子供と大人とその他の国
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1.モンス・マレ
拝啓 理事長殿。
ごきげんよう。以前、意見箱に投書した者です。
現行システムへの私の意見は読んで頂けましたか。
どうも音沙汰ないようなので、改めて筆を取った次第です。
同じことを書いても無意味でしょうから、今回は別の提案を致します。
あなたの秘密を知っています。
この秘密こそ、システムが敷かれた本当の理由だと知っています。
あなたがご自身のシステムに反しておられることを知っています。
早急に、システムの撤廃を求めます。
あなたがシステムが目指す『大人』であるならば。
あなたのシステムが愛する『子供』を慈しむならば。
あなたのシステムが嫌う全ての『その他』に祝福を!
エルバ・クランツ嬢に乾杯!
その町は、奇妙な場所に在った。
半分は鬱蒼とした緑に覆われた急斜面の山、半分は触れたら青に染まりそうなコバルトブルーの海に浸かっている。山側に平地は殆どない。大抵は古びた石畳に覆われた坂道で、灰緑や焦げ茶色の屋根を持つ建物が、急斜面にそれはもう乱雑に山ほどはめ込んである。海側は埋め立てられた平地に、それなりに大きな船も立ち寄れる船着き場が備えられ、白い砂のビーチを合間に、カフェのオープンテラスや土産物の店が軒を連ねる。
ニムが列車ではなく船舶を選んだのも、この町に酒を運んでいる運送屋にそれが良いと聞き及んでのことだった。
「列車も通ると聞いたが」
問い掛けに、運送屋は太い首を捻った。
「その筈だが、山側から行く奴は殆どおらんね」
「どうして」
幼い頃から船酔いがひどいニムが食い下がると、運送屋は気の毒そうに苦笑した。
「列車が停まるのは、町の裏っかわの
「蟻なら感動するけれど」
変な相槌を打ったニムに、男は笑って首を振った。
「さてね。俺ァよく知らんが、あの町のろくでもない連中らしい。あんたみたいな人があの町に興味を示すのは珍しくないが、その連中に金品せしめられても困るだろ。海側は何のことはない、普通だったよ」
運送屋はニムのお世辞にも頑丈そうではない背格好を眺めて言った。彼の親切心は大いに伝わったが、ニムはあっさり首を縦に振る前に横に捻った。
「じゃあ、その列車は何のためにそこに停まるんだ?」
「もちろん、あの町とは反対方向に行く客の為さ」
そういえば、駅の名前はレグヌム・フィニスだった。『王国の終わり』という意味だと解釈していたが、実際は『王国の端』だったらしい。
端。つまり、駅までが別の国。山を越えた先にある町『モンス・マレ』は、たった一つの町で別の国――閉鎖自治区ということだ。
船旅はそこまでひどくはなかった。
なるべく近い就航地まで、空路と陸路を使ったのもある。どこまでも青く、滑らかなうねりと白い飛沫が輝く海は美しかった。この揺らめきに同調するのは大変危険だったが、サファイアが底面にちりばめられていると言われても頷ける美しさは気が紛れた。同乗していたカップルの甘く粘っこい匂いも大変危険だったが、能天気に愛を囁き合う彼らが行くのなら、危険な場所ではないと安堵できた。
同乗者には独りの女性も居た。”事前情報”と違うじゃないかと思ったが、あらかじめ船に乗っていた上、手荷物がないところを見ると船の関係者かもしれない。
ただ、彼女は働く様子もなく、同じ席に座っていた。
海を眺めながら吹き込む風に薄い金髪を揺らす様子は非常に絵になる。見つめていると、振り向いた彼女は不躾な視線に少しだけ微笑んだ。目の中に反射に煌めく水面があるように見えたが、キラキラとした余韻を残し、すぐに景色へと戻っていった。
旅先のロマンスは素敵だが、何とはなしに邪魔をするのが躊躇われた。
この風景には、誰も入らない方が良い。
船が停まり、しっかりした石の波止場におぼつかない足取りで着地すると、眼前に広がったのはリゾート地を思わせる白やストライプの庇の群れと、サングラスや大きな帽子を被り、ラフで涼しそうな衣服を身に纏った人々だった。
