~狼建国記~その狼は向日葵の花を咲かせたい。

山吹祥

序章

第1話 茶会

「ねえ、騎士様? 騎士様は王になるお考えはないのですか」


 東の海洋大陸。その北東に位置するフルール王国。

 王都”ハーギ”に構える城の中にある庭園は、季節ごとに咲く、色取り取りの花々を眺めることができ、花の都に相応しい五感すべてが楽しめる造りとなっている。

 そしてこの場所は、フルール王国が第一王女『エリオント・アオイ・フルール』が最も気に入っている場所である。

 花を見て楽しみ、香りを嗅ぎ、花風を聴き、陽を浴びる。その中で花茶や菓子を用意して、探り合いのない、まっさらな会話を楽しめる唯一の場所。


 庭園への立ち入りは護衛騎士『グラス・氷海コウミ・イヴェール』や、ただ一人の侍女となる『アイビー・木蔦キヅタ・ヘデラ』などの側近のみが許されている。

 心内を晒すことのできる側近たちと過ごす茶会、それはエリオントが大切にしている時間の一つとなる。


 そして今はその茶会の最中。

 どごどこの国の茶葉を用意した。新作のお菓子を用意した。第一王子殿下おにいさまがうるさい。フルール王おとうさまがうるさい。グラスやアイビーを揶揄ったり――など。

 会話の内容はその時々によってさまざまだ。

 だが、他者に聞かれれば、国家反逆、王政打倒、革命とも捉えられ兼ねない謀反を疑うような言が飛び出すことは、これまでに一度もなかった。

 揺らぎのない湖のような、穏やかでゆったりとした時間が流れていた茶会。

 それが、エリオントがイタズラに投じた石。

 たった一つの質問が、茶会に波紋を広げることになった。


「姫様がまさかワレに死ねとおっしゃるとは、露ほども考えた事がなかったです」


 グラスは大仰な身振りをしたのちに心臓を押さえ、静かに頭を振り、嘆き悲しむような仕草を見せながら返事を戻した。


「まあ、騎士様。それは曲解が過ぎましてよ? わたくしはただ、わたくしを貰ってはくれませんの? そう訊ねてみただけですのに」


「ワレは未開拓地育ちの貧しい出。大国でもあるフルール王国、それも城が買える程に輝く宝石や、この庭園に咲く美しい花々をも上回る美貌の持ち主、葵姫殿下の護衛騎士にまでなれたこと自体が出来過ぎなのです。これ以上、何を望めとおっしゃりましょうか。ゆえに、姫様がおっしゃることは言葉が異なるだけで意味は変わりませんよ」


「まあ、聞いたアイビー? あの騎士様がわたくしに言葉の贈り物をくださったわ」


 エリオントは、グラスの仕草をなぞる大仰な仕草をして、新たな茶を取りに離席、そして戻ったばかりのアイビーへと話を振った。


「はい、姫様。明日は城下を視察して回る予定でしたが、変更せざるをえませんね」


「アイビーよ、ワレが珍しいことを言ったからとて、氷やイカズチが降ることなどないからな?」


「…………」


「ふふ――。その様に物騒な奇跡を起こすくらいでしたら、誰もが目を奪われる――そんな奇跡の花を咲かせてほしいと、わたくしは騎士様へお願いしとうございます」


 花の都でも見られぬ花。誰もが目を奪われる花。幻の様な花など用意できるわけがない。

 故に騎士グラスは、無茶や無理難題の類いを笑顔で願うエリオントに無言で拒絶を示した。

 エリオントは大して気にも留めず、持論を展開する。


「いずれにせよ、民がいなくては、国は成り行きません。いずれ王になるその時、民がいなくては花を見せる事も叶わず、困ってしまいますものね。騎士様は護る者がいてこそのグラス・氷海コウミ・イヴェール様ですから」


「王席の簒奪さんだつを策謀し、氷やイカズチを降らせる為に姫様の美しさを申した訳ではありません。ましてや、エリオント・葵・フルール姫殿下を傾国の美女として後世に語り継がせるなどとは、恐ろしくて、恐ろしくて――ワレにはとても」


「まあ、茶も冷めやらぬ短い時間で二度も美しいと申して下さるとは……まことに何か良くないことが起きるかもしれませんわね。アイビーもそうは思わない?」


 先天的に優れた『鼻』を天より授かり、後天的に大層な肩書を手にしたとはいえ、グラスの能力は鍛えている分を加味したとして、ありふれたものであって、要は”普通”なのだ。

 純たるフルール王国出身者には、超常的な能力を使える者は存在しない。

 その能力を、もしもグラスが授かっていたとして、本当に氷やイカズチを降らせることができたとしても、王など面倒な立場になることなどグラスは考えていない。

 ましてや善政を施き、治世の名君と謳われる王を、数少ないグラスの理解者でもある王を退けようなどとは微塵も考えていない。


 エリオントを望み、国を乱した結果”虐殺王”などと後世に残されることなどまっぴらごめんだ。グラスはそう考えていた。


 続けてグラスは、クスクスと笑い、アイビーへ顔を向けたエリオントを盗み見た。

(あんなに幼かったのにな――)

