第297話 捨てる神あれば救う神あり。

【まえがき】

 最終話です。

 長くなっておりますので、ご注意ください。


 ▽▲▽ ▽▲▽



 1月19日の夜。

 こう君は私に不安を吐露するように教えてくれた。


 2月21日がこう君のお父さん、八千代まなぶさんの命日だと。

 3月19日が新光しんこうあやさんの出て行った日だと。


 そして毎年3月19日は熱が出て学校を休んでしまうと――。


 例年通りなら、3月の当日だけ影響が出てしまう。

 けれど、今年は学さんのこともあり、2カ月前に当たる1月のその日、こう君は不安定となり、普段よりずっと甘えん坊になった。


「身近な人がいなくなるのが怖いんだと思う」


 こう君は自傷気味にそう言った。

 平和な日本に住む15歳、16歳の私たちにとって、永遠の別れとは身近なものではない。


 だから怖くて当然だ。私だって怖い。


 お姉ちゃんが、お母さんやお父さんが、美緒さんが、望ちゃんや莉子ちゃん、あーちゃんが、友達が――――こう君がいなくなると、会えなくなると、会いたくても会えなくなってしまうと、声が聞けなくなってしまうと、話せないんだ、触れることもできないんだって、それを考えるだけで、震えが止まらなくなってしまう。


「私はずっとそばにいるよ」


 そう言えたらどれだけよかったことだろうか。

 私は言い繕うどころか、何も言えずに、ただ――。

 アパートの敷地を飾るレンガ門扉へ腰かけるこう君を、ギュッと抱き締めることしかできなかった。


 ――嘘だ。


 想像してしまい、怖くて、私がこう君にすがったのだ。

 慰めるどころか、震えてしまった情けない私の腰を優しく叩きながら、こう君はおちゃらかし気味に慰めるように冗談を言った。


「まあ、やきもち妬きの美海さんを放るなんて僕はできないから」


 と。

 だから私はこう君の優しさにあやかり、水ちゃんを名前で呼んでもいいかと訊いてきたこう君を反対にからかった。


『寂しい顔をして、実は束縛されたいのはこう君の方なんでしょ』と言って。


 対してこう君は、『美海の心音を聴いていたら元気出た。ありがとう』と言った。


 それだけでこう君の不安を吹き飛ばせたとは思えなかった。

 でも私は『良かった』と言って、その日はこう君を見送った――。


 昨晩、珍しくかかってきた電話で、こう君から副店長あのひとと会ったと聞いた。

 それを聞いた私は後悔した。

 家にこもるより気晴らしになるかなと考えて送り出したのに。

 19日を前にしてこう君に余計なストレスを負荷してしまったのだから。


 神道寺かんどうじさんの入社が決まったことで、お姉ちゃんはこう君にシフトを減らすと言った。

 タイミングが悪すぎた。そのせいで、こう君に『嫌な事を思い出した』と言わせてしまったのだから――。


 そして今日。3月19日の火曜日。


 朝、内緒でこう君を家まで迎えに行くつもりだったけれど。

 その前に、こう君からメッセージが届いた。


(こう君)『おはよう。ごめん、熱が出たから今日は休みます』


 心配して自宅まで駆けつけようとする私の行動などお見通しだったのだろう。

 こう君は続けて、私には学校へ行くよう厳命してきた。

 熱は例年と比べて微熱だし、午前で落ち着く筈だから心配は無用だと言って。


 こう君は自分のために、私に休んでほしくないのだろう。

 だから私はその気持ちを汲み取り『無理は禁物だからね。お大事に』とだけ送って、学校へと向かった――。


 朝の図書室やホームルーム、休み時間、終業式――と。


 特別なことは何もない、こう君がいないだけでいつもと変わらないはずなのに。

 こう君がいないだけで寂しさを覚えてしまう。


(早く会いたい)


