第21球 追憶に秘められたモノ
にぃに、すごいねー
あたしにもやきゅうをおしえて
こうしえん? つれてってくれるの? わーい、やったー
あれ?
にぃに、どこにいったの?
にぃにがいないとつまんないな……
おばさん、にぃに、いつかえってくるの?
「にぃに……」
また同じ夢をみた。
12年前に交通事故で亡くなった兄、天花寺
兄の日出は、父が死別した妻との間に設けた子で月とは異母兄妹にあたる。月とは13歳も年が離れていて、兄というよりはもう一人の親みたいな存在だった。
当時の月は「甲子園」は遊園地みたいなものだと勘違いしてはしゃいでいた。今でもそのまま残っている兄の部屋にある写真やアルバム、賞状やトロフィーから、兄がリトルやシニアでどれだけ野球で活躍していたかがわかる。勉強机の引き出しには野球のことをメモしたノートが何冊も見つかり、けっして楽をして活躍したわけではない努力の跡が残っていた。
高校も県内の強豪校に通っていて、1年でスタメンに選ばれるほど有望だったらしい。
小さい頃、兄は両親が食堂で忙しい時によく公園で柔らかい野球用のボールとバットで遊んでくれた。
「月は努力しなくても俺と違って結果を出せる人間なんだ」
「けっか?」
「でも努力はした方がいいよ、そうすればいつか結果に特別な価値がつくから」
「にぃに、むずかしすぎて月わかんない~」
「ははっ、ゴメン。でもこれだけは覚えといて」
「なにを?」
「努力が報われない人を馬鹿にしちゃいけない」
当時は兄の言っている意味がよくわからなかったけど、なぜかその言葉は頭に残った。たまに思い出して考えてみるけど、今でもなんとなくしか理解できていない。
両親がやっている食堂は年中無休がウリなのにその日は店を閉めた。夜になっても月は近所のおばちゃんの家に預けられて、両親は朝まで帰ってこなかった。
次の日、両親が棺に入った兄と一緒に帰ってきた。
死というものが、よく理解できてなかったけど、少なくとも二度と会えないってことは知っていたから、たくさん泣いて元気をなくしていたのを覚えている。
兄が亡くなって1年が経った頃、公園でひとりで野球をして遊んでいたら「てだ」という変わった名前の男の子と出会った。
その頃、月は兄がいなくなった関係ですっかり拗ねていて、ちょっとした悪ガキみたいな存在になっていた。年上の男の子が相手でも兄から教わった野球で勝負してコテンパンにしていた。男の子たちは口ではいろいろ言ってきたが、結局1回負けたら、言い訳して月の元から去っていくばかり。
でも、この「てだ」って子は、小さくて弱そうなのに、兄の
あまりにもしつこく勝負をせがんでくる男の子に、参った月は次第に心を開いて仲良くなっていった。男の子も月を慕ってくれて、忍者の修行だと嘘をついて一緒に野球をして遊んでいた。
ある日、月が家の手伝いで遅れて公園に行くと、近所の悪ガキに泣かされているてだを見つけた。月はその近所の悪ガキを罵詈雑言を浴びせて泣かせて追い払った。そして泣いているてだに理由を聞いた。男の子はすすり泣きながらこう言われたと話す。
「お前みたいな雑魚は、どんなに頑張ったってアイツのようにはなれねーよ」
アイツとは月のこと。自分を慕っている少年にとっては、努力しても大抵のことは報われないという現実を受け入れてしまった大人が吐くような言葉に心が傷ついていた。
「じゃあさ、約束しようよ」
まるでおまじないのような約束。
これはてだ少年のためだけじゃない。月にとっても大切な約束だった。
それから10年以上が経った。
「太陽と書いて『てだ』って言うんだって、何語だよ、って感じ」
4月に九家学院高校に入学した月は、同じクラスの女子たちが隣のクラスの男子の噂をしているのを聞いていた。
てだ?
小さい頃に秘密の約束をしたあの子のことかな?
