その9 フクザツな兄弟関係
そう言われて、思いかえしてみれば。
たしかに、悪魔化していた佐藤会長も、瀬川くんの『完ぺき主義』という言葉に反応して急に攻撃を止めていた。
「あの……完ぺき主義についても、教えてもらって良いですか? それも、認知バイアスの一種なんでしょうか」
「うん、その通りだよ。完ぺき主義って聞くと、一見、自分にストイックで成長できそうな思考に聞こえるけど、実は後ろ向きな思考だ。完ぺき主義の根底にあるのは、一定の基準に達しないと不具合が生じるという認識。つまり、純粋な向上心ではなく、根底にあるのは恐れだ。完ぺき主義に囚われたひとは、自分が不完全な存在であることをゆるせなくなる。でも、完全な存在になれるわけもなく、理想とほど遠い自分はなんてダメやつなんだろうと落ちこんでしまうんだ」
なるほど……。
会長の発していた暗い霧の中から聴こえてきた声が思い出される。
(学校の成績はオール五。全国模試は一桁台。生徒会委員長の座につくこと。完ぺき。完ぺき。完ぺき。おれは、常に完ぺきじゃないとダメなんだ!)
たしかに、会長の目指していた理想は、聞いていて異常だと思うほど高かった。
きっかけはあったにせよ、彼がその思いこみを深めてしまったのには、完ぺき主義という認知バイアスも関係していたということか。
「今はSNS全盛時代だしなぁ。他人と自分とを比べることが、簡単にできてしまう。SNSで眺める他人の中には、超人的にすげえやつもいっぱいいる。自分にとっての理想の姿を体現しているひとが目につきやすいこともあって、完ぺき主義をこじらせるひとが多くなっているかもしれないね」
たしかにSNSを長時間眺めていると、自分はひとと比べてなんてダメなんだろうと思うことがよくある。
実は、フォローはせずにこっそり中学時代の友だちのSNSを眺めているんだけど、SNSの中では、みんな楽しそうな中学生活を送っているんだ。
そういう華やかな投稿をずっと眺めていると、わたしはみんなに比べて、なんてつまらない中学生活を送っているんだろうって余計に落ちこんじゃったりするんだよね。
「……どうしたら、完ぺき主義を抜け出すことができますか?」
「オレの自論になるけど、完ぺきなんて幻想だと知っておくことかな。あとは、できなかったことよりも、できたことを数えること。最終的には、自分のダメなところを受けいれながら、実際に少しずつでも行動を起こしてみる以外にないんだろうね」
そう語る幸人さんは、それまでの軽薄な態度から一変して、急に大人びて見えた。
「ほおぉ……。なんだかとても大人びた考え方ですね、すごいなぁ。それに、とても勉強になりました! 詳しく説明してくださって、ありがとうございます」
「まぁ、オレも後悔したんだよ。……過去のオレは、失敗したからさ」
「えっ?」
「さっき、オレは退魔師だったと言ったよね。過去形なんだよ。オレは、退魔師を辞めた。自分よりずっと退魔師として優れていた弟の理人に、家業を全て押しつけて逃げたんだ」
思いがけない暴露に、心臓がドキリとした。
退魔師を辞めた……?
瀬川くんは家に託された使命だと言っていたけど、辞めることもできるの?