 会って、早くこう君にギュッと抱き締めてもらいたい。

 こう君の声が聞きたい。

『美海』と優しく私を呼び掛ける、こう君の声が聞きたい。


 私の頭の中は、ただそれで一杯だった。


 春休み中に行われる新入生オリエンテーションや離任式、クラス替えの発表について、帰りのホームルームで美緒さんに説明をされてから最後に、2年生から使用する学生証が配られた。

 生徒手帳に関しては、クラスが決まった新学期に配布されると説明がされる。


 そして――。


 美緒さんから預かり物を託され、

 1年Aクラスの人たちと別れを済ませ、

 こう君に用事があった鈴先輩から代わりに話を聞いて、

 こう君から熱は下がったと連絡が来たけれど、


 それでも――。


 こう君を心配する美波と幡くん、

 そして美波から事情を聞いた莉子ちゃん、

『軟弱者』と本音と反対なことを言うあーちゃんに見送られて――。


 二つの想いを抱き、私はこう君の元へ馳せ向かう。


 ▽△▽


「もう、大丈夫だと思ったんだけどな……」


 冬休み、美海から不意に聞いた『新光文はは』の名前。

 突然だったこともあり、衝撃はあったけれども。

 もっと動揺すると思っていたけれど、自分でも思っていた以上に僕は平気だった。

 だから、今年は熱が出ないだろう――そう思っていた。


 それなのに、微熱とはいえ出てしまった。

 毎年、毎年、いい加減にうんざりしてしまう。


 本当に情けない。


 あの晩、美海に励ましてもらったのに、僕は今年も熱を出して学校を休むはめになった。


「まあ……」


 高熱から微熱。

 それに、今年はネガティブ思考に陥らずピンピンしている。


 あ、いや――昨晩は須賀川副店長との遭遇がきっかけで、僅かにマイナス思考へ陥った。


 でも、今はピンピンしている。元気が有り余っているくらいだ。

 この勢いを利用して、美海に会いに行きたくて仕方がない。

 声が聴きたい。『こう君』って、笑い掛けてほしい。

 たた、会うのは……学校を休んでいる手前さすがにまずいから、夜にでも電話をしたい。


 これらを考えたら、よくはなっているのだろう。

 来年こそは、皆勤賞を狙いたい。

 そして、幸介や美波、美海――莉子さんや友達に不要な心配を掛けないようにしたい。


「ナァ~」


 朝からずっと傍にいて、たった今まで膝に乗っていたクロコが飛び下りた。


「クロコ?」


 尻尾をぶんとさせて、リビングを出て行く。

 もしかして『元気ならもう心配不要ね』。

 クロコはそう言ったのかもしれない。

 相変わらず聡くて、お姉ちゃんな猫だ。


「頼りになるな」


 僕がそう呟くとチャイムが鳴った。

 時計の針は14時過ぎを示している。

 誰だろうか、美海だったりして――と、僅かに期待しながら、インターホンを取る。


 取ると同時に、僕の期待へ応える様に美海の姿が画面に映し出された。


『どうしたの、美海?』


 質問したけど、僕を心配して来てくれたことなど分かっている。

 そう思ったのだが――。


『凄く――すごくね、こう君に会いたくて来ちゃった』


 美海は心配の『し』の字も言わず、僕の気持ちを代弁してきた。

 心なしか肩が上下しているのが見えるから、走って来てくれたのかもしれない。

『――!? こう君、ありがとう!』と美海が告げると同時に、美海の姿が見えなくなる。


 僕がオートロックを解錠したことで、美海がその先へと進んだのだ。


 発熱で学校を休んでいるのだ、本来なら会わずに帰した方がよいのだろう。でもだ。

 お医者さんでないから、勝手な診断だけれども、この発熱は風邪によるものではなく、精神的ストレスによるものだ。


 毎年、母がいなくなった午前が終わり、午後になると平熱にまで下がることが何よりもの証拠になると思う。


『美海に会いたい』


 そんな思いから無理矢理に言い訳して、玄関で待っていると。


 ――ピンポーン。

 と、音が鳴る。それと同時に僕は扉を開く――。


