第26話 狼は向日葵の花を咲かせたい。

 凱旋を果たしたグラスは、救国の功績が認められ、オーレア侯爵領を賜り、王族を除いた貴族の中では最上の位まで一気に上り詰めた。

 男爵領となっている羊蹄山の地からは飛び地してしまうため、この地は養父スレダ辺境伯と族長ルシカに任せ、ユラとシアを含む一部の戦士たちを自身の配下として侯爵領に連れた。

 また、騎士の称号を剥奪されたマリーもグラスの配下として侯爵領へ連れられた。

 そして――。

 逆臣ブランカ・弓手・オーレアとその一族。

 第二代目帝王ヴァーミン・アントリューを処した後。

 帝国は跡継ぎ問題から内乱に陥り、その戦火は国境を接するグラス侯爵領にまで影響を及ぼし始めた為、グラスはこれを防ぐために兵を起こしたのだが――。


 グラスの思惑とは裏腹に次々と平定させてしまい、帝国領一帯がグラスの手によって治められることになった。

 これらは、第二代目帝王が起こした戦争と合わせて三年の内に起きた出来事である――。


「おうー? あに様なー? 格好いいぞー?」


「駄目よ、トール。それでは全然駄目。まるで足りないわ。グラス兄様の姿を例えるなら、そう――王? あれ、合っているわね。おかしいわ。余りある格好の良さでルクスがグラス兄様の愛によって骨抜きにされてしまったのよ。きっとそうよ、そうに違いない。グラス兄様が持つ人望という光が、輝きが、眩い程に溢れ出ております――とても素敵。世界で一番格好いいです」


「賛辞は嬉しいが、照れるからあまり褒めるでない」


 頬を掻き困った様子をみせるグラスの回りを、二人の妖精は手を繋ぎクスクスと笑いながら円を描き始める。

 そのまま徐々に、徐々にその円を狭めていき、グラスへ抱き着く。

 グラスはそんな双子を振りはら――ったりはせず、頭を撫でくりまわした。

 これに満足した双子はグラスから離れ、礼を取り”公爵位”叙爵の祝いを述べた。


「んー? あね様だなー? どうしたー?」


「だめよ、トール。ルクスたちの時間はおしまい。今はお姉様に逢瀬の時間を譲りましょう。そして、ルクスたちはあとで沢山の愛をグラス兄様に注いでもらいましょう。ルクスたちは会わなければならない血縁者が待っているのだから――」