頭の中がハテナと困惑でいっぱいになるわたしに、彼はそのまま話を続けた。
「そんなに難しい話じゃない。単純に、オレはあいつの才能に嫉妬したんだ。親から常に理人と比べられていることが、いつからか苦しくなった。だから、最後の方は辞めるのを引きとめてきた理人とバチバチに対立して、足を洗った感じだな。……正直、すげえダサかったと思うよ」
そう語る幸人さんは、とても苦しそうな表情をしていて。
わたしまで切なくなって、ギュッと膝の上でこぶしを握ったら、幸人さんは自嘲気味に笑った。
「……毎日の修業も、実戦も、想像以上にキツかった。精神的にも参ってきて、しつこく辞めないでほしいって引きとめてきた理人に、ついカッとなって言っちゃったんだよ。『うるさい! オレがいま不幸なのは、瀬川家なんかに生まれたせいだ。退魔師になるなんて重い宿命を押しつけられたりしなければ、幸せに生きられたのに!』って」
それは……。
瀬川くんにとって、鋭い言葉の刃だったんじゃないだろうか。
幸人さんは、瀬川くんにとって、家業のことを共有できる唯一の身近なひとだっただろうから。
「……そのときあいつは、『じゃあ、ゆき兄は好きに生きれば良い。家業はぜんぶ僕が負う』って冷めた顔で言った。両親のことも、家業は自分が継ぐから兄は解放してくれと説得してみせた。あいつは、多分オレに失望したんだろうな」
「そんな……」
「失望されて当然のことをしたと思っているし、いまでも最前線で踏ん張ってる理人には頭が上がらないよ。オレは……、辞めたこと自体は後悔していないんだ。理人の心を傷つけたであろうこと以外は」
「そのこと、瀬川くんには話したんですかっ?」
「今さらゆるしてほしいとも思ってないし、どのツラ下げて言うんだって感じだから言ってない。散々口ゲンカもしてきたし、あいつはオレのことなんて嫌いで仕方ないと思うよ。でも……、オレは、理人には幸せになってほしいと思ってる」
切実そうに願うような声は、震えていて。
幸人さんの心からの願いなんだって、悲しくなるほど伝わってきた。
「だからさ、実戦で戦うこと以外になるけど、あいつの役に立てることはなにかないかって今は模索中のところなんだよね」
「たとえば、どんなことですか?」
「そうだなぁ……。退魔師向けに、認知バイアスの講座を開いてみるとか? オレ、教えるのは嫌いじゃねえし、案外、向いてるんじゃないかって思ってるんだよ。まぁ、理人には実現するまで言う気ねえけど」
そう締めくくろうとした幸人さんの瞳には、深い慈愛の情が宿っているように見えた。
なんだかフクザツな兄弟関係だなぁ。
たしかに、一度は大きくすれ違ってしまったのかもしれない。
でも、幸人さんの話からは瀬川くんへのたしかな愛が感じられた。
わたしが口を挟むことじゃないけど、不器用というか、もどかしいというか……と、むずがゆいような感情に浸っていた、そのときだった。
「ねえ。どうして二人が一緒にいるの?」
意外な第三者の登場に、それまでの思考をぜんぶ持っていかれた。
「ゆき
肩をびくりと跳ね上げながら、幸人さんと二人一緒に振り向けば。
なぜかピリついた雰囲気の瀬川くんが、良い笑顔を浮かべながら立っていた。
どうして瀬川くんがここに!?
「おや、理人。使命バカのお前は、今日も認知バイアスの勉強と、筋トレ諸々と、悪魔化発生への備えとでとても忙しいんじゃないのかい? こんな公園で油を売っているヒマはあるのかな?」
ゆ、幸人さんっ! さっきまでしみじみとあんな想いのこもった話を語っておきながら、本人が出てきたとたんになんで毒舌なの? もしかしてツンデレってやつですか⁉
「ああ、その通りだよバカ兄貴。今日の午前中も福宮図書館の自習室で、きっちり認知バイアスの勉強をしてきたさ。お昼ご飯を食べてから、日課の筋トレを行う予定だったんだけど、ゆき兄が、僕のクラスメイトにご迷惑をおかけしている現場が目に留まってしまったから慌てて駆けつけてきたんだよ。大丈夫だった、黒野さん? ゆき兄になにもされていないよね?」
「お、落ちついてください、瀬川くん! この通り、幸人さんにはなにもされていませんし、むしろ、いろいろと学ばせていただいていた最中といいますか……」
「あっ! 真白ちゃん、オレのこと初めて名前で呼んでくれたねー。うれしいなぁ」
はわわっ! まずいっ、心の中で幸人さんと呼んでいたから、ノリで、現実でも幸人さんって呼んじゃったよ~~!
ニコニコ笑顔の幸人さんにたいして、瀬川くんはといえば……、
「軽薄なゆき兄が黒野さんのことを抜け抜けと名前で呼んでいるのは気にはいらないけどさておき、幸人さん……?」
ひいっ。なぜか瀬川くんの瞳に、不穏な暗い焔が揺らめいてみえるっ!
どうして~~⁉
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