第四章 コスモスの名の元に 一

(__初めて会った時、彼女はとても失礼な人だった)


「日影くん」

頭上から降ってきた声に顔を上げると、同じ年頃の少女が、自分を見下ろしていた。

「日影くんって、何?」

クラウトがそう問いかけると、少女は隣の芝生に腰を下ろした。

「だって、いつも日陰にいてその本読んでるから。そんなに面白いの?」

そう言って、図々しくも読んでいた本を覗き込んでくる。

「うわ、何これ、文字ばっか」

アメジスト色の瞳を細め、苦い顔をする少女。

「そんなものばかり読んで、退屈じゃないの?」

「大きなお世話だよ。僕は好きで読んでいるんだから」

「ふーん」

どこか不満そうな少女の口ぶりに、クラウトは顔を顰めた。

(何なんだこの子は)

王宮に来て、数ヶ月。空いた時間は、この高台にある大木の木陰で、読書をするのが日課だった。今日もいつものようにここで本を読んでいると、思わぬ邪魔が入ってしまった。

「この木、大きくて立派ね」

「それはそうさ、このレディート国が建国された年に埋められたんだから」

「へーそうなのね」

少女は空に向かって聳え立つ大木を見上げると、ニヤリと笑った。

嫌な予感がした。

「ねえ、登ってみましょうよ」

「嫌だよ。そんなことするわけないだろ。第一、怪我でもしたらどうするんだ」

「いいじゃないの。それに、ここに座って本ばっか読んでいる方が、よっぽと体に悪いわよ」

そう言って、少女はドレスを捲り上げると、木に登り始めた。

「ちょっと、やめろよ。危ないって」

「そう思ってくれるなら、あなたも一緒に登って」

「意味分かんない……」

人の気なんて全く考えない。今思えば、自由奔放でめちゃくちゃな性格は、この時から変わらなかった。

「わあーすごい!」

先に頂上に登った少女が、感嘆の息を漏らす。

「ねえ、早く早く!」

急かす彼女。続いてクラウトも登りきると、その光景に目を見張った。

夕日に照らされたレディート国の海が光に反射して、眩しいほどの美しい光を放っていた。

「こんなに見晴らしがいいとは思わなかったなー」

「……」

「ねえ、聞いている?……おーい、なんか言ったらどうなのよ」

「うるさいな。感動すると何も言えなくなるタイプなんだよ」

果てしなく続く青い海。賑わう町。人々の笑顔。彩る花々。

(こんなにも素晴らしい国だったんなんて……)

生まれ育った国が、こんなにも美しく聡明であることをクラウトは知らなかった。

「ふふっ」

自分の顔を見て、おかしそうに笑う少女。

「何だよ」

思わずムキになった。

「いや、あなたもそんな顔するんだなって思って。いつも本と向き合って、すごく難しそうな顔してるから」

「いつもって……」

(見られていたなんて知らなかった)

