【アップ】男山教会2023年9月24日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】男山教会2023年9月24日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】


使徒言行録17章26~34節  「知の伝道の無知」 山本信義牧師

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=6WFM-CDmJf0

(※本日は機材の事情により録画できて居らず、八千代台教会の、ほぼ同じ聖書箇所のメッセージ動画をアップして居ります)



(※下記プログラムは男山教会のものです)

前奏

招詞 イザヤ書55章8~11節

・頌 栄 たたえよ、主の民[こ改 25]

・開 会 祈祷

・主 の 祈り(週報裏面)

・十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教

子どもと親のカテキズム問 54

「聖餐にあずかる人」

・こどもさんびか

あいの主イエスは[改 124(3 節)]

牧 会 祈祷

・讃 美 歌 90番

聖書

使徒言行録 17章26~29節 (新約 P248)

列王記上8章23~36節(旧約 P542)

説 教

「我らは神の中に生き〜慈しみを注がれる神」

宮武輝彦

祈祷

・讃美歌 506番

・みことばの交読文 ローマ 8 章 25~28 節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

・頌 栄 542番

・祝 祷

報告



讃美歌~♬


讃美歌90「ここもかみの」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=cb4SbaTNjYM


1

ここもかみの みくになれば

あめつち御歌を うたいかわし

岩に樹々に 空に海に

たえなる御業ぞ あらわれたる

2

ここもかみの みくになれば

鳥の音、花の香 主をばたたえ

あさ日、ゆう日 栄えにはえて

そよ吹く風さえ かみをかたる

3

ここもかみの みくになれば

よこしま暫しは ときを得とも

主のみむねの ややに成りて

あめつち遂には 一つとならん


讃美歌506番 Satomi&Noriko

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=vZ3ovTR7Oy0

(ブログを見て頂けると歌詞も確認できます♬)



2023年9月24日 礼拝説教 中心聖句


わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。

使徒言行録17章29節


「イスラエルの神、主よ、今後もあなたの僕ダビデに約束なさったことを守り続けてください。」

列王記上8章25節


はじめに

聖書の神は、創造と摂理の神、啓示の神。この神の声に聞き、応えたい。

「神は、一人の人(血=命)からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。」とパウロは全人類の祖先は「一人の人」(アダム:創世記1章26~30節,2章7~25節、社会的生命体)であることを告げ、神の定めにおいて、全世界は一つであることを明らかにする。このように、「天地の主」である神は、ただお一人であり、世界と人類の創造主のおられることを告げる。そして、「これは、人に神[主]を求めさせるためであり、また、彼らが(本当に)探し求め(触れ、感じるようにはっきりと確実に知り)さえすれば、神(このお方)を見出すことができるようにということなのです」と伝える。それは、「知られざる神に」との祭壇に証しされた神ではなく、現実に人間社会に住んでおられる摂理の神を提示するもの。「実際(確かに)、神(このお方)はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません」と、パウロは、神は最も身近におられるお方であることを諭す。「忘れられた神」は、創造主なる神であった。

「皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』(クレタ人の詩人エピメニデスより)『我らもその子孫である』(キリキア人の詩人アラトス[アラトゥス]等より)と、言っているとおりです」と、パウロは、さらに、当時の二人の詩人の格言を引用する。ちなみに、エピクロス派は、「神々についての大勢の人々の発言は、真の先入観ではなく、誤った思い込み」と言い、神の普遍性を否定したことからすれば、この引用は、これに反する「神の真理」を伝えようとするもの。ストア派哲学者のセネカ[小セネカ]も、「神はあなたの近くに、あなたと共に、あなたの中にいる」と言った。使徒ヨハネは、「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです」(ヨハネ一4章7,8節)と言った。つまり、人間社会を創造され、全人類と国々の歴史を支配し、時至って、約束(恵みの契約)の御子をこの世に使わされた、ただお一人の神に仕える教えかどうかで、その神の向かうところ、真理の内実は、確実に吟味され得る。

「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません」と、パウロは、頭から偶像を否定するのではく、人間の存在そのものが、神の存在を肯定する(真の証拠)のであり、偶像は、天地の主なる神を源とするものではないことを告げ、アテネの人々の無理解について理由を明確にしながら戒める。「神を愛する人がいれば、その人は神に知られている」(コリント一8章3節)ように、知的探求の結果、神への忘恩を不明とするか、神に栄光を帰する知恵(キリスト)かが、人々の礼拝のあり方を規定する。

