彼女たちの選択、大好きを探しに

アンコの子ネコ

第1話 プロローグ

「……わたし、一体何してるんだろ……」


 人気の無い薄暗い山中。小柄な髪の長い女性が一人、車の中でハンドルにもたれ掛かり途方に暮れながらポツリと呟いていた。


 周囲から聞こえてくる音は虫の鳴く声くらいなもの。鬱蒼と茂った木々のせいで月明かりも乏しい寂しげな場所である。彼女は暗闇に怯えながら運転席に座り、ただ縮こまっている事しか出来ないでいる。


「……バサッ……」


 ───ッ!


 突然虫の鳴き声以外の音が聞こえて緊張が走る。彼女の肌が粟立った。


「か、風よね……?」


 彼女は身をすくめながら強張った面持ちで耳を澄ますのだったが、その後に続く音は聞こえて来なかった。風で草木が揺れた音なのだろう。相変わらず聞こえて来るのは虫の鳴き声だけだ。彼女は長く深いため息を吐いた。


「……ふぅ……。何も無い、大丈夫大丈夫……」


 しかし一息ついた所で恐怖心は拭いきる事は出来なかった。


 怯えながら先程の音は獣や人の類では無いだろうと考えるのだったが、それを否定する根拠もない。それを探す訳でもないが周囲の暗闇に視線を移していると、そこから何かが現れそうに思えて仕方がなくなる。恐怖心が膨れ上がる一方でジッとしていられなくなった。


 震える手でハンドル下に挿してある鍵に手を延ばす。


 ───お願い! 掛かって!


 そして祈る気持ちで鍵を捻った。


「カッ、カッ、カッ……」


 この行為は今日だけでもう何度目になるでのあろうか。しかし相変わらず期待している始動音は聞こえず、先程までと同様にエンジンが掛かる気配は全く無かった。それどころか掛かろうとしているその音は先程よりもか細くなっている様に思える。


 ……あんまりやり過ぎると、バッテリーが上がる? からよく無いって、電話で言われたっけ……。


 彼女はそれ以上試みるのはやめると鍵の位置をOFFの位置に戻して手を離した。そして靴の泥が付くのも構わずに座席に足を乗せて膝を抱えて小さくなる。


「……大丈夫、大丈夫……このままここで大人しく待っていれば大丈夫なんだから……大丈夫、大丈夫……」


 そして寂しさを紛らわせる為にと恐怖心を払拭させる為、自身に言い聞かせる様に呟き続けた。



        ◇


 

 彼女は渋滞を避ける為に高速道路を降りて山越えを選択していたのだったが、深い山道で右へ左へと身体を揺らされて疲労が溜まり、途中少し開けた所に差し掛ったので停車して休息を取っていた。しかしその後でいざ出発をしようとしたがエンジンが掛からず、その場から動けず今に至る。更に最悪な事に、その場はスマホの電波が入らない場所で、また彼女がここに留まってからと言うものその場を通り掛かる者はいなかった。

 

 唯一幸いだったのは動かなくなったその時は、まだ陽が昇っていたという事だけだ。暗くなる前に電波を求めて山の中を彷徨い、無事救助を求める連絡は出来ている。


 その連絡を取った際、救助が来るまでには時間が掛かる事は承知していた。この場は大人しく待っているしか手段は無かった。


 ……今、何時かな……。


 スマホの電源を入れて、光る画面に食い入る様に覗き込む。

 

 彼女はスマホのバッテリーを長持ちさせる為に必要時以外は電源を切っていた。今時分の者だからではなく、今の彼女にとって最も大切な物はこのスマホだった。動かなくなった車なぞはただの大きな鉄の塊でしかない。身を潜めるには良いかも知れないが、そもそも動かなくなってしまったこのお陰で今怖い思いをしている。むしろ疎ましく思っていた。


 しかしそんなスマホもバッテリーが切れてしまってはただの板。それを回避する為に、今この場で充電が出来るのはこの車だけだった。エンジンは掛からなくとも短時間であれば充電は可能である。このスマホの電池が切れてしまうのだけは何としても避けなければいけない。そう考えていた。


 電波が入らなければ光る以外何の役にも立たないただの板でも、完全に陽が落ちて真っ暗になってしまっている今、彼女の持つ唯一の光源であった事からも心の支えだった。

 

 時折電源を入れては画面が光るのを確認して安堵するとすぐに時間を確認し、次に圏外の表示を見てはため息を吐くのを繰り返していた。


「やっぱりダメか……そしてまだこんな時間……」


 ジッとしてただ時間が過ぎ去るのを待つ状況下では体感として時間の進みは遅い。暇を持て余していると自然と色々な事が頭を過って来る。


 こんな所に来た自分が悪いのは百も承知。今の彼女は恐怖と不安に押しつぶされそうになり、調子に乗っていた自分を苛む気持ちで一杯だった。しかしいくら自戒したからといっても大人しくこの状況を受け入れられるものではなかった。他者に責任をなすり付ける事で心の平穏を保とうとするのは仕方がないのかも知れない。


 ……こんなことになったのも、ぜんぶアオイのせいだ……。

 

 恋焦がれていた恋人ではあるが、今は憎らしくて堪らない。


 ……あ……。


 悶々としていると、心の奥底でパタンと蓋の被さる音が聞こえた。


 久々に聞く感情を塞ぐ音。最近では蓋も随分と取れていたのだったがまた被さり始めて来た。


 ……こんなんじゃ、いけないのはわかってるけど……。


 現状もそうであるが、心の内も手に負えなくなって来た。

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