気になって友だち数人に聞きまわったところ、同じ中学に通っていたことがわかった。でも、中学の頃にそんな人がいたなんて全然覚えてなかった。
別の高校に進学した中学の情報通の友人にSNSで連絡を取ったところ、彼は中学時代「雑草軍団」と呼ばれる陰キャグループの一員だったらしい。学校では全然目立たない存在で担任の先生に名前を憶えてもらえなかったという逸話があるそうだ。でも、月の情報通の友人に男子のネットワークを使って調べたところ、彼が内緒で強豪シニアに入っていたことがわかった。ただ、なんらかの理由で挫折して、中3の終わり頃にシニアを辞めたらしい。
正直言って、彼が「あの約束」を覚えてくれているのかもと思うと嬉しいと思う一方で、あの絶対に勝負をあきらめなかった少年がどうしてやめてしまったのかすごく気になった。
中学まで女子野球部がなかったからソフトテニスをしていたけど、九家学院高校には野球部があるので、野球を始めようとしていた。
そこで強豪シニアに籍を置いていた太陽にコーチをお願いすることにした。
話しかけた時、少し面影が残っていたので、あの「てだ少年」と同一人物だと確信したけど、昔と違いオドオドとしていて目も合わせてくれなかった。
コーチをしてもらってわかったが、まだ「熱」を持っていた。
あの約束が彼を野球に導いたかは正直わからない。
でも、野球がとても好きなのは伝わってくる。
練習試合の前に、太陽の元相棒である榊雷闇に出会った。
揺るがない自信。勝利という結果だけを欲し、その才覚故に要らぬ努力も惜しまない飢えた獣のような存在。
この男がきっと太陽が挫折した原因だと思う。
でも、不思議なことに、太陽は榊雷闇に全く負い目を感じる必要なんてない……。
理論に基づく知識と、今でも鍛えているであろう引き締まった体。彼が野球を本当に愛していることがわかる。
太陽の問題は本人にとっては難しいことかもしれないけど、他人から見ると実に簡単なことにつまづいている。でも、それは他人がアドバイスできるようなものじゃない。太陽自身が気づいて、変わる必要があると思う。
彼はきっかけさえあれば、放っておいても自分で歩み始めるだろう。でも自分はそうじゃない。
聖武高校との練習試合は引き分けに終わり、チームとしてはまずまずの結果だったけど、月は納得がいかなかった。どんなに変化球が上手に打てても「本物」の球を投げられたら、非力な女の子はたちまち観客席の人間に回ってしまう。
こんなレベルで満足するわけにはいかない。
もっと高いところを目指さないと、あの約束を守れない。
でも、思いとは裏腹に空回りしてばかりで、焦る気持ちだけが前のめりになっていった。
ある日、太陽に絵を描いてもらった。彼のラフ画には月の顔だけが描かれていなかった。太陽は技術面だけでなく、月がうまく隠していた感情まで見抜いたことに驚いた。
2年生の源さんに「太陽が欲しい」と言われたとき、自分の心の奥底で何かが揺れた気がした。彼女はただ陸上部に彼を誘いたかっただけだと思う。
太陽に相談して、飛距離の出るバッティングのやり方を教えてもらった。その帰り道に捨て猫を拾った彼がじっと私の顔を見つめてきた。なんだか照れくさかった。彼は
仔猫に会いに太陽の家に行った。
妹は2つ年下で、中学時代、何か行事のある度に目立っていた子なのでよく覚えている。まさか太陽の妹だったとは。
2年生の源さんは、性別問わず整った顔立ちの人を口説いてくるから、あまり気にしていない。そもそも彼女が一番好きなのは自分自身だと思う。ただ、この前、火華が唇を奪われそうになったので、さすがに止めた。野球部内での恋愛は禁止。弱小校が大会で結果を出すためには、そんなことに気を取られている暇はない。
気になるのは桜木さん。彼女は見た目が怖そうだから、まともな男性が近づいてきたことはないんじゃないかな。
こういう女の子は一度、誰かを好きになると、一途に想い続ける。彼女の熱っぽい視線の先にいる人物には心当たりがあるが、月は気にしないようにしている。気にしたら、なんだか自分までその人を気にしているみたいでイヤだから。
月には、亡くなった兄が連れて行ってくれると約束した甲子園に、自分の力で行かなければならない。だから今は浮ついた気持ちではいられない。
──なのに、どうしてこんなに気になるんだろう。
心に蓋をしているはずなのに、声が漏れ出しそう。
でも、ダメだよ? 今はいつもの自分を演じなきゃ。
ずっと先にある約定の地で再び会うために……。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
物語の大事な部分を書き終えてホッとしております。
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なにとぞ、よろしくお願いいたします。
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