「こう君!!」と僕を呼ぶ声が聞こえると共に美海が僕の胸へ抱き着いてくる。


「美海と会えて僕も嬉しいけど、どうしたの? 何かあった?」


「こう君がいない学校が寂しくて……ギュッてして?」


「今日の美海さんは甘えん坊ですね」


 そう言いながら――美海を壊さないように、力いっぱいにギュッと抱き締める。


「苦しくない? 平気?」


「もっと強くてもいいくら、い――――ん、ちょっと苦しい」


「あ、ごめん」と言って、力を緩めようとするが。


「いいの! 今はちょっと苦しいくらいが、そっちの方が嬉しい」


 全力とまではいかないけれど、今までとは比にならないほど力を籠めて抱き締めている。


 美海が窒息しないだろうか。

 骨が折れないだろうか――と、不安になるが、嬉しそうな声で笑っているから本当に平気なのだろう――。


 そのまま暫らく、何も話さずただ抱き合っていたが、美海が力を弱めたことで僕も抱き締める力を弱めていく。

 なごり惜しむように、

 徐々に、徐々に――密着していた体を離していく。


 そして完全に離れ、でもその代わりに視線を重ねたところで美海は口を開いた。


「こう君、お熱下がったって連絡くれたけど平気?」


「平熱に戻ったし、今からランニングに出てもいいくらいに体力も有り余っているから、健康体だと思うよ。心配かけてごめん……心配してくれてありがとう、美海」


「心配するのは当然だよ。でも、どういたしまして。あと、病み上がりではあるんだから、あまり調子にのらないの! クラスのみんなも心配していたんだからね?」


「そうなの? 文句や悪口でも言われているかなって思ったけど?」


「ふふ、確かに『八千代あいつー!』とか『最後の日に休むか!?』とか言っていたかも」


 文句や悪口と聞かれたら、違うかもしれない。

 でも、『心配している』のカテゴリーに入る言葉でもないと思うぞ。


「それって心配されているのかな?」


「みんな、最後はこう君に会いたかったんだよ。こう君はAクラスの中心人物だからね」


「6月以降、クラスを賑やかしたことは事実だね。――少し、上がっていく?」


「ふふ、変な言い方! ホームルームの話や、噂話の真相とかいろいろ話したいことがあるから、お邪魔させてもらえたら嬉しいです」


 ホームルームの話は春休み中にあるクラス替えやその他諸々についてだろう。

 以前から美緒さんが説明してくれているから大よその概要は把握しているけど、何か追加された話もあるかもしれないから、教えてもらえるのはありがたい。


 だが、噂話の真相とは何だろうか。

 僕と美海が別れる。不仲である。


 その原因が判明して、美海は莉子さんや山鹿さんから何か聞いてきたのかもしれない。


 今すぐ訊き返したいが、焦ることはない。

 ひと先ず、美海に専用のスリッパを差し出し、上がってもらう。


 いつも通り洗面所で別れて先にリビングへ移動、そして紅茶の用意をしておく。

 うがい手洗いを済ませ、リビングにやって来た美海へソファで座っていてと声を掛ける。


「お待たせ、オータムナルです」


「ありがとう――いただきます!」


 美海がひと口飲み、カップをテーブルに置いたところで声を掛ける。


「ひと月後には春摘みの”ファーストフラッシュ”も出回ると思うよ」


「そうなの? 楽しみだね! 春摘みはどんな味かな?」


「僕も飲んだことないから知識だけになるけど――」


 そう前置きしてから語り過ぎないように、花や果実を思わせる香りと紅茶に見えない黄金色が特徴だと美海へさっと説明する。


 僕が語り過ぎないようにしていることなどお見通しなのだろう。

 美海はくすっと笑ってから、もう一度『楽しみ』とにこやかに言った。


 それから、僕が学校に残していた僅かな荷物は春休みのどこかで取りにいくこと、春休みの行事について美海から説明をしてもらう。


 僕としては本題でもある噂話の真相、いよいよその話に移る――というタイミングで、美海が膝枕をすると言った。