「私は好きよ」

「え?」

「あなたのその表情」

そう言って、少女はまた笑った。

でも今度は、この景色に広がる太陽よりも、うんと眩しい笑顔で。

景色は序章にしかすぎなかった。目の前に広がる美しい景色よりも、隣にいる彼女の笑顔に、心を奪われたのだ。

「あ、お父様だ!」

「あ、おい! 危ないだろ」

クラウトの言葉など聞こえなかったように、少女は慣れた様子で木から飛び降りると、刺繍が施された派手なドレスを、ふわふわと風に靡かせながら駆け出す。

その先にいたのは、強靭な肉体を持った男だった。

「探したぞ、アンジー」

男は少女のことをそう呼び愛おしいそうに抱きしめると、木から降りてきたクラウトの存在に気づく。

目を細め、クラウト見る男。

その表情が彼女と似ていて、二人は親子なのだろうと思った。

娘に近づく危ない奴とでも思われたのか。だが、クラウトにはそんな気はさらさらない。むしろ迷惑していたのだ。

「お前は、確か……ああそうだ思い出した!」

目を見開き、閃いたような顔をする男。

「ヒーデルがスカウトしたっていう、王宮秘書官候補の小僧だ!」

国王陛下を呼び捨て呼び、その上、人間離れした強靭な肉体を持つ人間は、この世で一人しかいない。

男はスワン国の王、アスランだった。

「スカウト? あなた、そんなにすごいの??」

先程とは打って変わった輝かしい瞳でクラウト見る彼女。いや、スワンの王女、アンジェリーナ。

「ヒーデルが自慢していてな。何やら異国の字が読めるとか」

「へえーすごいのね!」

それは、誰でも言いそうな、どこにでもありそうな、ありきたりな言葉にすぎなかった。それなのに、なぜか、とても嬉しかった。

「私もお父様の外交について行きたくて、外国語勉強しているけど、これが難しくて……ねえ、あなたさえよければ、教えてくれない?」

「おお、それは名案だな。どうせ、レディートにはまだ滞在する予定だしな」

勝手に話を進める二人。

「ね、いいでしょ?」

「頼めるか小僧」

同盟国の国王と王女の頼み。ヒーデル王の顔を立てるには、断るわけにはいかなかった。

そう、これは国益を考えた判断だ。私情などではない。

「分かりました」

それから、アンジェリーナがレディート国に滞在するたびに、二人は顔を合わせた。

王宮の図書館で勉強をする日もあれば、アンジェリーナがクラウトの手を引いて町へ出たりする日もあった。

どんな日でも、決まって最後は高台へ来て、大木に登って夕焼けを見た。

一つの国が終わりの時を迎えるその姿は、生きてる人間のみが見られる特権だと思う。

アンジェリーナは言った。自分の国は太陽が沈まないから、太陽が沈む海のあるこの美しい国が好きだと。

「ずっと見ていたいわ……」

見ていればいい。自分の隣で。

いつしかそんなことを、心の中ではそう思うようになった。

だが、それを口にすることは出来なかった。

当時の彼女には、許嫁がいた。レディート国の第一王子であるアレン。彼は、次代の王であり、いずれ自分が仕える君主。

二人が結婚すれば、彼女はずっとここにいる。そう思えば、悪い話ではな。

「アレンって、顔は良いし頭も良いし、性格も良い。日の打ちどころのない完璧な王子よね」

「その通りですね」

彼女もアレンを好いていた。尚更、悪い話ではない。

「でも、完私は、少し無愛想な男の方が好みね」

そう言って、アンジェリーナは隣にいたクラウトの顔を覗き込む。

「な、何ですか」

ニヤリと笑ったかと思うと、アンジェリーナは両手の人差し指で、クラウトの頬を持ち上げた。

「ふふっ……ふふふっ……やっぱりこうじゃなくっちゃね」

「人で遊ばないで下さい」

顔を背けるクラウト。嫌がっても、アンジェリーナは幸せそうに笑うだけだった。

アレンが誠実で優しい人物だということは、クラウトも分かっていた。だから、彼であれば納得して諦めきれられた。

いつの間にか芽生えていた__特別な想いを。

だが、アレンが人操の才を持ったことによって、全ては一変した。アンジェリーナとの婚姻関係も解消され、彼は騎士として生きることになった。

本当であれば、自分もヒーデルによって、記憶を改竄されるはずだった。しかし、アンジェリーナがそれを拒んだ。

みんなが彼を何者であるかを忘れてしまったら、可哀想だ。せめて、自分達だけは覚えていよう。クラウトの手を握り、悲しみに溢れた顔で、アンジェリーナは言った。

そうして、アンジェリーナの計らいで、クラウトは記憶を改竄されることはなかった。

アルバートが生まれてからは、二人でよく世話をした。スワンの民らしく豪快な一面を持つアンジェリーナは、意外にも面倒見が良かった。彼女が母親になったら、こんな感じなのかと、その姿を見ているだけで、心が温かくなった。

