第4話 消火活動
火の粉が舞い散り、真夜中の空は赤く染まる。
山を切り開いて建てられた、小高い丘にある、岩本いちご農園は、公道から一望でき、遠くからでも燃え盛る光景がはっきりと見えた。
普段見慣れたはずのいちご農園と家屋の風景が、今やまるで別世界のように変わり果てていた。まるで獣のように、とてつもない勢いで周囲に襲いかかる炎は、見る者を震えあがらせる。このままいけば、周囲を取り囲む木々にも燃え移り、大規模火災に発展しかねないと、現場に初めて向かう圭ですら考えていた。
祭り会場から、急いで消防車に乗り込んだ山師団が到着したのは、火事に気付いてから、三十分経った頃であった。
「一班と二班は、消火活動だ。他のメンバーは、周辺に燃え移らないように、可燃物を集めるんだ」
消防団団長の西新井広見が的確に指示を送ると、消防服に着替えた団員たちは一斉に駆け出す。
彼らは複雑な胸中であった。先ほどから、岩本に連絡がつかないからだ。
誰もが一分一秒を争う思いで、消火活動を始める。
ホースから勢いよく水が噴き出し、炎を切り裂く。しかし、炎は予想以上に勢いよく燃え盛り、全員がその危険に晒される。
消火活動初参加の圭は、ホースを後方で支える補助を行う。
その時、隣で消火をしている誰かが叫んだ。
「まだ中に人がいるぞ」
その声に、圭の背中にゾゾゾッと悪寒が走った。恐れていたことが現実になったからだ。家人の誰一人、安否の確認が取れていないと報告を受けていたからだ。
岩本家は、岩本夫妻と、三人の子供たちがいる。その姿が、どこにも見当たらないのだ。
圭の、ホースを握る腕に力がこもる。
山師団の消火活動から十分、他の地区からも続々と消防車が救援に来てくれた。
岩本いちご農園までの坂道は、車一台が通れるだけの幅であり、農園の平らな敷地内が、瞬く間に消防車、救急車で埋め尽くされる。
騒然とした現場の中で、突然、悲鳴に似た声が上がった。
「岩本ッ」
黒煙を上げる二階のベランダに岩本らしき男が姿を現し、手を振っている。
母屋のベランダの部分は幸い、まだ炎に包まれておらず、何かを必死に訴えている様子がはっきりとわかる。
その姿を見た瞬間、圭の前でホースを握る大鳥居が叫ぶ。
「ベランダの周りに放水する」
圭は、大鳥居に合わせるようにホースの向きを変える。
その時、突然、何かが爆発した。
大きな音とともに、火の玉が空中に舞い上がる。ハウスに備え付けられていたガスボンベが破裂した音だった。猛烈な爆風が周囲を吹き飛ばし、隣接していた母屋の隊員たちに襲い掛かる。
「危険だから離れろ」
西新井が叫んだ。
その声が届く暇もなく、火の粉が舞い散り、爆風の余波で消防団員は、必死にホースを放さないように、地面にしゃがみ込むのがやっとであった。
爆発の影響で、消火の足並みが乱れるのを必死に立て直し、消火活動を再開する。
それでも、炎は止まることなく、消防団員の努力を無駄にするかのように暴れ続けた。
しかし、爆風の影響でハウスが倒壊し、消火活動の幅が狭まった。母屋を重点的に消化したおかげでようやく火はおさまり始め、少しずつ鎮火していく。
爆発があったせいで岩本の姿を見失ったが、鎮火した納屋を捜索している時に、倒れている岩本を発見した。どうやら、ベランダから飛び降りて、下にある納屋の屋根を突き破って落ちたらしい。
「おい、大丈夫か?」
隊員が声をかけると、衣服が黒焦げになった岩本はわずかに反応した。すぐさま、担架が用意されて、岩本は救急車に運ばれる。
救急車で応急処置を施されて、病院に搬送されるころ、ようやく火の手が完全に収まり、周囲は水が滴る音とラップ音のような不気味な音が暗闇の中で時折していた。
煙が空に溶け、赤く染まった空は次第に元の闇を取り戻していく。農園の周りは、ひどく焼けており、暗闇に、様々なものが入り混じった焦げた匂いと、白い煙が湯気のように漂っていた。
