第2話 助けて

身体が痛い……そして、重い。

このままじゃ溺れ死ぬかと思ったけれど、自分がいるのは湖のふちのあたり。

ちゃぷちゃぷと波がかかる場所で泥に半分埋もれていたようだ。


ああでも、動かないと泥に埋まって、死ぬのには変わりないかも。

なんとか泥の中から這い出て、草の上まで来ると力尽きて目を閉じた。


もう夕方近く。あたりは薄暗くなっていた。


ドリアーヌの火球で死ぬことはなかったけれど、

体中が痛くて仕方ない。もしかして全身を火傷しているのかも。

結局、ここで死ぬのなら助かっても意味がなかったんじゃ。


こんなに痛い時間が続くのなら、

痛みも感じないうちに死んだ方がましだったのに。


もう目を開けていられない。

気が遠くなりそうと思っていたら、遠くから人の声がした。


「ジルベール様!こんな場所に何があるっていうんですか?」


「お前は気がつかないのか?」


「何がです?」


「……気がつかないのなら、いい。ついてこなくていいぞ」


誰だろう。男性の声。二人組?

伯爵家の屋敷の使用人が探しに来てくれたのではなさそう。

そもそも、私がいなくなったことに気がついていない気がするし。


「ジルベール様についていきます!助手の仕事ですから!」


「助手、ねぇ。では、邪魔をするな」


足音が近づいてくる。

助けを求めたら、助けてくれるかも?


「みぃ……」


え?すぐ近くで猫の声がする。

いや、そんなこと考えている場合じゃない。

声を出して、助けを呼ばないと。


「み……みぃ……みみぃ……」


おかしい……声がでない。

助けてくださいと言っているはずなのに。


「そこか?」


猫の声に男性が気がついたのか、こちらに向かってくる。

この男性は猫を探していた?ついでに私にも気がついてくれないかな。

明かりを持っていたのか、周辺が明るくなった。


「猫……?」


「ジルベール様!ほっときましょうよ。

 そんな汚い猫!しかも、黒じゃないですか!」


「エクトル、お前は黒を嫌っているのか?」


「当たり前じゃないですか。

 黒なんて不気味で、関わりたくないですよ。

 さぁ、もう帰りましょう」


猫には気がついたけれど、私には気がついてくれなかった。

もしかして、泥だらけだからわからないのかも。

もう、声を出す気力もない。


猫も黒なんだ。私と同じ……嫌われているのね。

その猫が見たくて目を開けたら、男性二人が見えた。

金髪の美しい男性と薄茶髪の大きな男性。


黒が不気味だと言った薄茶髪の男性を、

金髪の男性は無表情なまま見ている。

深い森のような緑色の目。すごく綺麗な男性……貴族よね。


冷たそうな顔。人の心なんてないような、

まるで本に描かれていた挿絵の神様みたい。


社交界なんて行ったことないから誰なのかもわからないけれど、

死ぬ前に神様みたいな人を見れて良かったかも。


「黒が魔女の使いだなんて、

 一昔前のおとぎ話を信じている愚か者か」


「は?」


この人……信じてないんだ。

黒は不吉で近づいたら呪われるって言われているのに。

私のことを言われたわけじゃないけど、うれしい。

こんな人に拾われたなら、黒猫でも幸せになれるわね。うらやましいなぁ……。


「俺の邪魔をするなら、もう帰れ。必要ない」


「そんな!」


「エクトル、命令だ。先に戻って自室で待機していろ」


「……わかりましたよ」


舌打ちでもしそうな感じで薄茶髪の男性は遠ざかっていった。


金髪の男性はこちらに向かって……え?すごく大きい?

薄茶髪の男性も大きかったけれど、金髪の男性もすごく大きい。


いや、何かおかしい。

見上げるような大きさの金髪の男性はひざまずくと、

私をおそるおそる抱き上げた。


その両手の上に乗せるように。


「みぃ……?」


「猫……じゃないな。この魔力は人間か?」


猫じゃなくて、人間?

金髪の男性が見ているのは、間違いなく私の目で……

嘘でしょう……?


私の手を見たら、黒い毛でおおわれている。

しかも小さくて尖った爪がある。

本当に、猫の手?


金髪の男性がすごく大きいんじゃなく、私が小さくなっている?

しかも、黒猫って……


あぁもう、わけがわからない。

身体中が痛くて、これ以上なにも考えたくない。


「怪我をしているな。これは、やけどか……すぐに治す。

 痛くてもじっとしていろ」


口は悪いけれど、優しい人みたい。

……暖かい。陽だまりの中にいるような暖かさ。


身体がぽかぽかして、痛みが薄れていく。


「怪我は治した。だが、まだ動くなよ。

 体力は回復していないはずだ」


「……みぃ」


ありがとうと言ったつもりだった。

でも、鳴き声にしかならない。


金髪の男性はそれでもわかってくれたようで、

気にするなと言った。

表情は冷たいままだけど、少しだけ目が和らいだ気がする。

美しいから冷たそうに見えるだけなのかもしれない。


手の中に包まれたと思ったら、ゆらゆら動いている。

どうやら、金髪の男性に抱き上げられたまま移動している。

どこに連れていかれるんだろう。


着いた先は貴族の別荘のようだ。

指の間から見える別荘は、伯爵家であるうちの別荘よりも大きい。

ドリアーヌなら、どこの貴族なのかわかるだろうけど、

社交をしていない私にはわからない。


この別荘地に来るのも初めてだし、

どこの貴族が別荘を持っているのかも知らない。


玄関から入ると、侍女服を着た女性が一人出迎える。

若くても、しっかりしていそうな侍女。

こんなに大きな別荘なのに、出迎える使用人が一人だけ?


「ジルベール様、おかえりなさいませ」


「ああ」


「その手の中にいるのは……猫ではないようですね」


「マリーナでもわかるのにな」


「はい?」


「エクトルはくびにしておいてくれ。

 役に立たないだけならまだしも、俺の行動を制限しようとする。

 これがただの猫にしか見えなかったようだし、

 黒を嫌っているような頭にカビが生えた奴は必要ない」


「あぁ、それで先に戻されたのですね。

 かしこまりました。そう致します」


「頼んだ」


この方はジルベール様という名前なのか。

さきほどの大きな男性はくびにされてしまったらしい。

黒を嫌っている人は頭にカビって……。

本当にこの人は黒を嫌っていないんだ。


「その方のお世話はどうされるのですか?」


「あとで呼ぶ」


「かしこまりました」


侍女に任されるのかと思いきや、そのままジルベール様の手の中。

ゆらゆら揺れて連れていかれた先はジルベール様の部屋。

についている、浴室だった……え?


「暴れるなよ。お前、泥だらけなんだ」


「み?(え?)」


「いいから、じっとしていろ」


「みぃぃ!?(嘘でしょう!?)」


「ほら、あきらめておとなしくしろ」


「み゛み゛ぃぃぃ!(いやぁぁ!)」



……身体中、あちこちなでまわされて洗われてしまった……。

猫の身体だけど、でも、感覚はあるのに!


ぐったりしていたら、ジルベール様がくつくつ笑っている。

この人、もしかしてわかっていて洗ったの!?


「悪かった。怪我がちゃんと治ったか見るためにも、

 手で洗わないとわからなかったんだ。

 さわったのは猫の身体だし、そう怒るな」


「みみぃ……(そういうことなら……)」


仕方ない。洗われたことは忘れよう。

怪我を治してもらったし、あのままなら死んでたと思うし。


「じゃあ、解呪するぞ」


「み?(え?)」



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