第二話「嵐の予感」
屋上に出ると見えたのは今にも降り出しそうな曇天の空。
湿気のせいでジメジメとした空気が鬱陶しい。
「私、一年の東雲真希とい……申します。本日はお時間いただきありがとうございます」
「君が礼儀を重んじようとしてくれているのはわかったから普通にしてくれ。俺はそんな大層な人間じゃないし、畏まったのは苦手なんだ」
「ですが、風見先輩はこの国でも上位の家系の方ですし……」
「なら、君は相手を名前で判断するのか?」
「……お言葉に甘えさせていただきます」
大きく息を吸って深呼吸する東雲を様子を見てどうやら俺の心配は杞憂に終わる。
「風見先輩は二日後の戦争に参加されると聞きましたが本当っすか?」
「一応秘匿義務があるんだがな……」
ここまで学園内で噂が飛び交っていたらそれも意味はない。
「そうだ。俺は戦争に参加する」
「っ! では、お願いするっす! 私の友達を助けてくださいっす!」
深々と頭を下げる東雲に困惑しながら話を聞くことを承諾すると一枚の写真を見せられる。
写真には東雲と紫色の髪の少女が仲良さそうに映っていた。
「彼女の名前はシズク。ハルバール王国の学生っす。彼女とは一ヶ月前まで連絡を取っていたんすけど……消息不明になったんっす」
「ちょっと待て。大和は他国との通信インフラがない。それどころかハルバール王国とは手紙等の郵送の手段もないはずだ」
俺の存在がアトリシア公国王家に伝わっていないのもそのお陰である。
「それは……」
東雲は勢い余って言ってしまったようで言葉を濁す……ん? 東雲?
「西園寺家の分家の者か」
「そうっす……」
ということは式神を伝書鳩の要領で文通の道具にしており、届けに行った際に彼女が消息不明になったことを知ったのだろう。
「よく西園寺の結界に引っかからなかったな」
「隠密と遠隔操作には自信があるんっす……」
つまりその分野に関して東雲は西園寺の才女を凌ぐということだ。
「あの……風見先輩。このことは…………」
「俺も巻き込まれたくないからな。聞かなかったことにしておく」
「ありがとうございます……」
変な秘密を知ってどうしたものかと空を見上げる。
東雲の行いは西園寺藍の顔に泥を塗る行為。
それを知ったあの人がどういう行動に出るか想像がつかな…………。
「? どうかされたっすか?」
「気にしないでくれ。で、助けてくれってのは?」
「おそらくっすけどシズクは戦争に参加すると思うんです」
「根拠は?」
「それを言う前に一つだけ。風見先輩はアリシア姫と付き合ってると聞いたんっすけどホントっすか?」
「付き合っていない」
「…………その嘘には無理があると思うっす」
「嘘も何も事実だ」
付き合ってはいない。
ただ婚約しているだけ。
「まぁ、いいっす。今から言うことは決してアリシア姫を悪く言っているとは思わないでほしいってことだけなんで」
あの人はアトリシア公国のレイル王子と繋がっている若狭真琴が今回の戦争に関わっているということは西園寺家でも箝口令が敷かれていると言っていた。
分家、それも末端である東雲は知る由もない。
「シズクの部屋にあった痕跡の一つに魔法のモノがあったんす。以前敗戦したハルバール王国が今回武力を用いて仕掛けてきた。その背景には魔法による軍事力強化があったからではないかと思うんす」
少ない情報でいい線行く子だな。
「魔法の痕跡ってのはわかるものなのか?」
「一度アトリシア公国へ旅行に行った際に軍事演習を見たことがあるっす。誰かが近づいてくる気配があったので一瞬しか見てないっすけど。間違いないっす」
「そもそとアトリシア公国民以外魔法は使えない。世界共通の常識だ」
「風見先輩はご存じないかもしんないっすけど。裏ルートで出荷元不明の『魔術師になる薬』ってのが売られてるっす。つまりアトリシア公国民以外が魔法を使えてもおかしくはないんすよ!」
「都市伝説レベルだな」
「信じてほしいっす!」
俺はこの目でその薬が効果を発揮しているところを見ている。
たぶん大和内で俺以上に東雲の話を信じられる人間はいないだろう。
「仮に君の言うことが全て真実だったとしよう。どう足掻いても助けられないだろう?」
「またまた〜。数多の女子生徒を救った大和の救世主たる風見先輩に不可能はないっすよ」