おわりに

ソロモンは、神殿完成の時、契約の箱を運び入れて、祈りを「イスラエルの神、主」にささげた。神の誠実において、イスラエルの民に慈しみが注がれた。主イエスは「求めよ」と命じられる、祈りと交わりの主。祈りのあり方を吟味したい。



(Mynote)

二〇二三年九月二四日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

「誰でも聖餐(主の晩餐)に与れますか?」

「いいえ、幼児洗礼を受けて居ても自分で信仰を告白して居ない人、又、洗礼を受けて居ない人は、与れません。私達は、一日も早くその人達が聖餐(主の晩餐)の祝に与れるよう祈ります。」

(公同礼拝)

『使徒行伝』(第一七章二六〜二九節)

『列王記上』(第八章二三〜三六節)

この『使徒行伝』の箇所は、先週から引き続き、パウロ達がアテネ地方に住む人達に信仰を解き明かし、殊に自分達が信じる「キリストの真実」を土台に、イエス様の事を宣べ伝え、その上でその地方の人達を責める事はせず、ただ真実の教えは真実、邪教は邪教と教える姿勢は崩さなかった。

ここでは先ず、神様と人間との関係が明かされ、そこで得られる真実により、人が神様の前でどう在るか?また人が自分で造り上げた宗教と真実であるキリストの教えとどう違うか?その辺りの事が教えられる。

全ての人は、神様から生まれた兄弟姉妹である。その理由は、神様が全ての人に夫々の命を与え、夫々の人が生かされて行ける土台(地球・生活空間)が与えられて居る事にある。人は誰も、自分で生まれようとして生まれて居ない。生前死後の事を知らず、又、知らず内に何となくこの地上に誕生させられてからこれ迄、知覚できる全ての現象・自然・自分の事についても説明し尽せない。各自が自分に問うてみるべきで、その点から神様と自分との関係が(自然を通して)教えられる。その神様に創られた人間が、用意されたこの地上で様々な思想を持ち合い、哲学・人生論などを交え、その果てに様々な宗教観を作り出し、それを「人が信じるべき教えだ」として今日まで来て居る。これは歴史に明らかで、今も周りに「◯◯教」が在る事が証明して居る。

しかし、真実は一つである。宗教に於いて言えばキリストの教えが唯一真実であり、他の教えは全て邪教に成る。この事をパウロ達は自らの信仰の土台とした上、神様と人間との関係から解き明かし、その人間から様々な宗教観が生まれ、その人から生まれた宗教観は「神様が本来人に教えた真実」から離れたものになって居ると言う。全ての人は、神様の恵みの中に生かされて居り、その恵みは全ての人に与えられて居る命、身の周りに在る(生きるのに必要な)自然・資源の存在に既に現れて居り、これについて先ず人は注目し、その恵みが本当に在る事を心に留めねば成らない。

人が作り出した宗教は時に人を迷わせ、争いや嫉妬、破滅・自滅を齎すものに成る(この事も歴史が証明して居る)。それは先ず宗教が複数あり、そして同じ宗教に集う人の内でも信じ方・考え方・感じ方の違いから来る争いにあるからで、人の間では常に争いが絶えない事が分かる。しかしそれは全て「人がする範囲の事」で起こる物事であり、唯一の神様に教えられた物事や定めを正しく守るなら、その様な争いは起きる事が無い。聖書の十戒にも在るが、キリストの真実が先ず教える事は「隣人を愛する事」であり、愛を以て他人に接して居れば先ず争いは起きず、キリストを唯一の真実と信じて居れば「他宗教との争い」が起きる筈も無い。詰り争いは全て、人間が自分からする事に在る。

全ての人は生まれながらにして罪人である。しかしその罪にしても人が自ら堕落したからであり、そもそも神様の教えに反いた事に始まって居る。アダムとエバは「エデンの中央の木の実を取って食べるな」と神様に教えられたに拘らず、蛇の誘惑を受けたエバはアダムを誘い、自分と共に木の実を取って食べた。先に神様に「食べてはならない」と教えられて居た以上、二人(即ち人間)は、これから自分達がする行為が罪である事を知ってやって居た…となる。これが先ず堕落の始まりであり、その後、人間は更に堕落して悪魔の側に立つ者も多くなり、ノアの時、神様は一度「人の世界」を終わらせようとなされた(この事については聖書を読んだ上で、人間の解釈の限りで記すものにある)。しかし神様はそれでも人の世界を終わらせず、その罪から逆に全ての人を救う為に(その一人子である)イエス様を人の間に遣わし、全ての人が自分の罪の悔い改めをして救われるその機会を与えて下さった。この経過が先ずイエス様と人間との関係に在る。この事をも教え解く上でパウロ達は、そのアテネ地方に住む人達に「誠の神に向かう正しい姿勢・信仰の在り方」について出来る限りの力を以て伝えた。