彼らよりも更に上――大小様々な家をごっちゃに積み上げたようにそびえたつ山を仰ぐと、日差しが眩しく、視界はぼやけた。
カモメらしき白い鳥が鳴いている。昼に近付こうとする時分、とっくに水揚げが済んだろう漁港は静かなもので、今は飲食店やマーケットの方が賑わっている。フライや香辛料の香りがする界隈やカラフルな野菜や果物が積まれた店に気を取られていると、トントンと肩を叩かれた。振り返ると、此処まで送り届けてくれた小型船のスタッフだった。こちらの年季の入ったスーツケースを軽々と船から引き揚げてくれた彼は、陽気に言った。
「お客さん、監査官が見てる。早く行った方がいいよ」
日に焼けた肌の中、澄んだ泉のような目が桟橋の先に向いている。眼前が真っ白になりそうな日差しに目を凝らすと、桟橋の先には小さな石の箱のような建物がある。
こちらを見ている人の姿はミニチュアの様だが、船上でも何かと親切にしてくれた青年”も”目が良いようだ。ちらりと白い歯を見せて微笑んだ。
「あそこで手続きをしないと町には入れないから」
「ああ、そうらしいね。一般的なパスポートは役に立たないとも聞いた」
「無いよりはマシだよ。彼らによっぽどひどい事を言わなけりゃ、お客さんは大丈夫さ」
「彼らはどうだい?」
踊る様な足取りで先に行ったカップルを指すと、青年は頷いた。
「彼らは歓迎されると思う」
「なぜ?」
「男女の夫婦だ。仮に外で犯罪歴が有っても、此処で何もしなければ、若い夫婦は喜ばれるそうだよ」
「それは初耳だ。僕も恋人と一緒に来れば良かったかな」
こんな辺鄙な場所まで来てくれるような相手は居なかったが、彼は見透かすような目で穏やかに笑ってくれた。
「その恋人と此処に永住する気が無いなら、やめた方がいいね。僕らはもう少し此処に居るから、だめだったら一緒に帰ろう」
優しい青年に背を押され、ニムはふと同乗者の女性が降りないのかと思ったが、彼女はやはり降りてくる様子はなく同じ場所に座っている。
緊張しながら、一人で石の箱に近付いた。
見た感じは妙な建物ではない。何の飾りもないのっぺりした四角い建物に古びた大きな木製扉が付いている。こちら側にも小窓が付いているが、人の気配はない。眼前に広がるリゾートに比べて重苦しい雰囲気に生唾呑み、ニムは扉を開いた。
中は空港の入国審査のカウンターに似ていた。既にカップルは通り抜けたらしく、正面には固く閉じられた扉があり、屈強な男が立ち塞がるように立っていた。警官らしき服装をきっちり纏ったその腰に拳銃が見え、ニムは思わず視線を逸らす。側面には格別おかしくもない受付だ。透明なボードの向こう側で、同じ制服を身に着け、眼鏡越しに事務的な笑みを貼り付かせた男が座っていた。
「やあ、こんにちは。どうぞ、お掛けになってください」
フレンドリーな仕草で前の席を勧められ、ひきつりそうな笑顔を作って座った。天井には明かり取りの窓が有り、まあるいガラス玉の電灯も煌々と明るいが、何やら取調室のような
「初めてのご入国ですか?」
パスを差し出したニムに慣れた口調で話しかけた男は、銀縁眼鏡も腕に嵌めた時計も良い品のようだった。たった三人の監査で洗練された品格を持つ監査官。ニムは彼の目よりも眼鏡に視線を置き、神妙に頷いた。
「初めてです」
「それはそれは。ご旅行で?」
「……ええ。仕事柄、各地を回っているもので」
『仕事』というワードに、眼鏡は微かに反応したようだったが、その笑顔は全く揺るがない。
「そうでしたか。当自治区への入国につきましては、パスポートの情報以外にも、手荷物の検査、プライベートな質問をさせて頂きますが、宜しいですか?」
「もちろん。どうぞ」
すると、屈強な男の方がさっそく、スーツケースと鞄を
「プライベートな質問とは、何です?」
パスポートを書物のように捲っていた眼鏡は、にこやかに微笑んだ。
「当自治区は住民を大きく三つに分類し、各々に基本ルールを設けております。分類は、『子供』、『大人』、『その他』でございます。旅行者の方も、いずれかに分類され、それぞれのルールに従って頂きます」
