第2話 山師団という組織




 四月に入社した圭は、瞬く間に一ヶ月が過ぎ、作業にも慣れてきていた。

 季節は春から初夏に入り、肌寒かった山の生活も日中は温かく、日向の作業では汗ばむときもある。

 静岡県は、年間を通して温暖な時季が多く、雪もめったに降らない。なので、暮らすには最適な環境だと、圭は感じた。

 山田沢での生活にも慣れ、なんとか生活が回るようにもなった。しかし、肉体の方は、山仕事の過酷さから至るところが筋肉痛で、靴擦れをおこし、手にはマメができていた。休日になれば、一日中寝ていたかったが、それでも、自堕落になりそうなので、十時には起きるようにしていた。

周囲の環境に慣れてくると、徐々に集落の独特の世界観に気づきはじめてきた。

 人々は、一見、人が良さそうな顔をしているが、踏み込んでみると何を考えたかわからない部分がある。得に、伊勢崎老人の一件があって、そういう思いが強くなった。

 それでもまだ、耐えれないレベルではないので、山田沢から出ていくつもりはなかった。すぐに辞めるのは良くないという、心にかせがかかっていたのかもしれない。

 林業の方は、自然が相手の仕事と言うことで大変だが、やりがいがあった。圭は一つの事が気になっていた。仕事の割に給料が意外といいということだ。

 それは喜ばしいことなのかもしれないが、しかし、相場だと初任給が三十万円を超えない林業で、自由に休んでよく、雨の日に会社が作業を休工するのに、三十万円を払ってくれるというのだがら、文句はないがどういう仕組みになっているのか気になる。しかし、給料の事を尋ねたら、じゃあ下げようか?といわれたら嫌だったので、圭は黙っていた。

 また村の生活に慣れてくると、周囲の人間の性格や関係性も分かってきた。

 特に社長を中心とする、会社や知り合いの顔や名前も覚えてきて、すっかり村の一員になれたような気がした。



  *     *     *



 山田沢には青年団がある。

 社長に聞いた話だと、在籍人数は二十九人。上は五十代から下は十代後半のメンバーがいる。

 彼らの役割は、主に消防団と集落の行事などを取り仕切ること、また、夏休みなどにボランティアでよそから来た者の世話を焼くのが仕事だ。

 通称 、 と呼ばれている。

 山師団のリーダーは、師団長と呼ばれており、その下に団長を支える副団長、各役割を統括する班長がいる。わずか、三十人弱の集団だが、村の青年がほとんどにゅだんしていることもあり、 影響力は強いのだという。

 その山師団に、圭が入団することになった。

 以前は、集落の出身ではない者は入団できない決まりだったが、昨今、年寄りが増え、反対に人口が減ったことにより、このままでは村の存続が危ないと危惧したことにより、外部から移住者を柔軟に受け入れていこうと方針になったからだ。

 山師団の集会所は、集落の中央を縦に割くように作られたメインストリートの入口にある、一階は消防車と消防などの防災道具が置かれた倉庫、二階には約二十畳の和室がある建物であった。

 数年前に改築したようで、外観はシックなグレーのトタンを使っているが綺麗な作りをしていた。

 目の前に道路を挟んで三十台以上、車を止められる駐車場になっていた。

 この夜、メンバーたちが集まり、月に一回の会合が行われた。

 この日に話されてることは、毎年恒例の夏にむけての観光客対策と、先月亡くなった、メンバーの追悼式であった。

 その前に、新たに入団するメンバーの紹介が行われた。


「紹介する、彼は、先月、東京から山田沢に来た、沖土圭君だ」


 全員の前に立たされて、師団長から紹介されて、圭は緊張した面持ちで一礼した。


「彼は、馬酔木君の会社に就職して、この集落の空き家に暮らすようになったそうだ。歳は二十九歳。それじゃあ、沖土君、自己紹介してもらえるかな?」


 師団長が背中をポンと、触った。


「はじめまして……」


 圭の自己紹介が終わり、続いて、本題である、夏の観光客対策について話が続いた。

 山田沢には、毎年、キャンプや観光地を巡る観光客が数多く訪れるという。その数、延べ一万人を超えるという。

 人口、三千五百人の山田沢では、それは一気に人が増えたような騒がしさを体験することになり、毎年、何らかのトラブルが起きているという。

 その対応に真っ先に駆り出されるのが、山師団の昔からの習わしである。

 そのため、メンバーは当番制で、パトロールやキャンプ場の管理などを任せられる。損な役回りだが、役得もある。

 夏の観光客対策について一通り話を終えた後、追悼集会と銘打っての飲み会が始まった。


「こいつが俺の会社で働いている沖土ってやつだ。よろしく頼むわ」


 峨朗は、メンバーに対して横柄なしゃべり方をする。


「消防団のリーダーをしている西新井だ。よろしく、よろしく」


 圭の正面に座る西新井広見にしあらいひろみは、四十代くらいの太った、人の好さそうな人物であった。山師団は消防団も兼ねているので、師団長の下に、消防団の責任者を置いている。


