼女のベッドの隣の椅子に腰かけていた。家からバスで往復1020円かかる大学病院は非常に清潔で、いつも部屋を散らかしている友人に見習ってほしいくらいだ。
地上十二階の1203号室。そこが彼女の病室だ。この病室にはベッドが四つあるが、今は陽子以外に使っている病人はいない。窓を全開にして夏の風を取り入れるこの部屋は一見涼しそうに見えるけど、冷房が全く効かないからあまり快適とは言えない。でも、青空が近い病室に陽の光が差し込み、風が吹き抜けてカーテンをはためかせ、彼女の顔に薄い影を作るこの光景は、真夏の光景として写真のコンテストに出せば金賞を取れるだろう。
「私が見ているのは、外ではなく太陽さ」
綺麗だ。言葉を交わすために振り向いた彼女と目が合った私は素直にそう思った。もう何度も会っているというのに、未だに彼女の美しさに感動してしまう。
シルクのようにきめ細かく白い肌は日光を受けると眩しいほど明度が高くなる。ベッドのシーツを覆い、油断すれば床についてしまうほど伸びた銀髪は、地面から遠く離れた病棟に隔離された彼女を思うと、まるでラプンツェルのような美しさだと言っていいだろう。目を合わせていると宝石のように美しい青い瞳の輝きに吸い込まれそうになる。彫刻のように整った顔立ちは、いつも不敵に笑って見せる彼女に誤魔化しきれない儚さを与えていた。
振り向いた彼女を景色ごと切り取って永遠に残せたら、きっと後世で何千億という価値がつくだろう。そんな仄暗い感情を抱いているとは知らず、彼女は私をじっと見つめている。
「太陽は目で見られないでしょ」
「ふふっ、そうやって言葉を素直に受け取るところ、好きだよ。でも、私と話すには少し不向きかな」
彼女の言葉にムッと頬を膨らませる。詩的な表現を好む彼女だが、常に詩人を気取っているわけではない。普通に話すときもある。その境目が私には分からない。さっき言った好きの意味も、同じ部屋に入院していた他人の友人を簡単に部屋に通してしまうあなたの考えも。
「太陽がなければ私たちは生きていけない。そんな、欠けてしまったら生きていけないものを私は太陽に喩えたのさ」
自分の言葉の意味を説明した陽子は再び窓の外の景色を眺め始めた。欠けてしまったら生きていけないもの。彼女にとっての太陽は、ここから見る青空とでも言いたいのだろうか。それとも、空を流れる雲だろうか。彼女が視線を向ける先には候補がありすぎて、私が判断することはできなかった。
欠けたら生きていけないもの。私にとってのそれは何かを考えたら、すぐに答えが出た。
「じゃあ、陽子は私の太陽ね」
無気力に日々を聞きていた私を照らしてくれた光。それが陽子だ。この病室での運命の出会いから、私の世界に初めて色が付いた。慣れない笑顔を向けながら私の素直な想いをこぼすと、陽子はゆっくりと振り返って私と目を合わせた。
「それはやめておいた方が良い」
子供のような無邪気な笑顔はない。でも、何を考えているか分からない不敵な笑みだったり、彼女の詩的な表現を理解できない私に向ける冷笑だったり、どんな状況であれ陽子はいつも笑っていた。そんな陽子が真剣な顔をしてそう言った。鋭い目つきと脅すような低い声は、彼女の拒絶を理解するのに十分だった。
「私はもうすぐ死ぬ。そんな人間に依存するなんてバカげてるよ」
陽子の余命は残り僅か。その事実を私は理解していた。でも、私にとっての太陽は、私の灰色の人生のかけがえのない存在は、陽子しかありえなかった。
だって、私は陽子と出会った日に死ぬつもりだったから。
「太陽が消えて
「……君の名前を嫌いになりそうだよ」
「陽子は私に生きていて欲しいの?」
「人の死を望むほど落ちぶれちゃいない」
「死んでほしくないと生きていて欲しいは全然違うわよ」
「……君の生も死もどちらも望んでない。そこに関与できるような人間じゃないからね。君の命をどう扱うかも君が決めることだ」
「そう。なら私の気持ちは変わらないわ」
陽子の心臓が止まったら、私の胸に刃を突き刺して彼女を抱きしめるの。そして優しく唇にキスをして、私の血で染まった彼女を目に焼き付けながら死ぬ。それが私の人生の最終目標。だって、陽子がいない世界に価値なんてないから。灰色の世界で生きていたって苦しいだけ。それなら、陽子との美しい思い出を抱えて終わりたい。
そんな常軌を逸した願望を抱えているとは露知らず、陽子は私の言葉を趣味の悪い冗談だと受け取って、深いため息をついてからベッドに横になった。
「私はそろそろ寝る。話し相手はもういなくなるから帰りな」
「あなたの寝顔、少しだけ見ていってもいい?」
「……見たらすぐ帰るって約束するなら」
「えぇ、もちろん約束するわ」
眠気に負けたのか、たった一言で私の嘘を簡単に信じた陽子はゆっくり瞼を閉じた。この病室の外での時間に価値なんてない。この病室に夕食が運ばれてくるまで、彼女の幼子のような寝顔を眺めておくことにしよう。
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