山師団のメンバーたちは、疲労困憊した体を引きずるように、岩本いちご農園を後にした。
他の地区の消防団員と消防署員たちが事後処理をかって出てくれた。そして、暗闇の中でライトを照らしながら、再燃防止の確認や行方不明者の捜索をしていた隊員の一人が、岩本の妻と子供三人が遺体を発見した。
* * *
数日後、峨朗に連れられて、焼け跡を見に来た圭は、無言でその場を見守ることしかできなかった。
太陽に照らされた岩本いちご農園のハウスと母屋は、その面影すら残さず、消失していた。焼け跡に残されたのは、炭となった柱数本と、ぬかるんだ地面であった。
「火元はハウスらしい」
ビニールハウスの暖房用のガスが何らかの原因で引火して火災に発展したという。しかし、季節は九月の終わりであり、いちご栽培の季節でもないのに、ハウスからの失火はおかしい、といううわさが出てきていた。
「そうですか……岩本さんの容態は?」
圭がようやく重い口を開いた。
「いよいよ、危ないらしい」
意識不明で救急搬送された岩本は、現在、病院の集中治療室で治療に当たっているらしい。
火災原因の調査が進む中、消防から伝えられた情報がひそかに集落の人々に衝撃を与えていた。それは、火事が自然発生ではなく、放火によるものだという疑いが強いということだった。
誰が、なぜ、こんなことをしたのか。その疑念が一人の人物に注がれていたことを誰もが想像していたが、口に出す者はない。
そんな中、山師団のメンバーは、岩本の見舞いに病院へと向かった。
集中治療室に入ると、そこにはまだ意識を取り戻していない岩本が静かに横たわっていた。体中が包帯で覆われ、顔もほとんど判別できない状態である。
その苦しみの跡が、圭の胸を締めつける。
「岩本君、岩本君……見舞いに来たよ」
代表して、大鳥居が岩本に向かって声をかける。
「山師団のメンバーが全員集まっている」
「岩本」
「岩本さん」
メンバーたちが口々に岩本を呼ぶ。その時、岩本の指が微かに動いた。
その小さな動きに気づいた瞬間、彼の目がゆっくりと開き、山師団のメンバーの姿を確認したように見えた。
彼は一点をじっと見つめ、震えた指を真っすぐにして、山師団のメンバーがいる方を指した。
そして、口を開き、声にならない息を漏らすように吐いた。何かを訴えようとしていることは、その場にいる誰もが分かっていた。
固唾を飲んで、岩本の動向を見守っていると、次の瞬間、岩本の身体が一度、大きく震えたかと思うと、急に電池が切れた人形のように動かなくなった。
「ナースコールを押せ」
唖然としていたメンバーたちの最後尾から、西新井が叫んだ。大鳥居がベッドのわきにあるナースコールを押す。
動揺と混乱が病室を支配する。そんな中、圭は隠れるようにして、峨朗の顔を伺っていた。あの、岩本の指が動いた瞬間、一瞬だが、峨朗の顔には戸惑いと恐れが浮かんだように見えた。
病室の扉が開き、ナースがやってきたので、大鳥居が状況を説明する。慌ただしくナースが出ていくと、山師団のメンバーたちは、病室を出て、病院の駐車場で別れた。
圭は、峨朗の車で一緒に会社に帰る。
会社で待ち構えていたのは、顔なじみの例の刑事二人であった。彼らの目は険しく、まるで獲物を捕らえる肉食獣のような冷徹さを湛えていた。
一人が近づいてきて、峨朗に向かって言った。
「馬酔木峨朗さん、岩本いちご農園の出火について事情を聴きたい。署まで一緒に同行願おう」
その言葉を聞いた瞬間、峨朗は言葉にならない声を漏らしていた。岩本が最期に指さしたのは峨朗だったと、圭は思っている。
しかし、まさか、本当に刑事がやって来ようとは予想もつかなかった。それでも、峨朗の顔に浮かんだ動揺がすべてを物語っているようだ。
刑事は冷静に峨朗に手錠をかけ、圭はその場で見守るしかなかった。
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