けれど、それでもそれ迄の習慣的惰性により、多くの人達の内には「パウロ達の言う事も一つの宗教論」と捉え、無知である人間から知識を錯覚して見出し、それを自分達の真実あるいは話のネタにして、そのパウロ達の信仰を責める者も居たろうか。

自然を見て知れば、全ての人は誠の神様の存在に気付き、そこで得られる信仰の奥義を知る事も出来る。正しい信仰に生かされるなら、その無知を土台に他の教えに迷わされる事も無く、偶像を拝まず、ただ一途に神様に向けて歩いて行く(歩まされて行く)事が出来る。

キリストの真実である神様の特徴として、人の名前を通して伝えられるものがある。アブラハムの神、ヤコブの神など、地上に存在した人の名前を通し、その神様の事が他の人々に伝えられる。しかし、誰の名前を通して伝えられ教えられる神様は唯一である為、複数に成らず、原点であるキリストの真実であるその神様の存在に終局する。この点にも「誰々の神」と人はまた曲解し、堕落が生む罪の上で他の神々を作り出し、それを自分や他の人達にさえ信じさせ、間違った宗教観(邪教の戒め)に繋げる事もしてしまう(これも歴史を見知れば明らかである)。

詰りそれだけ人は初めから曖昧なものであり、自分の事も知らない無知の生き物であり、間違った事(罪)を生まれながらに犯す者である。そしてこの様に人が創られたのは、神様の御計画の内に在る事で、その罪を通して人に悔い改めを思い知らせ、その悔い改めを土台に(信仰生活を土台に)神様が愛される本来の人間の姿に変えられる為、全て人の為に用意された成果に在ると言っても良い。人間がその様な生き物だったから、神様はその人間に合わせて恵みと救いの道を用意され、常に人に働き掛ける上、全ての人が信仰に於いて救われる事を願って居られる。罪は人の方に責任があり、それを分からせるため神様はこの様にされ、人が自ら救われる状態に辿り着く事を願って居られる。

「では、なぜ初めから、その愛する人の内から罪を取り除いて置かなかったのか!?」

と激しい論争が人の間で起こるだろうか。しかしそれは神様の御計画の内の事にあり、人知が及ぶ処には無く、人は唯それに従うべき存在と成る。この点には神様と人との立ち位置の逆転が生まれ易く、人が人の主観によりその御計画の在り方まで決め、神様を呪う者も現れて来る。そこでこそ、正しい信仰の持ち方が必要になり、神様と自分との在り方がどの様なものか、その事についての正しい知識と感覚が必要になる。その感覚と知識が正しい信仰を生む事になり、曲解せず、それ以上に堕落しない為にも、人は神様との一対一の関係に於いて信仰を強められ、自分の何たるかを先ず知る必要がある。そしてその関係の中でこそ、それ等の疑問も全て解決される…その事を信じる姿勢が必要になろう。

詰りこの『使徒行伝』の箇所では、神様と人間の立ち位置・関係の在り方が強く問われ解かれて居るのであり、クリスチャン・ノンクリスチャンを含め、全ての人が注目し、傾聴し、自分の存在(即ちこの世に生かされて居る人間の存在)の何たるかを知る必要がある事が示されて居る。

全ての人は神様の恵みの内に生かされて居り、その事に気付くと共に、常に自分に救いの為の導きと神様の憐れみが注がれ、正しい信仰生活を歩む大事を知らねば成らない。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


榎本保郎牧師 ミニ説教17 「大胆に叫ぶ者に」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=-PKV6ee72tk&list=PLsm9yO2iPJwbdJksJGAKNxpg1NbzEP7W9&index=17&t=15s


「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい」

THE DAILY with Arthur Hollands 2023/09/26

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=7LQt3i7JiXs


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)



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