炬火はまだ燃えている

オニワッフル滝沢

第1話

 有松希美(のぞみ)は走っていた。部屋着のTシャツに、彼女自身が通っている中学校のジャージを穿いて。走るスピードはマラソンのスピードである。そもそも、希美は運動が嫌いだった。体育の授業がある日は朝から憂鬱だ。そんな彼女が走っている理由は数週間後に行われる体育祭だった。体育祭に、2年生全員が参加する持久走というプログラムがある。希美は、日頃の運動不足が祟った辛い思いはしたくなく、無様な姿は晒したくなかった。なので希美は走っていた。5月初めの日の午前6時。川沿いを走っているので、時々ひんやりとした風が身体を通り抜ける。希美は30メートル先に見える藤棚まで止まらずに走ろうと決めた。


 藤棚は紫色の花が満開になりつつあった。希美がランニングで近づいてくると、藤棚から少し離れたところで年配の男性が立っているのが見えた。彼の足元が騒がしいから、犬を散歩させているのだろう。さらに走って近づくと、彼はスマートフォンを耳に当て、誰かと通話していた。藤棚の真下に設置されているベンチまで見えるようになると、希美はその上に誰かが横たわっているのが見えた。そこからまた少し走り進めたところで、彼女の足は止まった。


 雑草の間から見えたのは、ベンチの下の赤い水たまりだった。その正体をぼんやりと察すると、希美は足を前に出すことができなかった。


「あ、あんた、来たらダメだよ!」

 希美に向かってそう叫んだのは、先ほどの年配の男性だった。彼は続けて叫んだ。

「ここから戻りなさい、いますぐ!」


 ここから去らなければ、うるさく言われ続ける気がした希美は、仕方なく踵を返した。なかなか足に力が入らなかったが、足裏で地面を掴むようにして歩を進めた。そして、すぐに幹の太い木を見つけると、そこに向かって歩いて行った。幹の裏側に回り込むと、希美は木の根元に生えている雑草の中にしゃがみ込んだ。


 そして彼女は木の陰から、警察が来て、現場検証が行われる様子をのぞき見ていた。もっとも、警察が来てから間もなくして、現場はブルーシートで隠されてしまったが。


 朝に見つけた血だまりの件は、夕方のニュースで報道された。


 希美は、該当の事件記事が掲載された新聞が、自宅の押入れの回収袋に投げ入れられるのを待った。数日が経って袋の中を漁ると、新聞を見つけ出した。そして、その事件の記事だけ切り取った。希美は机の深い引き出しから紙箱を探し出した。描かれた柄が気に入って取っておいたクッキーの箱だ。その箱に新聞記事を仕舞い込んだ。


 これは連続殺人事件だ。ただの勘だが、希美はそう思った。その日から、希美は新聞回収袋から新聞を漁るのが日課になった。


 その事件から半年経った現在。


 新聞の記事は、クッキーの箱の中いっぱいになった。週刊誌を図書館でコピーすることも覚えた。

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