第八章「夜を弾いて延長線」

 外はすでに日が落ち、街灯がほんのりと温かな光を放っている。静かな夜の風が、私たちの間をすり抜けていく。教室を出ると、少しだけ肌寒い風が頬を撫でた。

 教室で交わした言葉が、まだ私の胸の中で静かに響いている。鈴山――いや、天音と呼ぶその名前が、なんだかとても馴染んでいることに気づく。

 彼女が涙を流し、私がその手を握った瞬間から、何かが変わった気がした。それまでの私たちの関係が、ただの親友以上のものへと変わり始めた気がして、今もその余韻に包まれている。

「ねえ、三実。今日まだ時間ある?」

 私がぼんやりと考え事をしていたとき、突然天音の声が耳に届いた。彼女は少しだけ、私を振り返って笑っている。

「星、見に行かない?」

 その言葉に、私は驚いた。あんなに涙をこぼして、心が揺れ動いていたはずなのに、天音は突然、まるで何事も無かったかのようにそんな提案をしてきた。

 けれど、何となくその提案に、私はうなずきたくなった。

「でも今日、くもっているから、星見えないかもだよ?」

 と、少し戸惑うと、天音の目は、どこか楽しげに笑っていた。

「行ってみたいプラネタリウムがあって」

 と、天音が答え、私の手を取り、並んで歩き始めた。

 

 天音と一緒に向かった先は、駅前にある昔の市民会館を改築したというプラネタリウム施設『空井プラネタリウム』。

 建物はどこか落ち着いた佇まいで、夜空のような濃紺の壁が静かに私たちを迎えている。

「すごい……まるで宇宙の入り口みたい」

 天音が感嘆の声を漏らすと、私も少しドキドキしてきた。

 今まで星を見るのは好きだったけれど、こんな大きなプラネタリウムは初めてだ。

 建物の中に入ると、まず目に飛び込んできたのは、シンプルで洗練された受付カウンターと、壁一面に広がる星座の図。

「ああ、でもこんなすごいところのプラネタリウムって、チケットきっと高いんだよね……」

 出かける予定が無かったため、小銭の数の方が多い財布の中を思い出し、冷や汗をかいていると、天音は「任せて」と、自信満々にスクールバッグからチケットを二枚取り出した。

 差し出された細長い紙には空井プラネタリウムの特別優待券と書かれている。

「前、バイト先の人にもらったの」

「それ、天音と行きたかったんじゃないの……?」

「いいのよ。もらったら使い方はあたしの自由なんだから。ここ、都内で人気なプラネタリウムと同じ系列なんだって~」

 少し相手に同情しながらも、その恩恵で観られることに心から感謝した。

 天音が堂々とチケットを渡し、館内へ足を進めると、スタッフが淡い光の中で私たちを案内してくれた。

「優待券お持ちの方はこちらの席です」

 案内された席は、二人で寝転がれる大きなソファだった。観客がリラックスできるよう配置されたソファは深い色合いの布で覆われ、優雅な曲線を描いている。

「ソファ、大きくない……?」

「寝転がって観られるんだよ!」

 天音は嬉しそうに、靴を脱ぎ思いっきり仰向けに寝転がった。

 私も、おそるおそる天音の隣に腰を下ろし、席に座る。

 座った瞬間、ふかふかのクッションが身体に優しくフィットし、まるで雲の上にいるような心地よさを感じた。

 ソファの背もたれは少し高めで、頭を預けると自然と肩の力が抜け、全身がリラックスしていくのがわかる。

「空に浮かんでいるみたいだね!」

 声を掛けられたので、隣を向くと、吐息がかかるほど近い位置にはしゃぐような表情で見つめる天音と目が合った。

「……そうだね」

 間近で見る彼女の表情は、とても綺麗で、胸が高鳴ってしまったのを隠すように、天井を見上げるふりをして目線を逸らした。

 プラネタリウムのドームが静かに暗転し、周囲が一瞬で静寂に包まれた。

 ふと、天井に映し出されたのは、星々が織りなす壮大な川。

 無数の星々がキラキラと光を放ちながら、私たちの目の前に広がり、その中を漂うような感覚に包まれた。

「すごい」

 私の口から自然に声が漏れた。天音も同じように息を呑み、目を見開いていた。

「天の川は、私たちの住む銀河系の中心を貫く、数千億もの星々の集まりです」

 穏やかな声のナレーションが響き渡った。

 音楽が優しく流れ始める。ゆっくりと、天の川がまるで動き出すかのようにドーム内を渡り始める。まるで時空を超えて、銀河の流れに導かれているかのような気分になった。

 星々の間を進みながら、私はその壮大な光景に心を奪われていった。

「これから天の川をたどり、私たちが見上げる空の中に隠された秘密を紐解いていきましょう」

 ナレーションが続ける中、私はその言葉を静かに聞きながら、隣で寝転ぶ天音の表情をふと見た。

 人工的な星の輝きに照らされ、目を輝かせる彼女の姿は、嘘の無いように見えた。

 

 プラネタリウムを観た後、近くの売店に天音が楽しそうな表情で駆け寄った。

「見て! 空井プラネタリウム限定ミラーだって! お揃いで買おうよ!」

 天音が指差す先には、星空のように輝くホログラム仕様の片面ミラーが並んでいた。デザインには、市民会館のときに見たマークと星が描かれていて、どこかおしゃれで魅力的だった。

