10 芸術と落書き
「正太。平日は飼い猫の画像、休日は料理の画像では人気者にはなれないぞ。もっと部屋でパジャマ姿の自撮りをするだとか、お風呂上りに牛乳を飲んでいる自撮りをするだとかしたらどうだ?」
「誰が得するんですか……」
毎日欠かさず正太のSNSをチェックしている倫は本人に見たい画像をリクエストするが、正太はそんな痛い自撮りはしたくないと呆れながら拒否をする。『正太は自分の事が好きだ』という勘違いに未だ支配されている倫はそれでも『好きな人にちょっと色気のある画像を要求されて恥ずかしがっているのだろう、セクハラみたいなことをしてすまないな』と前向きに捉え、正太を誘って校内の清掃活動に勤しむ。その途中、普段人が通る事の無い体育館の裏側の壁の前で立ち止まる倫。
「……全く、落書きとはけしからん」
壁にはネズミのキャラクターが何やら喋っている絵が描かれており、すぐに消そうと掃除道具を取りに行く倫。一方の正太はどこかで見覚えがあると自分の記憶を思い返す。
「さぁ消すぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください、これってひょっとしたらベイクシーかもしれませんよ」
「ベイクシー? 横浜の野球チームのマスコットキャラか? 地元のチームでもない球団のマスコットキャラの落書きなんて削除だ削除」
「有名な芸術家なんですよ、ストリートアートってやつです。本物なら物凄い価値がつくかもしれません……あ、ベイクシーのSNS見てください、お寿司の画像載せてます、日本に来てるって事ですから本物の可能性高いですよ」
「落書き犯がSNSをやる時代か……」
掃除道具を持って戻って来た倫に対し、芸術の可能性があるから消すのは辞めて欲しいと、ベイクシーについての情報をスマホで見せながら懇願する正太。どんな偉大な芸術家であっても落書きは落書きだと消す意向を変えようとしない倫ではあったが、そういえば近くに美術館があったなと思い出す。
「……まぁ、私は芸術には疎いからな。正太は詳しいのか?」
「すみません、実際のところよくわかりません。ベイクシーもテレビとかで話題になってるから知ってるってだけで、ミーハーなもんで」
「落書きか芸術か判断するためには勉強が必要だな。私の家の近くに美術館があるんだ、そこに行ってみないか?」
オシャレで知的な美術館デートを想像した倫は正太を誘い、正太も興味はあったし、目の前の芸術の可能性がある落書きを守れるかもしれないからと快諾する。そして週末、倫の家の近くにある美術館に入り、世界中のアーティストによる芸術を眺める二人。
「よくわかりませんね、僕には。現代アートって一体何なんでしょうか……?」
「本当にこんなものに億の価値があるというのか……? 税金対策とか何か裏を感じるな。理解できないという意味では、私達はセンスが似通っているな」
展示された芸術に対し二人して眉を顰めるという、オシャレで知的には程遠いデートではあったが、少なくともセンスが全然違うということでは無いため相性の良さを実感して上機嫌になるポジティブな倫。そして倫にとって今回のデートは、今までの2回のデートとは圧倒的に異なる部分があった。
「前にも言ったが家がこの近くなんだ。お茶でも飲んで行かないか」
「親御さんに誤解されませんかね?」
「私は別に誤解されても構わないさ、さぁ行こう」
美術館が倫の家の近くにあるため、自然な流れで自宅へ正太を招くことが出来る。こうして自分の部屋に正太を招きお茶をするという重大なイベントを達成した倫は、芸術は理解出来なかったもののベイクシーかもしれない落書きを残す事を決めたのだった。
◆◆◆
「これが芸術ねぇ……?」
ある日の放課後、倫が体育館で剣道部として練習をしている最中、その裏では正太に面白いものがあると連れて来られた紅露美がベイクシーかもしれない落書きを眺めていた。何かを閃いたらしい紅露美がその場を離れ、しばらくして戻って来た彼女が持っていたのは掃除道具では無くDIY部から借りて来たというハンマーやノコギリと言った解体工具。
