トーキョー・アポカリプス

橘士郎

壊れた街

 その商店街は、どこを向いても闇雲に見える。

店を構えるというのは多くの場合利益の為だし、物を買うというのは多くの場合楽しむ為だ。しかしその商店街では売る側も買う側も、みんながみんな闇雲なのだ。つまり、目的が無い。だからただシステムに従って売買がされているのかと思えば、そういう事でもない。目的も泣ければルールも無い。ただただ物を仕入れ、売り、買う。時には無償で与え、時には乞食をする。そして売る側もそれに対して何かを言わずにただ施す。ある意味では気持ちの悪く不自然な光景。常識と現実が乖離していて、自分の中に上手く落とし込めない現状が、ただそこには存在している。


 日本が壊れてから、多くの場所でこういった光景を見ることが増えた。カブに乗って沿岸部を旅していると良く市場に出くわす。瓦礫の山を切り開き小さなコミュニティを形成している。そしてその多くの市場がどこもかしこも闇雲なのだ。

 ある時、頼まれ事仕事で市場と市場を往復して物を運んだ時にその市場を取り締まる役会の老人に宴席に招かれた。その宴席は市場から少し離れた内陸部で行われた。災害前のきれいな状態に復元されたのか、遺っていたのか、大きな日本家屋の広い庭の地べたに座ってみんなで火を囲んだ。珍しく酒もふるまわれた。それは所謂ムーンシャイン密造酒だが、行政の施工した法律は形骸化して久しい。こんな世界では、人々の楽しみは原始的な物に回帰し始めた。密造酒、それを賭ける賭博、詩歌、短歌、俳句、小説、そして勉強。二十一世紀に入って失われていた緩やかな時間が、皮肉にも大規模な災害で取り戻された。どちらが正しいという訳ではない。ただ、考えることが少ないという事は少なからず精神衛生的に良いという話だ。

 宴席も、頃合いの炭火の様に落ち着きを取り戻してきた時分に、市場長である茅場という男が声をかけて来た。誕生日は分からないらしいが、公称七十歳。この公称は八年間変わっていないと若い衆が教えてくれた。

 茅場は熱燗にしたムーンシャインを傾けながら両切りのタバコを咥えている。


「楽しいか?」

「えぇ、一人旅ですから宴席は嬉しいです」


 私は本音を言った。カブで沿岸を走るのは楽しいが、時々水平線に吸い込まれてしまいそうな孤独を感じる時がある。そういう時には市場によって人の声と日本語を思い出す。


「それは良かった」


 そう言いながら茅場は白い手ぬぐいを取り出して私の方に差し出す。

 手ぬぐいを受け取り、解くと中から紙で巻かれた両切りたばこが数本出てきた。

 目配せして一本取り口に咥える。なかみがこぼれないように手脱ぎを結びなおして返した時に、シガレットから発せられる独特の香りを感じた。甘く、重く、もったりとした香り。


「大麻?」


 茅場は口の端だけで笑う。

 ポケットに入っているジッポを取り出し、火をつける。

 甘い味がして、その後に青臭さが残る。煙を吐き出した口の中にはタバコよりも少し不快な味が残る。不慣れなだけだろうか。

 そんな私の事をにやういた目で眺めていた茅場は、突然口を開いた。


「災害の後、ここの集落はニュー・ヒッピーの拠点のだった。だから大麻製造が盛んでね、そのまま主要産業に落ち着いたよ」


 行政施行の法律は形骸化して久しい。くたびれた世界の中で人々が生きていくには様々な娯楽が必要だ。人々は娯楽の為に生きていると言ってもいい。別に大麻を肯定、否定するという話ではなく単純に今の人々にとって大麻とは活力の一つである。それに付随して市場利益の三割は大麻市場が占めているらしい、という話を北海道の市場長に聞いたことがある。