「綺麗……」

 一つ手に取って、ホログラムを光に透かしてみる。

 光の角度でキラキラと輝き、まるで星が手のひらに乗っているみたいだ。

 天音との思い出がまたひとつ増える気がして、私は、天音がレジへ向かう背中を追いながら、心の中で微笑んだ。

 この瞬間が、きっといつまでも残る特別な記憶になることを感じていたから。

 

 プラネタリウムを出た後、私たちは駅前の小さな喫茶店に足を運んだ。

 店内は薄暗く、温かな灯りがほんのりと灯っている。壁にはアンティーク調の時計が掛かり、レコードの音楽がゆったりと流れていた。

 どこか懐かしい雰囲気が漂い、街の喧騒を忘れさせてくれるような静けさが広がっている。

「プラネタリウム楽しかった~! でもお腹すいちゃった! あたしナポリタン食べちゃお! ここの、太麺で美味しいんだよ!」

「じゃあ、私も……」

 二人でナポリタンを注文すると、店内に私たち以外の人もまばらだったからか、すぐにテーブルに運ばれてきた。

 湯気を立てたナポリタンは、ケチャップの香りがふんわりと広がり、思わずお腹が鳴りそうになる。

 ピーマンや玉ねぎ、ベーコンがこんがりと焼き色をつけられて、上にはグリンピースが数粒。

 色とりどりの具材が食欲をそそる。

「すごく美味しそう……」

 私は目の前に広がるナポリタンを見て、思わず声を漏らした。

「でしょ? こういう喫茶店のナポリタン、なんか懐かしい感じがするよね」

 天音が嬉しそうに笑って、フォークを手に取る。その横顔を見ながら、私もナポリタンに目を落とす。

 フォークを一口、ナポリタンの麺に差し込んで口に運ぶと、口の中に広がるケチャップの甘酸っぱさと、少し焦げたベーコンの香ばしさが絶妙に絡み合う。シンプルだけれど、どこか心温まる味だ。

「昔、家で食べたような味がする」

 私は勢いでつい言ってからすぐに「しまった」という表情になる。

 天音は、食事を家で誰かと囲んで食べることがあるのだろうか。

 河川敷でカップラーメンを食べていたくらいだ。言ってはいけない言葉だったのでは……とおそるおそる天音を見ると、焦った私の表情を見て、ちゃんと理解しているというようにうなずく。

「大丈夫だよ、三実。これからのあたしにとっては今日が懐かしい思い出になるから」

 そう言って、私をフォローするように柔らかく微笑んだ。

 天音は、もう自分が思っているよりすっかり大人だ。

 私は、顔を赤くしてから、ナポリタンを勢いよく口に運ぶ。

 その瞬間、ケチャップが少し、ワイシャツの袖に跳ねた。

 

 食べ終わった天音が、メニューを手に取る。

「三実! 見て、いちごみるく、あるよ! 頼もうよ!」

 天音がメニューを指さして言う。その声に、私は少し驚きながらも笑った。

「私たち、外に行っても変わらないね」

「いいんだよ! すみません~! いちごみるくを二つ!」

 天音は嬉しそうにそう言いながら、ウェイターに注文を伝えた。

 しばらくして、いちごみるくが二つ運ばれてきた。

 可愛らしいグラスに入ったピンク色の飲み物は、見た目にも甘い香りを放っている。

 天音がグラスを手に取り、うっとりとした表情を浮かべる。

 その顔を見て、私は自然と微笑んだ。

 私もグラスを手に取って一口飲んでみると、甘くて優しいいちごの味が広がった。

 いつも飲む紙パックのものもいいけれど、きちんとミキサーでかけているからか、きめ細かな泡の目立ついちごみるくは、特別に美味しかった。

「……おいしい」

 天音が楽しそうに笑って、私に見せるようにグラスを軽く回す。私もつられて笑い、視線が交わった瞬間、言葉にならない感情が心の中に広がった。

 プラネタリウムの星々のように、私たちの心も今、静かに輝いているような気がする。

「三実」

 天音が私の名前を呼び、少し真剣な表情を浮かべた。その顔に、私は少し緊張しながらも、心の中で胸の鼓動が速くなるのを感じた。

「何?」

「今日は、ありがとうね」

 その言葉が、私の胸に深く響いた。天音の笑顔は、あの時の涙のことを思い出させる。

 あの涙は、ただの涙じゃなかった。それは、私たちがこの先に歩む道を一緒に歩いていくための、深い絆のような気がしてならなかった。

「ううん、私こそ。天音がいてくれて、本当に良かった」

 私も心からそう思って、静かに答える。その言葉には、どこか強い気持ちがこもっていた。

 これから先も、どんな時も天音と一緒にいられる。

 そんな気持ちが自然と湧いてくる。

 天音は少し照れくさそうに笑い、そしてもう一度、私の方をじっと見つめてきた。

「これからも、一緒にいてくれる?」

 その問いかけに、私は思わず息を飲んだ。どう答えようかと迷ったけれど、心の中の答えはすぐに浮かんだ。

「もちろん」

 その一言が、二人の心を繋げるような気がした。お互いの目を見つめ合って、時間が止まったように感じた。

 店内の静けさが、私たちを包み込む中で、ただその瞬間が続けばいいと思った。そして、再び二人でおそろいのいちごみるくを飲みながら、私たちの絆はさらに強く、深くなっていった。

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