第4話 馬酔木材店(あせもくざいてん)
初出勤の日、圭は七時に家を出て、会社に向かった。
昨日、荷物をあらかた開けて、片付けが終わり、ついでに住民票を移しに区役所に向かった。
浜松市の浜名区の北に位置する区役所の出張所は、古い建物で薄暗いフロアに沢ガニが出迎えたのには、ちょっとしたカルチャーショックを感じた。
社用車の銀色のエブリイを走らせ、わずか十分の距離であるが、山道の狭い道路にぺーバードライバーの圭は、慎重に運転をする。
坂を上り、緩やかなカーブを行くと、会社の土場が見えてくる。左手に土場を見ながら、プレハブの横にある従業員用の駐車スペースに車を止めると、プレハブから社長が出てきて、挨拶もそこそこにいきなり言った。
「すまないけど、事務所で待っていて」
と速足で軽バンへと乗り込んだ。その後ろ姿に、圭は悲壮感を感じた。
一人、プレハブに入り、応接セットの椅子に腰を掛けていると、いきなりドアが開き、黒い塊が飛び込んできた。
ビックリして固まっていると、田舎に似付かわしくない、赤色のワンピースを着た派手な若い女で立っていた。
「あんた誰?」
女は圭を見下ろして、質問をした。
「え?はい……ワタクシ、今度、この馬酔木材店にお世話になる、沖土圭といいます。よろしくお願いします」
圭は自分でも情けないほど緊張しながら、頭を下げた。
「オキドケイ?変な名前やな」
関西訛りのある話し方で、女は鼻で嗤った。長めの髪に軽くウエーブしており、目が大きく、鼻が上向きのいかにも気が強そうな女性である。身長は圭より少し低い百六十五くらいか。美人ではあるが、圭には魅力的には見えなかった。
「ははっ……」
子供のころから、名前をいじられてきたので、あまり気にならない。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「ワタシ?……嫁よ、峨朗の嫁」
「ガロウ?ああ、社長の、ですか?」
「嫁というからには、そうに決まっているやろ。他に私と釣り合う男がこの家に居るのか?」
圭は、そんなことは知らないよ、と言いたかったが、渇いた笑いで返した。社長の奥さんは、黙って圭を見つめている。
「……社長はどうしたんですかね?」
居たたまれなくなった圭は尋ねた。
「何や知らんけど、従業員の死体が谷で見つかったって知らせを受けたんで、出ていったわ」
「死体?」
圭が絶句していると、
「橋から落っこたみたい。事故か、自殺か、それとも事件かな?」
まるで楽しんでいるかのように、圭の反応を確かめながら、奥さんは話を続ける。
話はよると、未明に従業員が死体となって発見されたというのだ。どうやら自殺らしいが、誤って橋から落ちた事故の可能性もあるので、警察は慎重になっているという。
なんでも、その社員は、過去に急性アルコール中毒で事故ったという話もあるからだ。社長が警察に呼び出されて、事情聴取を受けているという。
大変な時に居合わせたと圭は思ったが、いつ帰ってくるか分からない社長を待っているのも、辛いものがある。
「すみませんが、ボクはこのまま、ここに居てもいいのですかね?いったん家に帰って……」
「ええやん」
そう言って、圭に近づこうとした妻が車の音に気付いて立ち止まり、外を見た。
すると、一台の車がもうスピードでやってきて、中庭に止まった。圭もつられて外を見ると、軽トラから老人が勢いよく出てきた。
そして母屋に向かっていくと、母屋から、例の小柄な老人、つまり社長の父親が出てきた。
「貴様らが、殺したんか?」
老人は開口一番、ものすごい剣幕で叫んだ。しかし、会長は眉ひとつ動かさずに、老人を睨んでいる。
「貴様らが殺したのかと聞いているんだ」
「滅多なことを言うもんじゃないぞ、
会長(建前上)が返した。
「息子が言ってたんじゃ。お前らのやっていることを知っているってな。そして、お前らの悪事を暴いてやると言っていた。そして、会社に辞表を出した途端、こんなことになったんだ。お前らが何かしたに決まっている」
「バカやろ。お前の息子が会社にどれだけ迷惑かけてきたか知ってるか?無断欠勤どころか、半年も会社に来なくて、月にたった三日働いただけで給料よこせと怒鳴り込んでくる。普通の大人なら、正社員にいろいろと社会保障があるのは知っているだろう?だから、その分働いてもらわなければいけないんだ。それが、月数日出ただけで、給料と社会保障両方を欲しがるバカがどこにいる?それがお前の息子だ」
「なんだと?元々、仕事と言っても補助金目的のいい加減なもんだろう?それをさもやっているとお役所に申請しているだけだろう。息子が仕事ができなくなったのも、もとはと言えば、息子が怪我した時、お前らが労災を胡麻化して、きちんと治療を受けさせなかったせいだろう?」
「治療を受けないのは本人の自由だ。うちはそこまで面倒見切れんぞ」
「なんだと?」
老人同士の言い争いは、ただならぬ雰囲気をはらんでいた。それを傍目で見ていた嫁は、鼻じらんでプレハブを出ていった。
老人たちが一触即発の雰囲気の正にその時、一台の軽ワゴンが庭先に止まると、黒い塊が飛びだしてきて、そのまま地べたに倒れ込むように土下座をした。
「すいませんでした、この度は本当に申し訳ありません。息子さんがあんなことになってしまって……」
プレハブの前、車から降りて、社長は地べたに頭をこすりつけている。その前を嫁が、何事もないように、通過していく。
「お、お前、やはりそんな風に謝ることは、身に覚えがあるってことだな?」
老人は、社長に詰め寄って、叫んだ。
「もちろんです。私がちゃんとついていながら、息子さんが死を選んでしまったことに責任を感じています。何か悩みがあったようなんですが、それを分かってあげれなくて、それがとても悔しいです」
「な、なにを……」
論点をずらされて、老人は一瞬、言葉を失った。
「警察の知れべでは、今月君、自ら橋から飛び降りて、命を絶ったということです。間違いはないそうです」
「そんなバカなことはない。それは、ウソだ」
「そう思いたい気持ちは分かります。私たちのやり方を間違ったかもしれないということを後悔しても、すでに元樹さんは返ってきません。息子さんが一生懸命仕事をして頑張ったのですが、それを理解できず、力たらずで救うことができませんでした。本当に申し訳なく思います……」
「……フン、騙されるか、絶対証拠を掴んでやる」
老人は、捨て台詞のように息巻いて、軽トラに乗り込んで行ってしまった。すると、何事もなかったように立ち上がり、社長は、圭に近づいてきた。
「いやぁ、待たせちゃったね。ごめん、ごめん」
唖然としている圭に対して、社長は言い放った。
「これから現場まで行くけど、大丈夫?」
「あ、はい……いや、……あの、さっきの人、大丈夫ですか?」
「ああ?大丈夫、大丈夫。これから葬儀もあるけど、僕がやるわけでもないからね、それじゃあ、ちょっと待ってて。着替えてくるから」
そう言って、社長は颯爽と、母屋に入っていった。その後ろ姿を見つめて、会長に目線を移すと、社長は何とも言えない苦い顔をしていたが、圭が見ていることに気づくと、急に笑みを浮かべた。
「いやあ、分からんでもないがな。息子が死んだんだからな」
と、取ってつけたような言葉を付け加えるのだった。
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