その7 図書館で、まさかの出会い

「こちらがご予約の書籍になります」

「ありがとうございます」

 やったー! お家に帰ったら、今日はマンガ三昧しようっと。

 今日は、学校がお休みの日。

 わたしは予約していたマンガを受け取りに、福宮図書館へやってきていた。

 せっかくここまで来たんだし、予約本の受け取りだけで帰るんじゃなくて、気になる本がないかも見ていこうかな。

 図書館の雰囲気は好きだ。

 紙の本独特の匂いも、ここの本全部借りて良いんだ! っていうワクワク感もたまらない。利用者みんな静かに自分の作業に集中しているから、宿題もはかどるんだよね。

 他にも気になるマンガが見つかったりしないかなぁ。

 いつも足を運ぶマンガコーナーへと向かおうとしたら、その途中で心理学コーナーが目についた。

 そのコーナーの本の背表紙に『認知バイアス』という単語を見かけて、胸がドキッとする。

 自然と足が止まった。

 認知バイアスってたしか……、瀬川くんが、毎日熱心に読んでいた本のタイトルにも入っていた単語だっけ?

 昨日、とても気まずい形で彼から逃げ出したことまで思い出して、ウッと頭が痛くなる。

 月曜日から、どんな顔をして瀬川くんと話せばいいのかな。

 あぁ、いや。こんな心配はしなくてもいいのかも。

 彼の重大な打ち明け話を最後まで聞いておいて、わたしは自分のことはなにも話さずに逃げ出したんだ。いくらやさしい瀬川くんでも、今度こそ、話しかけようとも思わないかな。

 落ちこみながらも、不思議と、その本の背表紙から目が離せなくなった。

 吸いよせられるように、『初心者にもわかる、認知バイアスの本』に手を伸ばそうとしたそのとき。

 誰かと、手と手がぶつかった。

「「えっ」」

 隣を見れば、驚くほどきれいな男のひとが、切れ長の瞳をまるくしてわたしを見下ろしていた。

 日に透かしたら金色にも見えそうな、明るい茶色の髪。

 色白で、彫刻みたいに整った顔だち。 

 わたしよりも頭二つ分ぐらい背が高くて、黒いシャツにスキニーのジーンズというラフな格好がとてもよく似合ってる。

 隙のない、凛とした美しさって感じだ。

 大人っぽく見えるけど、高校生ぐらいかな?

 それにしても、このちょっと怖いぐらいきれいな顔立ち、見覚えがあるような……。

 突然のことにビックリして固まっていたら、お兄さんは、わたしを安心させるようにふっと笑った。

「どうぞ。きみにゆずるよ」

「い、いえ! わたしの方こそ、どうぞ」

「いえいえ、オレは一度読んだことがある本だから遠慮しないで。それにしても、きみくらいの年齢の子が、この本に興味を持つなんて珍しいね」

 お兄さんは本を手に取りながら、わたしのことを興味深そうに見つめた。

 たしかに、瀬川くんが熱心に読んでいるのを見かけなかったら、そもそも単語自体を知らなかった。興味を持つこともなかっただろう。

 通りすがりの知らないひと相手だからか、深く考えることなく、本心が口から飛び出す。

「クラスメイトが、熱心に読んでいたんです。それを見かけて、ちょっとだけ気になって」

「クラスメイト? ふーん。見たところきみは……えーと、小学生かな?」

 しょ、小学生!?

 失礼な。まだ入学したばかりとはいえ、わたし、もう中学生なんですけど。

 たしかにちょっと童顔だし背も低めだけど、面と向かって知らないお兄さんに言われるのはショックだ。

 若干むくれながら、テンション低めに答える。

「……中学一年生です」

「あっ、ごめんごめん! 悪気はなかったんだよー、きみ、かわいらしい顔立ちだしね」

「か、からかっているんですか?」

「まさか! 中一のきみを本気で口説こうとは思ってないけど、紛れもない本音だよ。でも、オレの見た感じだと前髪がすこし長すぎる気がするな。もうすこし切ってみたら、だいぶ印象が変わるんじゃない?」

 お兄さんがあまりにも平然とした口調で答えるから、なんだか笑えてきた。

「ふふっ、ありがとうございます。検討だけはしてみます」

「ははっ。その言い方、絶対実行しないやつじゃん。それにしても中学一年生ねぇ。……ってことは、あいつと同い年か」

 あいつ?