何年も、何十年も、良い日も、悪い日も、二人で手を取り合ってきた。そうやって、決して伝えることが許されない想いを抱えたまま、二人で大人になった。



指定された高台に行くと、すでに彼女の姿があった。

振り向いて自分を見つけると、彼女は笑みを浮かべた。

「遅いわよ。待ちくたびれちゃったじゃない」

「時間通りですよ」

クラウトがそう言うと、アンジェリーナは「そうね」と肩をすくめて笑った。

大木の下、彼女の隣に立つ。

こうして肩を並べるのは、いつぶりだろうか。最近は忙しくて、まともに会話らしい会話をしてこなかった。

「何だか、この木、少し小さくなったと思わない?」

アンジェリーナが木に触れながら言う。

「それだけ、私たちが大人になったのですよ」

出会った時、この木はとても大きく見えた。

(いつの間にか、こんなにも時が経っていたんだな……)

西日が強まる。もうすぐ、日が沈む。

「登りませんか? 久しぶり」

そう言って、慣れた片手をアンジェリーナに差し出す。

アンジェリーナは、吸い寄せられるように、迷うことなくその手を取った。

頂上まで登ると、間を空けず、寄り沿うように腰を下ろす。

「レディートも発展したものね。ここから見る景色も、何だか変わったわ」

「そうでしょうか」

(人が、季節が、町が、どれだけ移り変わろうとも、私には、あの日のように見える……)

隣に視線を移せば、美しき女性がいる。

(大胆で、傲慢で、自由で、それでいて、誰よりも強く、勇気ある方。あの日から、あなたは何一つ変わっていない)

栗色の髪が風になびく。そっとその髪に触れると、彼女がこちらを向く。

「……」

「……」

「明日、レディートを発つわ」

「はい、存じております」

「マーク王子は、良い方かしら」

アメジスト色の瞳が、真っ直ぐと自分に向けらている。

儚く揺れる瞳。

その瞳が求めているものを差し出したい。一生をかけて、与え続けたい。

だが、それは自分には出来ない。

(私があなたに出来ること。それは、背中を押すこと)

これが、最後の役目だ。

「必ず、アンジェリーナ様を幸せにして下さります」

「……信じていいのね?」

「ええ、そうじゃなきゃ、私が許しません」

「クラウト……」

触れる指先。

アンジェリーナが、ぎゅっとクラウト片手を握った。

「アンジェリーナ様」

「少しだけ……最後だから」

切なく、囁くように言われ、自制していた気持ちが溢れ出そうになる。

「……」

クラウトも、ぎゅっとその手を握り返した。

脈から伝わる彼女の鼓動。出来るのなら、ずっと感じていたかった。

前を見据え、夕焼けを眺める。

自分の頬に流れた温かなものは、涙ではないと言い訳をして。 


(__とても愛していた)


翌日。アンジェリーナを乗せた馬車は、王宮を発った。遠のいて行く馬車を見つめるクラウトの表情は、切なくも、穏やかだった。

好きだからこそ、言えないことがある。想いを伝えないことも、愛しているという、一つの証なのかもしれない。エルダは二人を見てそんなことを思った。

朝日に照らされたレディート国の海は、アンジェリーナの門出を祝っているようだった。



__ベーベル国にて。


「お初にお目にかかります。マーク王子」

お辞儀をして顔を上げると、柔和な笑みを浮かべる青年と目が合う。

マークは腰を上げると、ゆっくりとした足取りで、アンジェリーナの前へやって来た。

「お会い出来る日を、心待ちにしておりました」

そう言って、微笑むマーク。

「早速ですが、あなたに贈り物があります。受け取っていただけますか?」

マークの言葉に、アンジェリーナは頷いた。

マークは懐から小さな箱を出すと、中から何かを取り出した。

左手を取られ、薬指に嵌められたのは、深海色の宝石があしらわれた、美しい指輪だった。

「綺麗ですね……私、この色が一番好きなんです」

「ええ、レディート国の王宮秘書官をされている方が、そう教えて下さりました。それでこの宝石に」

「え……」

思わず顔を上げた。

マークは変わらず微笑んでいる。

アンジェリーナは再び指輪を見つめた。

「っ……」

右手で口元を覆い、体を震わすアンジェリーナ。

「大丈夫ですか? どこかお体が痛いのですか?」

「いいえ……嬉しくて……ありがとうございます」

そう言って笑ったアンジェリーナの瞳には、光るものがあった。

海水の宝石に口付けをする。


(__私もよ)

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