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「気鬱だと⁉ それで休学して療養したいだと⁉ 甘えるなよ!」
「そうですね」
父に相談すれば、怒声が返ってきた。
「令嬢達にあらぬ噂を広げられているだと⁉ お前の管理がなっていないからだろう!」
「そうですね」
「婚約者が他の令嬢と親しくしている? お前が彼の心をつかめていないからだろう!」
「そうですね」
「諫めても婚約者が他の女と親交を続けた上、己に彼女をいじめるなと叱責してくるだと? お前の話の持っていき方がまずいからそうなるんだろう!」
「そうですね」
「今からでもやれることは幾らでもあるはずだ! それをする努力もなく、ただ逃げだしたいだと! 恥を知れ!」
「そうですね」
「挙句の果てに、恥とも思わず、厚顔にもぬけぬけと報告をしてくるなど!」
「そうですね」
「学園はどうする! せっかくの主席の成績を水に流すのか!」
「そうですね」
「母を泣かすと思わなかったのか!」
「そうですね」
「お前のような姉を持って、アドルファスも気の毒なことだ!」
「そうですね」
「これまで育てるのに大枚をはたいたのだぞ! そのことに申し訳ないと思わないのか!」
「そうですね」
「ここまで費やした時間が無に帰すのだぞ!」
「そうですね」
父の叱責はすべてきちんと聞いていたが、返答は「そうですね」に固定した。視線も父に向けながら、見つめるでもなく虚ろにする。
「……そんなに苦しいのか」
「そうですね」
「それは、気晴らしに何か美食を食べたり、余興を楽しんだりでは晴れないのか」
「そうですね」
「どこか、体にも不調が出ているのか」
「そうですね」
「少し休めば、どうにか元に戻れそうか」
「そうですね」
「……」
「そうですね」
おっと。父が何か言うのを待たずに返事をしてしまった。
父を根負けさせることに成功した。かくして一時の休息を無事に得ることができたのだった。
「ああ、気持ちいいわ」
潮風を浴びてひとりごちる。日が傾くにつれ、空と海が色を変えていく。どんな宝石や絹織物も叶わない、豊かで美しい色合いに目を楽しませる。
コルセットなどの締め付ける下着から解放され、シンプルで素朴なデザインのワンピースを身にまとう。足元は素足につま先の見えるサンダルだ。かかとは低い。
窮屈な格好と世界から解放され、身も心ものびやかさを感じていた。
「ええ。そうなんですの。その方、理不尽にも逆にいじめるなとなじられてしまって」
「まああ、何の非もないのに!」
「ひどい話ですわ~」
海の近くには、温泉があり保養所となっていた。貴族や商家など裕福な者達が集い、社交場の様相を見せていた。
どの人も湯につかり身を休めるため、化粧などはしていない。この人はあの人に似ている、この人は見覚えがないけれどこの身のこなしはあの人のよう、などと思いながら互いの素性を追求せず、その場限りの親交を楽しんだ。
嘘か本当かわからない、その場限りの会話を大いに楽しむ。
自ら話のネタを提供する。ご婦人方は存在するかどうかもわからない女性の話に大いに同情し、盛り上がった。
保養所にいる人々は入れ代わり立ち代わりする。人が入れ替わる度に、また話のネタを流すのだった。
保養所の近くには、騎士達の駐留所もあった。騎士達は自身の保養のため、あるいは保養所の治安維持のため、しょっちゅう保養所を訪れた。
「美しい人、さぞや御心を痛めなさったことでしょう」
「あら、私の話ではなくってよ」
「ご友人のことを案じる優しいあなたの御心がこの地で癒されますように」
「あらやだ。気安く触れないで」
騎士の一人が手を取ってキスを落としてきそうになったので、すっと手を引く。不機嫌になられるかと思ったが、どうでもいいかと放置する。所詮行きずりの人だ。その後、不機嫌になるでもなく他の男と一緒になってこちらの機嫌を取ってきた。
騎士達は入れ代わり立ち代わりしながら誉めそやし、こちらのご機嫌を取りながら自分達の何かを満たしては去っていくのだった。
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