 叙爵式が終わり、式典の空気から逃げる様に露台に出て、夜空を眺めながら外の空気を浴びていたグラスたち。

 この場へ近寄るエリオントの姿が見えた為、双子はエリオントの回りにも円を作ってから、仲睦まじく離れていく。


「ふふ、まったく――困った双子妖精ね」


「ワレも手を焼いておりますが、エリオントも昔はお転婆だったであろう」


「あら、立派な淑女に向かって失礼しちゃうわ。――ふふ。素敵よ、グラス。とても格好いいわ、惚れ惚れしてしまう」


 肩肘が凝る着慣れない式典衣装を褒められ、やはり恥ずかしいからか、グラスはまたしても頬を掻いてしまう。


「エリオントも双子らと同じようにワレの回りをクルクルと回るのか?」

「グラスがわたくしの手を繋いでくれるなら、回ってあげてもいいわよ?」

「お転婆姫の再来だな?」

「ええ、わたくしはそれでも構わないわ?」


 手を差しだすエリオント。繰り広げられた応戦。その勝敗は。


「ふ――やはり、ワレはエリオントには敵わなんだ」


 グラスはそう言って、エリオントが差し出す手を繋ぐ。

 同時にエリオントは、グラスと共に綺麗な円を描き始めた。

 そして――そのままグラスの胸へと抱き着く。

 グラスの胸元に顔をうずめ、気持ちを固め、そして顔を上げグラスを見る。


「ねぇ、グラス? わたくしは――」

「シッ――エリオント。今から始まるゆえ、空を観よ」


 エリオントは想いを言葉にしようと覚悟を決めたのに、グラスが被せてしまったため、行き場を失った感情が頬を膨らませる結果となった。

 けれど、グラスに言われた通りにエリオントは空へ見上げる――と。


 風の音を切りながら、沢山の花火が上がった。

 現実にある花を模した花火や。未だ知らぬ見た事もない花をした花火。

 さまざまな花火が次々と上がり、王都の夜空を彩っている。


「ちと、遅くなったが――約束していた誰もが驚く満開の花畑だ。どうだ?」


 どうだ――と聞かれれば、それは間違いなく最高の贈り物だ。

 幼き頃から想いを寄せる相手の胸の中で眺める花火なのだから当然だ。

 エリオントの中には、筆舌に尽くし難い想いが溢れている。

 だというのにグラスは、

 悪戯な色を含ませた、エリオントが惚れた大好きな表情を何の気なしに向けている。

 ちょっとしたお返しに、淑女としてはあるまじき行動。自身の体を押し付けてみるものの、グラスはエリオントよりも花火に夢中で気付いてくれない。散々だ。

 さらには「お、次で最後だ」と言って、感想を述べさせてもくれない。

 だが――。打ち上がった最後の花畑を見たエリオントは、短く感想を漏らす――。


「――綺麗」


「エリオントを驚かせたく、秘密裏に準備を進めたからな」


「意地悪な騎士様! でも――ふふっ、わたくしに綺麗な向日葵畑を見させてくれてありがとう、グラス!」


「ふ――それよ、ワレはその向日葵の様に咲き笑うエリオントの笑顔が好きなのだ」


 これには堪らず、エリオントは瞬時に顔を真っ赤に染め上げてしまった。が――。

 自分ばかり振り回されることが面白くないお転婆姫は、反撃を試みる。


「……ねぇ、グラス? カンゾウ島から神ノ御子様とフェリス様がお祝いにいらして下さりましたよね?」


 フェリスとの約束を果たす為、グラス自らが手配したことでもあるし、叙爵式で祝いの言葉も贈られているから当然にグラスは把握している。


「縁起の良い式となったな?」


「ええ、そうね。わたくしもそう思うわ。ところでグラス? お二人がわたくしにだけ秘密を打ち明けてくださりましたの。グラスはスイハフリの名に覚えはおありで?」


 心当たりしかないグラスは、エリオントから思い切り顔を背ける。

 神ノ御子様を故ローレアから救い出した後だ。

 お詫びをせがまれ、

『公式の場では名乗らない』『伴侶云々かんぬんを除く』『ワレらだけの秘密』という条件で、グラスは、翡翠色が綺麗な神ノ御子様の瞳をなぞって「翠」という名を授けていた。

 加えて「祝」という名には、付き人フェリス・イタス・イヨンが冠する祝福になぞって、名付けとは考えずに贈った言葉である。

 それがばれたからグラスは顔を背けたのだ。


「もう……英雄色を好むと言いますから、わたくしを一番にさえして下されば何も言いません。ですが約束してください」


 複数の伴侶を娶ることが許されているのは『王』だけだ。

 故に、グラスは複数の伴侶を娶るつもりなど毛頭考えていないが、反論などできずただ黙って頷き、エリオントの視線へ合わせた。


「いつかまた、花火をわたくしに見させてください」

「いくつでも好きなだけ上げよう」


 なんだ、そんなことか――と、どこか安堵するグラス。


「十一でも?」

「それだけでよいのか?」


「それなら九十九でも?」

「任せよ」


「百八でも?」


 やけに刻むなと考えつつも、力強いエリオントの目に圧され、グラスは頷く。


「九百九十九でも?」

「約束しよう――エリオントの希望する花火を上げると」


「伝え忘れておりましたが、全て向日葵の花火をわたくしに贈ってくださる?」

「ああ、約束す、る……? ちと待て、エリオントよ。花言葉の意味は――」


 これにエリオントは、イタズラな微笑みを浮かべながら人差し指をグラスの唇へと当てる事で塞いだ。


「言質、取りましたよ? ふふっ、とっても楽しみだわぁ――」


 ――と、エリオントが最後に魅せた笑顔は屈託がなく、グラスは仕方ないと思いつつ、目尻に皺を寄せ、エリオントと新たな約束を交わしたのだ――。




 約六年前の約束を果たした二人。

 王城にあるエリオントが好きな庭園で交わした約束だ。


 そしてその時にグラスが言った例え話が残っている。

 グラスは知らぬ間に、その例え話を実現させている。


 事実とは異なるが、兵士の間で噂が巡り。

 イカヅチや氷を操り氷の海を作り帝国兵を蹂躙。

 王狼を打ち倒し者、北海の未開拓地イヴェールの王という異名も合わさり。

 グラスは“氷海ひょうかいの虐殺王”という新たな二つ名を得た。


 そして――。グラスはまだ知らない。


 帝国と手を結んでいた近畿のシダレ皇国や、その西側諸国が、東の海洋大陸の約半分を治めたフルール王国を危険視したことで、戦乱の時代へと突入する未来を――。


 刀を初めとした様々な鉄製の兵器。

 新たな可能性”火の薬”を用いるグラスによって、

 その戦乱は長く続かず、瞬く間に東の海洋大陸が統一されるに至る未来を――。


 エリオントを伴侶にしたことで、王族のみが許される公爵位を叙爵していたグラス。

 王位継承権を得ており、また第一王子サンテの承認もあり、フルール王よりその王位を禅譲ぜんじょうされる未来を――。


 花を慈しむ狼のような顔をした男が、平和な世を作り、氷海の虐殺王という何とも不可思議な未来が訪れる未来を、"向日葵の花エリオント"を愛する"その狼グラス"は、まだ知る由もないのである。


 -了-

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