「なるほど。子供と大人は何となく想像が付きますが、『その他』とはどういった方々なのですか?」
眼鏡の奥の目がわずかに値踏みするような目に変わる。
傍らで下着が摘まみ上げられている気配がしたが、ニムが目を逸らさぬようにしていると、眼鏡は物静かに答えた。
「『その他』は、『子供でも大人でもない者』を指します。彼らは当自治区で最も利益の少ない分類に当たります。例えば、子供だけの特権、大人だけの特権は存在しますが、その他に特権は一切有りません。むしろ規制が課せられるのです」
「はあ、なんだか厳しいんですね」
「仕方がありませんね。『その他』はそもそも、ルールにがさつな連中なので」
管理官はさらりと述べると、パスポートを丁寧に閉じてニムの前に滑らせた。
「パスポートは全く問題ございません。では、質問をさせて頂きます」
「はい」
「ご職業は?」
「作家です。印税頼みの低賃金ですが」
「おや、とんでもない。収入を得るお仕事を持たれるのは何であろうと尊いことですし、文才が在られるのは実に素晴らしい」
気恥ずかしげに頭を掻いた視界の隅で、仕事道具のメモがパラパラと捲られている。何かまずいメモはしていまいかと今さら冷や汗が出そうになるが、どうにか堪えた。
「ご結婚は?」
「していません」
「左様ですか。ご予定も?」
「ありませんね。此処で運命の方にお会いすれば別ですが」
「それは良い。幸運を祈りましょう。最後に、信仰をお持ちですか?」
「ええ。自国の……古い神ですが」
「何であるかは問題ではありません。信仰があることは、あなた様が確たる哲学をお持ちであるのに等しく、分別ある大人として大変宜しいことです。但し、自治区内での布教は禁止されておりますので、ご了承願います」
「わかりました」
「こちらでお渡しする証明を、肌身離さずお持ちください。自治区外に出る際にこちらに、……或いは行かれることは無いと思いますが――山側の駅員にご返却下さい。無くされますと色々と厄介です。特に、盗まれたり奪われた場合は、速やかに当局にご報告願います。間違っても、売り渡したり、交換などなさいませぬようお気を付けください」
管理官はパスポートと、分類及び入国の証だという首飾り――小指の爪ほどの銀製と思しきプレートを下げたチェーンをトレイに乗せて差し出し、にっこり微笑んだ。
「あなた様は良識有る『大人』に分類されました。実に素晴らしい。ようこそ、モンス・マレへ。良い旅になりますよう」
「ありがとう」
ほっとしながら慣れない首飾りをさげ、受け取ったものを手にすると、いつの間にやら何もかも詰め込み直されていた鞄とスーツケースを返され、男が開けてくれた扉をニムはくぐった。
めでたく潮風が吹く屋外に逃れると、扉はすぐに閉じた。
事前に聞いてはいたが、妙な質問だった。
建物を少し逸れて桟橋の方を振り返ると、小型船の傍であの青年が片手を上げた。
大きく手を振ると、彼も応えてくれた。おかげで吐き戻すことなく、第一歩は踏み出せたようだ。
港にぽつんと生えていたオリーブの木の下で、ニムは文字通りそびえたつ山そのもののような町に向き直った。
ちょうど、食事を終えたらしい一家が、店先から出てきた。黄色いワンピースを着た子供が飛び跳ねる様にステップを降りるのを、両親が和やかな視線で見ている。妖精が踊る様な可愛い仕草に、首の金のプレートが揺れた。周囲の大人はニムと同じ銀のプレートを提げて微笑んでいる。一方では、赤子を背負いながら買い物をする女性。午後の散歩を楽しんでいるらしい洒落た帽子の老夫婦。学生と思しき青年たちが、大きなバッグを手に談笑しながらカフェに入っていく。
首飾り以外は、余所と何ら変わらぬ光景を眺めていると、不意に声がした。
「こんにちは、お若い方。ご旅行ですかな?」
振り向くと、如何にも老紳士といった風の、帽子と杖が特徴的な男が立っていた。
「……はい、今着いたばかりで。素敵な町ですね」