「あの、質問してもいいですか」

「いいよ」

「失礼だったらすみません」

「こんなご時世に失礼なんてないよ。みんな生きてるだけだから」


 茅場は笑っていった。

 そうですね、と笑い返す。


「……何のために、生きているんでしょうか」


 茅場は沈黙して、大麻を大きく吸い込んで肺に入れた。

 それを吐き出すでもなくしゃべり始める。


「市場に異質さを、感じたんだね」


 吐き出されなかった煙が言葉と共に空中に霧散していく。


「……感じました。秩序があるのか無いのか。目的がある様でない。まさに闇雲」


 茅場は大麻を消すと吸い殻を放り投げた。それを見たリスが吸い殻を一目散に奪っていった。体がやせ細ったリスは、大麻に中毒している様だった。


「僕はね、ここまで生きてきて思ったんだ。人間は模倣して生きてる」

「模倣?」

「そう。特に集団ではね。人々は先の災害で孤独になった。生物としての本能的な生き方を思い出したはずだった。けど、結局集団になった。それは不安だからだ。他人の模倣をすることで自分を確かめてる。一人じゃ自分は認識できないから、目に見えた他人と同じ行動をすることで自分も人間であることを確かめてるのさ」


 市場が異質に見えたのはそこに歴史が無いからだと茅場は言った。経済は歴史の上に成り立つ。欲望は歴史と共に変化を遂げ、それを満たすための経済も様々な形に発展していく。しかし今まで積み上げた歴史の一切は先の災害で全て無に帰してしまった。人々は突然宇宙に放り出された様な不安に駆られて、自分自身が生きているという実感を失っていった。だから、人々はもう一度集まった。他人の在り方を模倣すれば、過去にあった集団を真似れば、生きているという事になるんじゃないか。「生きる」が分からなくなった人々はそうしてまた新しい集団を作り上げた。けれどそれは模倣でしかない。そこには歴史が作り上げた欲望の変遷も、資本も存在しない。だから人々は異質な行動をとる。「生きる」を見失った彼らは、本質の無い形骸化した世界を生きる。そうでもしなければ人々はまた自分が分からなくなってしまう。人るで生きていく事が出来ない人類という生物は、他人が居なければ自分を知れないし、快楽も得られない。きっといつかは、こういう在り方は破滅を迎えるよ。僕も先は長くないからね。


 茅場はそういうとムーンシャインを一気に飲み干した。


「だから、嬢ちゃんみたいな旅人は良いのさ。一人でも自分を実感できる。新しい人間の在り方だ」


 その言葉が脳裏にこびりついて夢に出てきた。人々はネットが誕生してから望んで孤立を選択した。けれども本当に必要だったのは繋がりだった。それが今こうして歪な形で表れている。私の旅は本当に健全な物なのだろうかという部分に疑念を遺す一夜だった。生きる意味を旅そのものに見出している私が、もしかしたら入り込むべきなのではないのかもしれないという思いを強く感じた。


 翌朝は、日本家屋の庭で目を覚ました。あの後大麻によってそのまま寝てしまったらしい。私の上にはボロの布が掛けてあった。それを立たんで縁側に置き庭を出ると、茅場が私のカブをしわくちゃの手で静かに撫出ていた。


「いいバイクだ」

「えぇ、兄の形見です」

「よく整備されてる」

「兄に教わりました」


 茅場はバイクから手を離し前を向く。そちらの方には広大な太平洋が広がっている。この家は少し内陸の高台にあるから、市場まで良く見渡せた。

 市場は既に火が入っていて、大量の人々の動きが血流の様に見える。それは一つの経済と言って差し支えないと思う。


「実は僕はもう、九十になるんだ」


 日の出を終えた水平線を見ながら茅場は零した。


「なぜ、嘘を?」

「ずっと変わらないモノがあると、人は安心するだろう?」


 振り返り、言う茅場の顔には笑みが張り付いていた。

 私はそうですね、と相槌を打ち茅場の居る方途反対からバイクにまたがる。鍵を刺しエンジンを始動させる。


「茅場さん、お世話になりました」


 茅場は頷くと、バイクから一歩引いた。

私はハンドルを捻ってバイクを前進させる。


ーーー僕の役目もそろそろ終わりかな。


その刹那、私はその言葉を聞き逃さなかった。




 峠を下り、海沿いへ出る。市場の人混みは昨日よりもいっそう激しい。

 十月の早朝の太平洋は、山側から吹く風に煽られてサーファーを海へと駆り立てている。復興を放棄したこの国はもしかしたらもっと楽しい世界へと変貌を遂げるのかもしれない。そう思うとハンドルを握る手は少しゆるみ、ツーリングを楽しんでみようかという気持ちになる。


 富山キャンプ(旧富山市)の海岸を抜け、トーキョー(旧多摩地区)を目指す。風、天気、日差しは良好だ。

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トーキョー・アポカリプス 橘士郎 @tukudaniyarou

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