8.戦いの後に
「ううー、ちくしょう」
ドノドンは、額をさすりながら立ち上がった。
改めて向き合うと、やはり見上げるほどに大きい。
黒い体毛は、以前喰らった四つ足の獣よりしなやかで、毛艶も良い。光沢が美しいな、とヴィーラグアは素直に思った。
体格差を思えば、相手の方が力はあるはず。だが彼には、自分が負けるという想像が出来なかった。
でもそれは自信があるということではなく、あの飛龍の群を見た後では、何者が相手であっても脅威と感じなくなってしまったに過ぎない。
要するに、恐怖という感覚が麻痺してしまっていたのだ。
とはいえ、本当に撃破してしまったのだから勘違いとも言い難い。
成り行きはどうあれ、話し相手になってくれるというのなら異存はない。
色々と教えてもらうことにしようと考えた。
「なあ、そんなにその角が大事なのか?」
「当たり前だろっ! この角はなあ。この角は、俺の誇りなんだ!」
「そうか。ならどうして、さっさと元通りにしないんだ?」
「はあ?」
そのために角を返したのに。
いぶかしげに首を捻るヴィーラグアに、ドノドンはさらに激昂した。
「できるならとっくにやってるよ!」
「出来ないのか?」
「できるわけないだろ!」
そんなはずはないだろうと、ヴィーラグアは角を拾い上げドノドンの額に当てた。
それからゴウラを高め、自分の身体を操るように角を元通りにしようと意識を集中する。
「お、おい……」
「じっとしていろ」
ヴィーラグアは眼をつぶり、折れた角が元通りになる過程を思い浮かべながらゴウラを操る。
その真剣な様子に気圧され、ドノドンも同じように目をつぶって額に意識を集中する。
そうしていると、次第に傷の痛みが薄れ、なにやら爽快な気分になってきた。
しばしの沈黙ののち、ヴィーラグアは静かに眼を開く。
「よし」
そっと手を離すと、黒曜の角はポロリと落ちて、ドノドンの前に転がった。
「あれ?」
「はあん?」
二体の視線が足元のそれに注がれる。
「おい、くっ付いてないぞ」
「おかしいな、そんなはずはないんだけど」
「ふざけんな!」
「待て待て、もう一度やってみる」
壊れた身体を元通りにするなんて簡単なはずなのに、こいつの身体がこれほどまでに扱い辛いなんて。
と、困惑するヴィーラグアであったが、むしろ他者の肉体を自在に操れるなどと考える方が異常だということを、判っていない。
だがそれゆえに、出来ないはずがないという思い込みは更なる力となって、濁りのないゴウラが注ぎ込まれて行く。
ドノドンは突然流れ込んできた溶岩のような灼熱に、飛び上がりそうになった。
「うひゃっ!」
「動くな」
眼を閉じ、さらなる深みへと意識を沈めて行く。
他者のゴウラは見知らぬ森のように見通しが悪く、行方を定めるのもままならない。
もどかしさに業を煮やしたヴィーラグアは、まとわりつく闇を振り払うように、ゴウラの光をほとばしらせる。
すると、明瞭な視界と同時に、赤黒く光るひび割れが見えた。
(ここか)
その部分に意識を定め、隙間を埋めるように光を注ぎ込んでいく。
ひび割れは熱を発し、だが光に癒されるように次第に落ち着きを取り戻していき、ついには跡形もなく消え去った。
眼を開くと、ドノドンの角は元通りにその額の上にそびえ立っていた。
「ふう」
改めて観察すると、ドノドンの角は黒曜の色つやに加え、うっすらと虹色の光をまとっているように見えた。ヴィーラグアのゴウラの影響だろうか。
その主であるドノドンは、気を失って白目を剥いていた。
叩いて起こそうかと思ったが、ヴィーラグアも疲れてしまったので、隣に座り込んで目をつぶった。
その日、黒龍と暴れ熊という奇妙な組み合わせの二体は、深い森の中で静かな一夜を過ごしたのだった。
―――※―――※―――※―――
翌朝。
隣に動く気配で、ヴィーラグアも眼を醒ました。
「ああ……、もう朝か」
互いに寝ぼけた視線を交わした後、ドノドンがぼそりと口を開いた。
「お前、これからどうするつもりなんだ?」
額に手をやり、己の角がそこにあることを確かめながら。
「うーん、別に。とりあえず世界を一周して、どうするか考えるのはそれからでいいかな」
「なら、さっさと出て行ってくれないか。お前がいると、森が騒がしくなる」
「そうなのか? 我は特に何も感じないが、それは良くないことなのか。
そうか、うーん。……やっぱりよくわからないな」
ドノドンは、ボリボリと頭を掻く。
「まあ、お前が悪いとも言い切れんよな。強い者が弱い者を狩るのも、生きるためには喰らにゃならんのも、この世の理だ」
「そうなのか、それは知らなかった」
「だな。まあ強いて言うなら、その加減を知らんのが良くない。見つけたら手あたり次第ってのがな」
「いやそうではなく、生きるためには喰らわねばならないということだ。そうなのか?」
「なんだと?」
「我は、母親以外の者をよく知らない。知るためには、喰らってゴウラを取り込むのが一番だ。だから喰らっていただけなんだ」
「腹が減ったりはしないのか?」
「減るとは?」
「喉が渇いたりとかは?」
喉が渇く? その瞬間、ドノドンの意識に浮かんだ言葉の意味を理解した。
「ああ、水か。そうだな、初めて川の水を飲んだ時は心地よかった。身体の水が不足していたことに、あれで気付かされたんだ。
そうか、肉が足りなくなることを腹が減ると言うのか」
「お前って……」
ドノドンの奇妙な表情とともに、奇妙な感情が流れてくる。
「ほんとに呆れた奴だな」
そうか、この感情は呆れるというのか。
「お前との会話は、色々と学ぶことが多いな」
「だろ? 喰らっちまったら話もできないんだぞ」
「そうだな。母との対話も楽しかった。母に色々と教えてもらったことで、我は世界を知ったつもりになっていたが、それは間違いだったようだ。頼む、これからも我に知識をさずけてくれ」
「さずけるという程のもんじゃねえよ。まあいいや、俺が知っていることなら何でも教えてやるよ」
「そうか、それは助かる」
「とりあえず、話の通じる奴らにお前を紹介しとこう。お前が怖い奴じゃないことと、近いうちに出て行くことを教えてやれば、仲間の連中も安心するだろう」
「仲間がいるのか」
「ああ、仲間も子分も大勢いるぞ。なにしろ俺は、この森の頭領だからな」
その『頭領』という単語もよくわからない。なにやら威張って良い存在という印象だけは伝わってくるが。
「頭領というのは、この森で一番偉いということなのか?」
「そうだ」
「王とは違うのか?」
「まあ、似たようなもんだ。えーと……王の方がちょっとだけ偉いかな」
「神とどっちが偉い?」
「神様ほどじゃねえよ」
「ふうん」
「なんだその顔は! 大したことなくて悪かったな!」
「何も言ってないだろう」
なぜそんなに怒るのか、さっぱり理解できない。
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