彼はニムの首に掛かったプレートを見たようだったが、すぐに皺だらけの顔を微笑ませた。
「休暇を過ごすには、良い町ですよ」
「そうでしょうね。そういう方は多いんでしょうか」
「ええ、名だたる観光地には及びませんが」
老紳士はすぐ傍のベンチに腰を下ろした。どうやら彼の定位置のようだ。
「宜しければ、おすすめなど窺っても?」
話し好きらしい紳士はにこやかに通りの方を示した。
「あの角を曲がった先にある菓子店の、パステル・デ・ナタはこの町一番です」
カスタードクリームが詰まった小さなタルトのことか。そう言われると、潮の香に甘い香りが混じる気がした。彼は更に反対側の通りを示す。
「あちらにはこの地方の古い聖堂がございます。ステンドグラスが見事ですよ」
「良いことを聞きました。この町の海沿いは見どころが多いようですね」
紳士は旅人の言葉に満足そうに頷いた。
「さよう、何といっても海が宜しい。山はむさくるしい場所ぐらいしかございませんから」
ニムは顔を上げない紳士に代わって、山を見上げた。幾つもの段々になっている家々は、どこをどう行けば辿り着けるのかわからない建物も多い。こういう地形は大抵、格式の高いものは上方に住みたがるものだが、此処ではそうではないのだろうか。
「失礼、あの大きな建物は何ですか?」
示したのは、最も高台にある建物だ。唯一、他の建築物とは明快にサイズが異なる施設に、紳士は帽子の下から鋭い視線を投げかけた。
「……あれは病院です」
「はあ、なるほど。立派なものですねえ……」
要塞めいた白い建物は、王冠のように山の上部に据え置かれている。大病院があるのは安心だろうが、あんな位置では杖をついた人物では行きづらいだろうに。
ニムの疑問に応えるように、紳士は肩をすくめたようだった。
「なるべく、世話にはなりたくありませんがね」
「同感です。いや、どうも、色々とありがとうございました」
「こちらこそ。良い旅を」
帽子に手をやって微笑んだ彼に会釈し、ニムもその首を確認していた。
シャツの合間に見えたのは、どうやら同じプレートの様だった。彼の横から元気に走って来た男の子の首には、金のプレートが光った。
子供は金色。大人が銀に対し、子供が金ということは、大事にされている証か。
プレートに気を配って辺りを見渡すと、金銀しか目に入らなくなった。
子供。大人。子供。大人。子供。大人。子供……
ニムは自身のプレートを見下ろして首を捻った。
最も気になっていた疑問が見当たらない。
『その他』とは、一体どこに?
数日前、ニムを訪ねてきたペトラ・ショーレは、挨拶も程々にソファーのど真ん中に断りなく座ると、此処がカフェであるかのようにコーヒーを一杯所望した。
この年がら年中、黒帽子に黒服の貴婦人のそうした行動は今に始まったことではないので、反抗することなくコーヒーを淹れてやると、黒手袋に包まれた片手をすっと上げてからカップを手に取った。
「出張を頼むわ」
ひと口飲むなり、コーヒーの注文と同じ調子で彼女は言った。
無論、これもいつもの事だ。別の椅子に、自分のカップを持って腰を下ろしたニムはいつも通り尋ねた。
「何処に」
「モンス・マレ」
「閉鎖国家と聞いているが」
「閉鎖は言い過ぎね。北方の軍事国家や東国の閉鎖国家より、入るのは楽よ」
そうは言ったが、彼女は黒手袋の指先で自身の細い顎を撫でた。
「弊社にコンタクトを取ってきた現地住民の連絡が途絶えた。こういう案件は私が行くのが最良だけれど、女一人は警戒されるそうなの」
「まさか、男色国家じゃなかろうね」
「作家なら、もう少しまともなジョークを言ったらどう?」
鼻を鳴らした彼女はコーヒーを嗜み、短い溜息を吐いた。
「安心なさい、男性が優遇されるわけではないわ。単に女の一人旅は彼らには異様ということ。夫婦を装うのも考えたけれど、ちょうど見合うスタッフが居ないのよ。貴方は若すぎるし、ラッセルは上過ぎ。ブラックは出張中で不在」
「貴女は十以上は若く見えるけれど」
「あらまあ、お世辞は上手いこと。今度、フレッドに二十代のパスを頼んでおくわ」
