第20話 気づかれぬ想い


 銭湯の扉を開け外へ出ると、すぐ側の壁に寄りかかり待っていた神威が目に飛び込んできた。

 雛に気づくと、神威は手をあげ微笑みかける。


「おまたせしましたっ」


 先ほどのこともあり、雛は気恥ずかしくて少し俯いた。


 着物から微かに神威の香りがするのもなんだかソワソワさせる要因だった。

 風呂上りだからか、顔も火照ほてり雛の頬を赤く染めていた。


「じゃあ、行こうか」


 二人は夜の町を並んで歩く。

 しばしの沈黙が訪れる。


 雛は我慢できずに口を開いた。


「あの、なんで、その、着物がないことがわかったんですか?

 なんで着替えを貸してくれたんですか?

 なんで神威さんあそこにいたんですか?」


 雛は聞きたいことがあり過ぎて、一気にまくし立てるように話した。


 神威は勢いに圧倒され、驚き、目を丸くして雛を見つめる。

 引かれてしまったかと思い、雛は気まずそうに目を逸らした。


「す、すみません」

「いや、そうだよな。君にとったらわからないことだらけで混乱する。

 わかった、一つずつ説明するよ」


 神威は優しく微笑み、ゆっくりと話し出した。


「まず、なんでわかったかっていうと。

 俺が外にいたら、山本が君の着物を持って急いで去っていくのが見え、その行動の意味が俺には推測できたから。

 なんで着替えを貸したかっていうと、それは君が困っていると思ったから。

 そして、なんでここにいたかっていうと……」


 神威は少しの間沈黙した。

 言おうかどうか迷っているようだった。


「君を待っていたんだ」

「え? 私を?」

「ああ、君はいつも遅く銭湯にくるだろう。

 ちょっと心配でな……。いつも君が帰るまで見守っていた。

 ……すまない、勝手に。余計なお世話というか、気持ち悪いよな」


 神威が複雑そうに微笑み、頭を掻いた。


「そんな! 驚きましたが余計なお世話とか気持ち悪いなんて思うわけないじゃないですか!

 すごく嬉しいです。私のこと心配してくれて……」


 二人は見つめ合うと、すぐにお互い視線を逸らす。


「まあ、あれだな。あいつも懲りないよな。こんな幼稚な悪戯いたずらして。

 今度伊藤さんにいいつけてやろうか?」

「いえ、いいんです。そんなたいしたことではないので。

 伊藤さんをそんなことでわずらわせたくないですし」

「そうか……。君は優しいな」


 神威が雛をいつくしむように見つめると、雛の顔が赤く染まる。


「いえ……」


 雛は恥ずかしくて下を向いてしまう。


 それから二人は何もしゃべることなく歩き続けた。


 沈黙の中、雛は神威のことを考えていた。

 前にも思ったが、本当に神威は私のことを女だとわかっていないのだろうか。


 さっきは、裸を見なかった?

 いつも雛が裸のとき、視線を逸らしているのは雛が女性だと気づいているからではないのか?


 今回のことだって、男を心配して待っていたりするだろうか。


 今までの神威の言動を考えると、彼は雛のことを女だと気づいている可能性が高い。


 しかし、そうすると何で黙っていてくれるのだろう。

 問い詰めたり責めたり誰かに言ったり、なぜしない?

 それは神威がすごく優しい人だから?


 雛はそっと神威を盗み見る。


 綺麗な顔……。

 その横顔に雛は見惚れてしまった。


「ん? ……どうした?」


 神威が極上の微笑みを雛に向けてくる。


 雛は顔が赤くなるのを隠すため、急いで顔を背けた。

 あ、危ない。あの顔は反則だ。


「いえ、なんでも」

「そう」


 雛の心臓が早い速度で脈を打つ。


 私、もしかして、もしかしなくても、神威さんのこと……。


 雛はそのときようやく自分の気持ちに気づいた。

 雛の顔が茹でダコのように真っ赤に染まっていく。


 どうしよう、そんなことに気づいても、私は今、男なのに。


 戦いに集中しないといけない。

 恋なんかにうつつを抜かしていてはいけない。


 雛は自分をいましめた。


 ふと、雛の脳裏に神威の婚約者である舞の顔が浮かんだ。


 そう、そうだよ。


 神威さんには舞さんっていう立派な婚約者がいるんだ。

 私がいくら好きになったって……。


 それに今はこんな格好だし。

 雛は自分の姿を改めて見つめる。


 こんな男の格好して、刀を持って人を殺める女なんて、誰が好きになる?


 あの舞って人は女性らしく、清楚でおしとやかで……とっても女の子らしくて可愛かった。


 はじめから結果は見えている。


 雛が急に下を向き、落ち込んだようにとぼとぼ歩きはじめた。

 その様子を心配した神威が声をかける。


「どうした? どこか具合でも悪いのか?」

「別に……」


 急に不機嫌になった雛を不思議そうに神威が見つめる。


 雛は歩く速度を上げ、足早になった。

 神威は雛のその行動に驚き、あとを追う。


「おい、待てって。どうしたんだよ、急に」

「何でもありません! 早く帰りたいだけです」


 今は神威の顔を見たくなくて、雛は出来る限りのスピードを出して歩いていくのだった。




 屋敷に着くと、用意を済ませた雛と神威は寝床ねどこへと向かった。

 二人とも同じ部屋なので一緒に歩いていく。


 神威は雛の様子をうかがいつつ、少し後ろからついてくる。


 雛がなぜ途中から不機嫌になったのか神威はわからず戸惑っていた。


 雛は内心、神威に謝罪していた。


 勝手に悩み落ち込み、八つ当たりした。

 本当はそんな態度取りたくはなかった。でも、心が言うことを聞いてくれない。


 神威のことを想うと、どうしてもあの婚約者の顔がちらついてしまい、心を惑わす。


 部屋へ入ると、既に宇随が布団の中で寝息を立てていた。

 ここは雛と神威と宇随、三人の寝室にあてられた部屋だった。


 三人はいつも川の字になり寝ていた。

 左が雛で真ん中が神威、そして右が宇随だった。


 はじめ宇随は真ん中がいいと言って聞かないので、彼が真ん中に寝ていたのだが、あまりの寝相ねぞうの悪さから雛をつぶしてしまうことがあり、神威が交代を買って出た。


 その行為も当時はすごく嬉しくて単純に喜んでいたが、今となってはなんでこんな並びになってしまったのかと宇随を恨んだ。


 寝返りをうつと神威の顔が側にある。

 心臓がいちいち悲鳴をあげて眠れない。


 神威はどう思っているのだろうか。


 本当は私のこと、女だと知ってる?


 もし女だったら、好きになってくれる?


 今、ドキドキしてるのは私だけ?


 雛は神威の顔を見つめながら、いつの間にか眠ってしまっていた。




 神威は雛が眠ったことを確認すると、ゆっくりまぶたを開く。


 そして、雛を愛おし気に見つめ、髪にそっと触れる。


「雛……」


 神威は雛の髪に口づけを落とした。


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