第3話 田舎の誘惑




 山田沢から東京へ戻った翌日の夜、夕食を食べ終え、次の面接の準備をしていたその時、携帯に電話がかかってきた。


「もしもし、私ですけど……」


 電話の主は馬酔木社長からであった。


「あっ、どうも。先日はありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとう。早速で悪いとはおもったけど、いつから来られるかな?家はもう手配できたからさ。何もいらないから、体一つで来ていいよ」


 矢継ぎ早に話す社長に、圭は言葉を失った。


「あと、市役所にも一応、話は通しておいたからさ、助成金の申請もスムーズに行くと思うよ。いつから来られる?」

「いや、まだちょっと、他社にも面接を受けてみようかと思っていまして……」

「へえ、何処の、何て会社?」


 圭は、次に面接を受ける会社について、つい口をすべらせた。


「ああ、あそこか。三年前、労働災害で一人死んでるよ。給料だって安いし、それに山奥だよ。周囲十キロに、コンビニ一軒しかないんだから」

「えっ?そうなんですか?」

「社長の野澤さんは、元々、他県の森林組合にいて、横領で捕まって、それで地元に帰ってきて、会社を興したんだけど……」


 次から次へと気の重くなるような情報を教えてくれる。


「他にも、面接する予定?」

「はい……」


 圭は次の面接予定の会社について話した。


「ああ、そこはいい会社だよ。けど、うちより給料は安いし、労働環境もキツいよ。バリバリの生産性重視だからね。新人の半分はリタイヤ、三年持つのは、一割切るらしい」

「そうなんですか?」

「うん。まあ、なんだか嘘をついて君に来てもらいたいみたいに取られかねないから、その二つの会社の面接を受けたあと、連絡くれるかな?」

「わかりました」


 と、電話は切れた。


 一週間後。


「どうだった?」

「社長の言う通りでした」

「でしょう。いや、べつに自分の職業を貶めるつもりはないけど、林業やっている会社って、本当にピンキリだからさ。一度でも関わった人は嫌な思いしてほしくないわけ。だからさ、老婆心ながら忠告したの」

「ありがとうございます」

「それで、どう?いろいろ見てみて、うちという選択は?」


 心は傾いていたが、圭の喉仏には、小骨かひっかかっていた。


「ええ、でも、林業以外にも考えていますし、もう少し考えさせてもらえませんか?」


 しかし、社長は一気に攻勢しかける。


「そんなに考えてばかりいても、正解なんて見つからないよ。それより、うちに決めればすぐに仕事につけるよ。準備と言っても、住民票を移し替えたり、引っ越しをするだけだからね。それに林業をするなら、うち以外の好条件はないよ。それに、移住の助成金や失業保険の早期就労なんかでお金をもらえるから、働く気があるなら、早々にうちに決めたほうがいい」

「まあ、そうですけど……」

「それに、とりあえず仕事してみて、もし、向かないとなったら転職すれいいじゃない。今って、一つのところに拘らずに、転職も盛んでしょう。うちも何だかんだで、入れ替わりが激しいから、遠慮いらないよ。とにかく来なよ」


 そんな単純にいけばいいが、現実はそうはいかないだろう。しかし、断る間を与えない社長の言葉に流されていく。

 圭にとって、それは魅力的な申し出であった。それに、万が一気に入らなくても一年か二年働いて辞めればいいわけだし、一度ぐらい田舎に住むのもいいかもしれない、と心は完全に傾いていた。


「それでは、お世話になります」

「そうか、来てくれるか。それじゃあ、引っ越しの手続きとかそういうのもうちがやるから、 心配しなくていいよ」

「あ、ありがとうございます」


 なんか、至れり尽くせりで、怖いくらいであったが、もう完全に思考停止であった。それから二週間後の四月の下旬、引っ越し会社がやってきて、瞬く間に荷物を運びだした。

 そして、圭のもとに送られてきた列車の切符を使い最寄りの駅、そこからバスに乗って、村まで行く。

 会社に到着すると、いきなり社長がプレハブから飛び出してきた。


「やあ、待っていたよ」


 満面な笑みを浮かべ、近づいてくる社長に、なぜかゾゾッと背筋が寒くなるのを感じる圭。


「大変だったでしょう?」

「い、いえ、それほどでも」

「取りあえず、家を三軒用意したから、どの家がいいか、見てもらおうか」

「えっ?三軒?」

「すべて空き家だから、遠慮なく使っていいよ」

「はあ」

「じゃあ行こうか」と、社長は庭先に置いてあった軽トラに向かう。その助手に促されて、圭は車に乗り込んだ。

「せっかく移住するってなったからには、家はちゃんとしている方がいいだろう?」「まあ」

「遠慮はいらないから、空き家の持ち主も住んでもらった方が大助かりなんだから。それに会社で家賃、といっても年間数万だが、払うことになっているし」


 釣った魚を逃さないような、必死さが伝わってくる。

 会社から数分の場所にその家はあった。

 二階の大きな日本家屋であった。築何年くらいであろうか?三十年ぐらいかもしれない。日本庭園のような庭もあり、三世帯が暮らしてもおかしくない、そんな広い家であった。


「まさか、ここに一人で暮らすのではないでしょうね」

 俺が聞くと、社長はニッコリと笑い、「そうだよ、ここがまず一軒目だ」

「ここはちょっと、広すぎますよ。さすがに一人で住むには家にしては……」

「会社からも近いし、朝が弱いなら丁度いいじゃないか?」

「確かに、朝は弱いですが、しかし……」

「中を見てみるかい」

「いや、もうちょっと狭い家がいいです。ないですか?もう少し狭い家?」

「あるよ、でも築四十年以上経っているよ」

「そこを見せてもらえませんか? 車を置くスペースと暮らせるスペースがあれば十分です」

「君はあまり欲がないんだな」


 社長は面白くなさそうに言った。

 会社から離れたところにある、古民家のような丘の上に立つ小さな家へ案内された。 車が一台、ようやく止められるくらいの狭い庭に、坂を登ると斜面に張り付くように家が一軒建っていた。

 庭に車を置くと、家がすっぽりと見えなくなるぐらいの狭い家であった。しばらく人が住んでいないのか、雑草が割と多く茂っていた。


「ここが一番狭い家だ。本当にこんな家でいいのかい?」

「そうですね、この家で 十分です」


 何より会社から離れてるというのが、嬉しかった。

 中を見せてもらうと玄関が割と広く、その横が引き戸になっており、開けると、八畳と十二畳の和室があり、引き戸を取っ払うと、宴会でもできそうなくらい広そうだ。玄関から真っすぐ奥が、台所になっており、その横が六畳の和室で、その奥が仏間となっている。すべてが引き戸でつながっており、思ったより広い。一人で住むのには十分であった。


「どう?」

「はい、ここにします」


 圭は即決した。

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