「さっき師団長が彼を紹介したろう。何を同じことをしているんだ?」


 少し離れたところに座っていた三十代くらいの男が、峨朗に突っかかった。


「なんだと?お前のところは大丈夫か?人手不足で潰れないか?」

「ハッ、お前とは仕事の能率が違うからな。心配しなくても」


 彼は、金井省吾かねいしょうごという、峨朗の同級生である。工務店の社長をしており、なかなかの男前だが、高級な時計をしており、一癖も二癖もありそうな感じはする。


「喧嘩をするな。そんなことより、今夜は今月いまづきの追悼集会だぞ。仮にも、上司だったお前が、一番に酔ってどうする?」


 師団長が、峨朗を注意する。

 師団長の大鳥居浩司おおとりいこうじは今年五十になるという。農業を生業としており、彼の作るお米は県外からも買い付けにくるという。丸眼鏡をかけ、日に焼けた引き締まった体つきをしている。

 師団長に注意された峨朗は、途端に口を噤み、目が座る。


「しかし、今月が自殺なんてな」


 副団長の岩本一大いわもといちだいが言った。長身の三十代後半、十五年前、市外からやってきた、イチゴ農家だ。


「自殺じゃない、事故死だよ。警察は、酒に酔って橋から落ちたと言っている」


 そう言ったのは、集落の唯一の歯医者、利根田はじめだ。低身長で、頭頂部まで禿げあがった、三十代の男である。


「いや、殺されたらしいぞ」


 声を押し殺していったのは、峨朗であった。


「お前……いい加減にしろよ」


 師団長が嫌気がさした顔をした。


「誰も口にしていないだけで、思っているだろう?あいつはみんなの嫌われ者だった。疎ましいと思っていた人間はこの中にも大勢いる。死んでも誰一人悲しまない。そんな男さ」


 しかし、峨朗は構わず続けた。


「死んだ人間を悪く言うのは感心しない」

「今年は、師団長が交代する年だ。誰を推すか、みんな悩んでいるのではないか?」


 峨朗は、わざと話題を変えて、メンバーの顔を見回した。


「俺は師団長に立候補する。俺が師団長になれば、今までのように、規律が厳しいだけのめんどくさいことは言わないさ」


 会場が静まり返る。


「馬酔木君、俺に、何か言いたいようだな?」


 大鳥居が立ち上がった。


「特には……ただ、最近、やけに団費が減っているって、会計が言っていましたよ」


 と峨朗は、会計の遠山明信とおやまあきのぶを見た。


「……バカバカしい。話をする気も失せる。一つ言うが、お前に投票するような者はこの中にはいないぞ」


 そう言って、大鳥居は、グラスのビールを一気に呷った。


 午前一時、追悼集会が終わり、ぞろぞろと集会所から出てきたメンバー。圭が外へ出た時、電柱の外灯の前に一人の女が暗闇に立っているのに気づいた。

 身長は百六十センチ、髪は背中まであり、やせ形で、夜中の夜気の中、薄手のワンピースを着ていた。


「あゆみちゃん?」


 圭の隣りに立つ、誰かがつぶやく声を聞いた。


「ねえ、私も山師団に入れてくれない?」


 誰に言っているのか、唐突にゆみちゃんが囁いた。まるで、隙間風のような声だと、圭は思った。

 そのせいか、背中に悪寒が走った。


「何を言っているんだ?こんな時間に、早く帰れ」


 金井がめんどくさそうに手を振って、あゆみちゃんの横を通り、車へと向かう。


「あんたら気をつけた方がいいよ。そんな態度でいると、呪われるよ。早く対策を打った方がいい。だから、私を山師団に入れな」


 あゆみちゃんの口調が荒くなった。しかし、誰一人、取り合う者はいなかった。

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