少し前に四十代に突入したのを憂いていた彼女は、皺ひとつない顔を皮肉に歪めると、テラコッタを思わすルージュを引いた唇で音もなくコーヒーを
「そういうわけで、貴方に頼むことにした。貴方にしたって、悪い話じゃないでしょ? 探しものの手掛かりが有るかもしれない」
「それは勘?」
「ねえ、ニム――貴方の正体が何だろうと、弊社ではどうでもいいわけ。でも、貴方はそうはいかない。だから旅をする。こちらはその自由を認めるし、可能な限りのサポートをする。WinWinよ」
そう言う視線は手厚い雇い主というよりも、口うるさい後見人だ。ニムは両手を挙げて首を振った。自分のルーツが閉鎖国家に有るとは思えなかったが、仕方がない。
「わかったよ。行ってくるけど、この前みたいな撃ち合いなんかは御免だよ」
「さてね。そういう噂は聞かない。問題なのは、此処の経済状況が右肩上がりということ」
「右肩上がりだって? 石油かダイヤモンドでも出たのかい?」
「それなら驚かないわね。目立った産業も、鉱物もナシ。珍しい動植物が居るわけでもなく、海は綺麗だけれど観光客が押し寄せるほどの名所でもない。他に大金を生み出せるのは何かしらね」
薬物製造現場。人身売買の会場。武器弾薬の秘密工場。詐欺の温床。ハッカー集団の拠点。頭に浮かんだ嫌な予感の全ては最悪だった。
「ちょっと待ってくれ、ペトラ……もしかして君たちは、例の
ひと月ほど前の銃撃戦は、薬物密輸組織との一戦だった。
彼らは最近、大都市の富裕層を相手にした新薬を撒いているが、この製造拠点は未だにわかっていない。非常勤であるこちらが知ったことではないが、ペトラたちが所属する調査会社『
薬には汚い大金が付いて回り、汚い大金が有るところには血が流れる。
目の前の麗人はちっとも動じていなかったが、こっちはペンを持つのが仕事――いや、最近は機械に向かってキーを叩き続けるものだが――とにかく、血生臭い現場に飛び込む心得なんぞない小市民だ。
喪服の麗人は何でも無さそうにコーヒーを啜って首を振った。
「ボスは断定はしていない」
「君は思ってるってことだな?」
「ご想像にお任せするわ。依頼主がリークしてきた情報によれば、モンス・マレで起きているのは住民の失踪。それも、この国が独自のルールで分けている『子供』、『大人』、『その他』の内の『その他』が消えているけれど、役所は調査しているフリさえしていない」
人身売買の可能性が高まったが、付け加えられた情報は更に不気味だった。
「振り分けのルールは定期的に調査して適応される。『大人』の区分だった依頼主には、同じ『大人』の奥様が居たそうよ。ところが突然、彼女が『その他』に区分されたので別れさせられ、彼女は消えた。今度はそれをリークした依頼主が消えた。こういう事例が数件確認されているとか」
「その奥さんが、暴力夫と別れる為の口実ってことは?」
「貴方がそれを視野に入れたいのなら構わないわよ」
澄まし顔で言い添えると、彼女はテーブルに乗っていたペンをとり、同じく乗ったままの新聞の隅に保険レディめいた調子で名前と住所をさらさらと書きつけた。
「頼みたいのは、行方不明の依頼主『ベック・ラン』と接触すること。悪いけど、男性という以外の情報は皆無。メールでのやり取りだから、性別も百パーセントの保証はできない。当然、音声もナシ。連絡してきた座標はわかるけれど、状況からして、あまり期待できないわね。居所を突き止めた上で救出の必要があれば、新たに人員を手配する」
ニムはカップ片手に肩をすくめた。
「その男が通信機にコーヒーをぶちまけただけなのを祈るよ」
麗人は空のカップを置いて、影のように立ち上がった。
「それより、ブラックの仕事が早く終わるのを祈った方がいいわね」
世界を飛び回っている美貌の親友を思い浮かべ、何も起きていないのを祈る方がいい――そう思いながら啜ったコーヒーは、いつもより苦くて酸っぱい気がした。
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