第一章 山田沢

第1話 林業ガイダンス






「次の方、どうぞ」


 呼ばれて、圭は長机の前に置かれたパイプ椅子に座った。


沖土圭おきどけいといいます。歳は二十九歳です。これまで飲食業に十年ほど従事しており、その後は期間工などをしていました。体力には少し自信があります」


「そう……学生時代は陸上、大人になったらボクシングをやってたの?」


 履歴書を見ながら、担当者が尋ねた。


「はい。でも、ジムに通って、たまにスパーリングをする程度ですけど」

「なるほどね。でも、林業とボクシングでは全然違う体力だから。以前、トライアスロンに参加していた人が林業に入ってきたけど、体力が続かずにすぐに辞めていったよ。だから、あまり参考にはならないかもね」


 中年の相談員は、履歴書に目を落としながら、冷めた口調で話す。


「林業への志望動機はなんですか?」

「もともと、実家は四国の山奥で、地元でも林業が盛んでしたし、よく木を積んだトラックを見かけていました。東京に出てきて、すっかり忘れていたんですが、ふとテレビで林業特集という番組を見て、すこし興味が出て調べてみたんです。田舎で、木に囲まれた暮らしも悪くないな、って思って。それで……」

「Uターンはしないんですか?」

「家族との折り合いもあまりよくありませんし、地元にはあまりいい思い出がなくて。できれば、知らない土地で、あらたな気持ちで林業に携わりたいと思い、このガイダンスに応募しました」


 林業の企業説明会は年に数回、全国各地で開催されている。圭が東京で参加したのは、ただ林業に興味を持ったからというだけではない。

 近年、南海トラフ地震が騒がれていたことや数か月前から頻発している地震のせいで、東京で暮らしていくことに恐怖を感じていた。他にも、人間関係に疲れ、新しいを求めていた。

 そんな折、テレビで林業の特集を見て、これだ、とひらめいた。調べてみると、林業に関するガイダンスや就労支援が行われていることを知り、説明会に参加することにした。

 一通り、パンフレットを見ながら、林業の仕事についての説明を受けた。その後、就職先についての話になる。


「東京近郊が希望ですか?」

「いえ、これから寒くなりますし、なるべく関東圏から離れた温暖な土地が場所がいいです」

「なるほど。でも、そうなると、暮らすところも同時に探さなければならない。移住もかねての転職は大変ですよ、その覚悟はある?」

「はい」

「じゃあ、候補はいくつかあるから、この中から、候補地を探してみて。気になる会社があれば、こちらから話をするから、面接の日取りなどを段取りするという流れだから」


 そう言って、担当者は県と会社の住所を示した紙をプリントアウトした。


「これを参考にして、考えてみてください。どこへ行っても林業をやりたい人は、大歓迎です」



   *       *       *



 圭が暮らしているのは、東京の台東区にある築四十年、六万円の1Kのアパートだ。たくさんの資料を手に帰宅した圭は、外にむき出しになった階段を登り、二階の一番奥にある部屋に入る。一応、ユニットバスになっている。几帳面の圭の部屋に物が少ない。

 机にパソコン、ソファーにガラステーブル。本棚には、副業やプログラミング入門、キャンプ入門、スティーブジョブズの生涯、などの本と漫画の棚が分かれている。

 昨晩のカレーの残りを温めなおして、テーブルについての食事。夕食が済むと、林業への転職を真剣に考え始めた。

 現在、失業保険を使って休業状態だ。

 毎日、多くのヒマを持て余している。本来なら、この期間を利用して、全国一周をしようと考えていたが、いち早く転職先を見つける気になったのは、やはり地震のせいばかりではない。早く就職口を見つけないと、貯金が続かないという懸念があった。

 改めて資料を開いてみる。そこには、各県の林業アピールとその下に主な事業体の名前と、電話番号がのっていた。

 候補地としての条件は、関東圏に近く、温暖であり、都会過ぎず、田舎過ぎない地域がよい。ついでに言えば、給料面と暮らしやすさ、などの条件も考慮したい。

 そして、候補地となったのは、静岡県や岐阜県、愛知県、三重県、和歌山県、四国などであった。

 特に静岡県は県全域が温暖であり、田舎過ぎず、都会過ぎない。西は、天竜杉が有名で、中央の川根などの山深い所や、富士山系に位置するその地域は、都心から遠く離れているわけではないが、どこか幻想的な雰囲気を感じさせる場所であった。

 翌日、ガイダンスもとに電話をかけ、静岡県がいいとの旨を伝えた。後日、その事業体から連絡があり、面接が行われることになった。

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