「ダッサ!」
「これは確定情報っすけど。実際のところ風見先輩はモテモテっすよ?」
「実感ないな」
「そりゃあ皆アリシア姫の存在が大きすぎて気が引けてるんですよ。最近風見先輩が登校していなかったから大人しいもんすけど、たぶん今日のお昼あたり呼び出されるんじゃないっすかね」
冗談抜きでアキラと食べようかと思っていたがやめといたほうが良さそうだな。
「あ、話を逸らそうとしてもそうはいかないっすよ」
「いや話を逸らしたの君だよね?」
「どうして助けられないんですか!」
始業まで残り五分。
この強引さを考えると諦めたほうがよさそうだな。
「一つ、仮にその子が戦争に乗り気でない状態で参加していても俺が対峙するとは限らない」
「それは……そうですけど…………」
「二つ、対峙したとして初めましての相手でしかも戦争しているのに聞く耳を持つのか?」
「シズクは争いを好む子じゃないっす!」
「三つ、説得が上手くいってその子を大和に連れ帰って……君どうするつもり?」
「どうするってそれは……」
「君が東雲の人間でなくても戦争相手を匿ったり招き入れた時点で国家反逆罪。君だけでなく君の家族もその対象だ。その友人にそれだけの価値はあるのか?」
ただ友を助けたい女の子に酷い仕打ちをしている自覚はあるが戦争とはそういうもの。
争った時点で袂は分かたれて人対人の対話は成立しない。
「…………なら、風見先輩はアトリシア公国と戦争になった場合どうするんですか? アリシア姫を斬ると言えるんですか?」
「答えにくいことを聞くなよな…………あぁ斬る」
そうならないための行動するが戦争は国対国。
一人の人間がどうこうできるスケールではない。
「誰にもその役目を渡さずに俺が斬る」
なら、せめて命を奪うのは俺でありたい。
それが俺の覚悟だ。
「私は先輩のように強くないっす……」
「君は十分強い。何せ俺が密告すれば君は大罪人だ。それを承知で打ち明けたのだろう? まぁ、ただ…………今回は運が悪かったな」
「何を言って――」
俺が上空を指差すと東雲はつられて空を見上げる。
曇天の空には彼女もよく知る青い鳥が旋回しており、その鳥と同じくらい東雲の顔が見る見る青ざめていく。
「あわ……あ……」
彼女の頭の中は『逃走』の二文字で埋め尽くされているだろうが天は彼女に味方はしなかった。
「随分と面白い話をしていますね、真希」
東雲の背後に天から舞い降りたのは天使ではない。
東雲を逃さないように後ろから抱きしめたのは西園寺家次期当主――西園寺藍。
いつぞや俺に『祟るぞ、クソガキ』と言い放った時のように目のハイライトが消え、纏う空気が冷気に見える。
さながら地獄へ引き釣りこもうとする地獄の番人。
「見ない間に悪い方に成長したようで私は悲しいです」
もしくはおいたをする親戚の子にチョークスリーパーをかけるプロレス好きのお姉さんだな。
「イタイイタイイタイ! 藍姉! ギブ! ギブ! てか、風見先輩! 藍姉の式神に気づいてたら言ってほしかったす!」
「気付いたの君が結界すり抜けている件だったからな。もう遅いと思って放置した」
「鬼! あく――」
西園寺藍やるな。
相当やりなれているようで東雲が意識を保つギリギリまで締め上げている。
「身内が粗相をしたようで申し訳ありません」
「別にあんたに謝られることはされてねえよ」
むしろ国家反逆罪未遂を聞いて笑顔でプロレス技かける恐怖を感じさせていることを謝ってほしい。
「まったく……私に相談しないだけなら許しましたがその相手がよりにもよって」
「言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「だって風見先輩は女誑しだからシズクの写真見せたら二つ返事だと思って!」
「お前がはっきり言うのかよ! はぁ……遅刻したくないから任せていいか?」
「え、ちょ……」
「ええ、情報共有は後ほど」
「じゃあな、東雲」
「ちょ、風見先輩?! ヘルプ! m――」
屋上の扉を閉めると同時に絞め落とされたのか東雲の声が途絶える。
憐れな少女に魂の救済を。
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