「この壁の一部分を切り取れば、大儲け出来るかもしれねえ」
「こういうのは切り取ったら価値が無くなったりするもんなんだよ。大体壁を壊して体育館が崩れたらどうする気だい」
絵の周囲を破壊して価値のある芸術を手に入れようとする紅露美であるが、現実的では無いと正太に突っ込まれて悔しそうに解体工具を戻しに去って行く。そして戻って来た紅露美が代わりに持って来たのは掃除道具であった。
「金にならない芸術なんてウチが書いた落書きと何一つ変わらねえよ。ただの落書き犯が持て囃されて、何でウチは怒られるんだ。こんなもの消してやる」
「気持ちはわかるけど……そうだ、ちょっと待ってて」
芸術だと言えば落書きが許されるのか、と珍しく真っ当な意見を述べながら落書きを消そうとする紅露美に対し、正論ではあるが消すにはどうにも惜しい気がする、と悩んだ正太はその場を離れ、やがて美術部から筆やペンキを借りて戻って来る。
「僕達もここに芸術を描こう。芸術の隣に描けば同じ芸術として認められるはずだ」
「お、いいねえ。天才アーティスト紅露美ちゃんのデビュー作だ」
自分達の落書きをベイクシーの描いた続きという事にして世間に認めさせようという正太の主張に対し、責任はベイクシーが取ってくれるなんてうまい話だなと嬉々としながら筆を撮り、ネズミの絵の近くに動物のような絵を描いていく。
「何それ」
「小学校の頃にノートに落書きしてた怪獣のブラックロミゴンだよ。格好いいだろ」
「もうちょっとコンセプトを寄せないと。そんなんじゃ誰が見たって偽物の模倣犯だと思われるよ。僕はネズミに対比して猫を描こう」
「猫が描きたいだけだろ……」
画風も全く違う、画力が小学生の頃から向上していない紅露美によるブラックロミゴンがネズミに向かって炎のようなモノを発射しているのを呆れ顔で眺めながら、正太は繊細なタッチでネズミを狙う猫の絵を描く。しばらくして、ベイクシーが描いた可能性のあるネズミを、両側から狙う猫とブラックロミゴンというアートのような何かが完成した。
「テーマは……『お前を倒して俺達が本当の芸術になる!』で決まりだな」
「うーん……やっぱり紅露美さんのは絵柄が違い過ぎるし、倫会長が見たら消しちゃうかもよ」
「その時は必死に止めろよな」
三匹のアート? を写真に撮りながら、満足して帰って行く紅露美。その翌日、正太は倫に対し『この前の芸術に続きが描かれているかもしれません』と誘って自分達の描いた自称芸術を見に向かう。元からあったネズミの両側に描かれた絵を見て、倫は顔を顰めた。
「……これは偽物だな。誰かが勝手に付け足したのだろう、芸術に対する冒涜だ」
「絵柄は確かに違いますけど、異なるタッチの絵を同時に描く事で多様性を表現してるんでしょう。この怪獣? は現代社会を表現してるんですよ」
「私が言っているのはこっちの猫の絵だ。ただ綺麗なだけで何のメッセージ性も無い」
「えっ」
思った通り落書き扱いして消そうとする倫に対し、消さないようにそれっぽい事を言う正太ではあったが、倫が偽物扱いしたのは正太の描いた猫の方であった。その後もただ綺麗な絵を描くだけなら誰にでも出来る、こっちの怪獣の絵は子供のように純粋な想像力を持っていないと描けないし立派な芸術だと、ブラックロミゴンを芸術扱いしながら正太の描いた絵を落書き扱いし、終いには正太の方だけ消してしまう。
「わからない……芸術って何なんだ……あんなのただの子供の落書きじゃないか……僕の描いた猫の方がリアルなのに……」
その日の晩、紅露美に負けた事でプライドがズタズタになった正太は、インターネットで芸術とされる画像を見ながらうわ言のようにぶつぶつと世間への不満を述べるのだった。
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