 クエスチョンマークを浮かべるわたしに、お兄さんはニコリとした。

「あのさー、ぜんぜん見当違いなことを言ってたら申し訳ないんだけど、もしかして、その認知バイアスの本を読んでたクラスメイトって瀬川理人だったりする?」

 ドキッ。

 な、なんでここで、瀬川くんの名前が出てくるの⁉

 動揺からカチコチに固まってしまったわたしに、お兄さんはニヤリと唇の端をつりあげた。

「ははん、なるほどねー。まさかの図星かなぁ?」

「ま、まだ、わたしはなにも言ってません!」

「あはっ、その反応で誤魔化せると思ってるなんて、やっぱりかわいーね。顔に、『どうしてわかったの?汗』って書いてあるよ」

 うううっ。

 このひと、からかい好きっていうか、軽薄な感じっていうか、ちょっと意地悪じゃない?

「黙秘します。……そーゆうあなたは、瀬川くんとどういうご関係なんですか?」

「怒っちゃった? ちゃんと答えてあげるから、機嫌をなおしてよ。オレはねー、瀬川せがわ幸人ゆきとって名前」

 心臓が、大きな音を立てながら、飛び跳ねた。

 瀬川幸人? 

 苗字が一緒で、名前まで似ているなんて、まさか!

 口をパクパクとさせながら、ついに何も言えなくなったわたしに、瀬川さんはひまわりのような明るい笑みを浮かべた。

「面白いくらいに、驚いたって顔をしてるねぇ。きみの想像通りであっているよ、オレはあいつの兄だ。三つ年上」

「ええええええっっ!!」

「あ、ちょっ! 静かにしないとマズいってば!!」

 ここが静かにしなければならない公共の場だということも忘れて、思いっきり大声で叫んじゃいました。


「もーー。図書館なのに、あんなに騒いだりしたらダメじゃないの」

「ごめんなさい! わかってはいたんですけど、つい反射的に叫んでしまうぐらい衝撃的だったと言いますか……」

 あの後、私とお兄さんは、図書館の司書さんから追い出されてしまった。

 司書さんの温情で、私たち二人が気になった例の本は借りることができたけどね。 

「そんなにビックリする? オレと理人、見た目はかなり似ていると思うけどね。あー、もちろんオレの方がイケメンだよ?」

 おおお……、すごい自信だなぁ。

 でも、笑顔で断言するだけあって、お兄さんもとても華やかな容姿をしているとは思う。さっきの通りすがりの女のひとも、彼のことをちらちらと眺めてた。

 瀬川くんとは違ったタイプのかっこよさ、というのかな。

 もちろん、兄弟そろって、とんでもない美形だということは間違いない。

 強いて言えば、瀬川くんのかっこよさには愛らしさも同居している感じで、お兄さんのかっこよさは『THE 美』って感じの迫力あるかっこよさだ。 

 まあ、わたしは断然、瀬川くん推しですけどね!

「ん? いまなんか、聞き捨てならない心の声が聞こえたようなー」

「ま、まさか~! 気のせいじゃないですかぁ?」

 なんなんですか、このひと。カンの良さが怖すぎるんですけど。

「ねえねえ、もうすこし時間はあるかな? 良かったら、もうすこしオレと話をしていかない?」

 全く知らない年上のひとには、絶対についていっちゃいけない。

 だけど、このひとは瀬川くんのお兄さんだ。言われてみれば顔だちも似ているし、ウソはついていないだろう。

 なによりこのレベルのイケメンが、そう町に何人もいるとは思えない。推しの兄だと言われたら、むしろ納得がいく。 

 瀬川さん――ややこしいから、心の中でだけ、幸人さんと呼ぼう。

 幸人さんが瀬川くんのお兄さんということは、つまり、推しの意外な素顔も知っているんじゃないだろうか? 誰よりも瀬川くんのすぐそばで育ってきたはずだもの。

 そんなひとからの思いがけない申し出は、蜜よりも甘い誘惑のようで。

 うーーーーん…………、ごめんなさい、瀬川くん!

「大丈夫です。今日の予定は図書館に向かうことぐらいでしたから、夕方前に帰れるのであれば」

 本人のいないところで、あわよくば推しの話を聞こうとするだなんてわたしは浅ましい! でも、でも、向こうからの申し出だし、好奇心には勝てませんでした……!

 わたしの長い葛藤を知る由もなく、幸人さんはからりと笑った。 

「オッケー。じゃ、コンビニでアイスでも買って、公園とかで話そうか」

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