 まだ十三の歳。あどけない顔ではあるものの、確かな美貌を備えている。

 金色に近い山吹色に輝く髪。

 浮かぶ雲と晴れ晴れとした空を合わせたような水縹みはなだ色に染まる澄んだ瞳。

 端正な顔立ちは当然に天より与えられており、その顔が作るさまざまな表情。

 女性なら誰もが羨む均整のとれた体。民や国を慈しむ綺麗な心。

 貧しい出の自分と異なり、出生は大国の王族。

 学術、武術ともに優れた能力を持ち、心技体すべて揃っているのが第一王女エリオントだ。

 天は二物も三物もの”才”をただ一人の女の子に与えたのだ。


 グラスが十六の歳に見える頃だ。

 七つの歳となったエリオントに護衛騎士へと任命され、同時にエリオントから名を呼ぶ栄誉を授かっている。

 授かったからと言っても、六年の間で”葵”の名を呼んだ回数は片手で収まるほどだ。

 だが、自らの気持ちを誤魔化す様に、栄誉ある名を呼ぶことで、おちゃらかし気味にエリオントを褒めたのだけれども。

 その心内では、正真正銘、本当の本音でエリオントのことを当然に東の海洋大陸だけでなく、まだ知らぬ海の先へ広がる世界を含めても、一番美しい人物だと思っている。


「はい、姫様。つい先ほど、八ヵ国すべの国から親書が届いたとか。もしや、その親書に何かよくないことでも書き記されている可能性もございます」


「それは大変。どう致したらよいでしょう騎士様……わたくしを望むことが記されているに違いありません。あぁ――わたくしはどうしたらよいと思われますか騎士様」


「いつものことでしょう。あと三年の猶予があるとはいえ、このままでは行き遅れとなってしまいます。そうなる前にお相手をお決めになった方がよろしいかと」


「まあ、酷い騎士様ですこと。わたくしの伴侶が未だに決まらないのは騎士様のせいですのよ? 騎士様より素敵な殿方などおりませんのですから」


「ご冗談を――」


 エリオントの美しさは、フルール王国だけに留まらない。

 節目となる十歳を祝う場、お披露目と言う名の夜会を開いてからというもの、国内外問わず、七か国の王族や貴族、商人、英雄――グラスとは比べることのできない、ありとあらゆる”才”の持ち主たちが、『第一王女を我が妃に』と望む声が、この三年間途切れることなく届いている。

 故にグラスは、これこそ本当の本音で『ご冗談を』と口にしたのだ。


「ふふふ、騎士様こそご冗談がお上手ですこと」


「姫様の御戯れ心に付き合いたくもございますが、確認しとうことがございます。アイビーよ、うぬは先ほど八ヵ国すべての国からと言ったか?」


「…………」


「アイビー、騎士様へ答えて差し上げて」


「はい、姫様。グラス卿、先に報告したことに間違いございません。アントリュー帝国を含む八ヵ国すべての国から親書が届いてございます」


「左様か――害虫どもが、何か良くないことを考えているやもしれんな。書にはなんと?」


「…………」


 アイビーはグラスを嫌っているから返事を戻さない訳ではない。

 主君でもあり恩人でもあるエリオントに対してのみ、アイビーは返事を戻す。

 であるから、グラス以外に対しても態度を一貫している。

 だが、今回については返事を戻す必要を感じていなかった。

 王から書に関しての報が届くと、確信していたからだ――。


「ぬ――誰か来たな」


「ええ、きっと騎士様の答えを知らせにきてくれたのでしょう。せっかくアイビーが美味しい花茶を淹れてくれたばかりというのに……名残惜しくは思いますが、茶会はここまでのようですね」


「姫様とアイビーはこのままお待ちを。ワレが確認して参りますゆえ、しばし離席いたします」


「いいえ、騎士様。わたくしに関係することでしょうから共に参りますわ――」


 庭園入口で待機していた王の使いと共に、エリオントとグラスは王の間へと移動を開始する。


「それにしても、騎士様は本当に薄荷ハッカ茶がお好きなのですね」


「好き……というよりは、昔から飲んでおりますゆえでしょうな」


「騎士様が好まれるものは、わたくしも好きになりたいのですが……どうも、あのスースーするのが苦手です」


 薄荷ハッカを好む者はそのスースーする爽快感を好んでいたりする。

 反対に薄荷を嫌う者はそのスースーすることに不快感を示す。

 エリオントがまだ幼い頃に、グラスがそう説明した後に薄荷茶を振る舞ったことがある。

 その結果は、渋面を作らないために、必死に我慢するエリオントの顔を見るに至った。

(懐かしいな)

 グラスは記憶を思い出し微笑する。そして当時のエリオントがした言い訳を口にする。


「茶会とは好きな茶を楽しみながら飲むもの。そう、教えて下さったのは姫様です。ですから、無理してワレなどに合わさずともよろしいですよ」


「騎士様は何も分かっていないわね――。騎士様も薄荷ハッカ茶ばかり飲まずに、わたくしが大好きなアイビーの淹れる花茶をお飲みになってほしいものですわ。そうしたら、意地悪な性根も少しは真っすぐになるかもしれませんわよ――」


 どちらが意地悪なのか。

 グラスはそんな意味を込めて肩を竦め――。


 へと続く扉を開いたのだ。

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