「僕は嬉しいんだけど……いいの?」

「こう君は病み上がりでもあるでしょ?」


「病み上がりって、ほどでも――」

「膝枕はイヤ?」


「いえ、全く嫌じゃないです」

「うん! なら、はい! どうぞ」


 いつも通り美海の体と反対に顔を向けて頭を乗せると、美海はすぐに僕の髪を撫で始めた。


 そして、そのままゆっくりと語るように噂話の真相を話し始める――――。


 僕と美海が不仲だといった噂の真相を突き止めた鈴さん。

 鈴さんは僕に会いにクラスまで訪ねてきたが、僕が欠席していた為、代わりに美海へ真相を伝えた。


 事の真相は、アオハル実行委員会の活動にまで遡ることになる。

 活動といっても直接的な関係はない。

 僕と本宮先輩、元樹先輩の3人で集まった時、僕と本宮先輩の話から伝言ゲームのように噂が広がることになった。


 僕と本宮先輩がアオハル実行委員のことを”アルバイト”と比喩して、早く面倒なアルバイトは辞めたいと会話した。

 中座していた為に、アルバイトと比喩するまでに至った会話を知らない元樹先輩が僕と本宮先輩の話を聞いた。


 元樹先輩はそれを横塚先輩へと世間話のように話した。

 ここまでは、横塚先輩に焼肉をご馳走された時に聞いているから知っている。


 横塚先輩へ否定と訂正をしたことで誤解はとけた。

 けれど、この話には続きがあった。


 横塚先輩は、僕へ確認する前に1年生の女子に話してしまっていた。

 別に大した話じゃない。事実と違う話なのだから、わざわざ慌てて訂正するまでもない。

 話をした女子と、次に話す時に訂正すればいい――と、横塚先輩は考え、これを放置した。


 僕に教えてくれていたら――と思わなくもないが、たとえ僕が聞いていたとしても、誰かに質問されたら否定すればいいや、くらいに考えていたと予想できるから、あまり横塚先輩を責めることはできない。


 そして、少し戻るが1月の始業式の日のことだ。

 あの日から僕と美海は加速的にバカップルという噂が広まった。

 休日はペアルックで出掛けるだとか根も葉もない噂もあったが、その中に、バイト先まで一緒にするほど仲がいいというものもあった。


 元樹先輩から横塚先輩へ、『郡はバイト辞めたいみたいだ』と伝わり。

 横塚先輩から1年女子へも同等の内容が伝わった。


 そしてここからだ。


 1年女子から誤解や訛伝かでん、解釈違いや勘違い、誇張されて、まるで伝言ゲームのように伝わっていってしまう。


「八千代くん、上近江さんと同じバイトさき辞めるんだって」

「仲良いのにどうしたんだろうね」

「バイトを辞めるってことは上近江さんに不満があるとか?」

「えー、そうなんだ。あんなに仲良さそうなのに上手くいっていないんだね――」


「八千代くんが上近江さんに不満があって、なんか上手くいっていないらしいよ」

「え、意外……実は険悪なのかな――」


「八千代くんと上近江さんって険悪らしいよ」

「それが本当なら、近いうちに別れたりするのかな――」


「八千代くんと上近江さん、近々別れるみたいだよ」


 この様な噂が1年Aクラスを除いたところで広がりをみせた。

 1年Aクラスが省かれた理由については、イチャイチャする僕と美海を知っているだけに、噂話を聞いても一笑に付していた為だ。


 そして『別れるのか?』などど、無神経に訊いてくる人もいなかったから、僕や美海の耳にまで届くことが遅れてしまったのだろう。


 幸介から聞いた、性質の悪い噂で仲を引き裂かれた2人の中学生のケースとは違い、今回のケースは、女子高生が家族へ訊ねた何気ない質問が発端で街中を巻き込む騒動になったものに似ている。


 つまり、悪意で広まった噂でなく、誰が悪いとかないものだったのだ。

 強いて言えば、アオハル実行委員会をアルバイトと比喩した僕だろう。


 亀田水色が言った。

 言葉とは面白いものだねと。

 些細の言い回しで、人によって受け取り方が異なるのだからと。

 でも今回ばかりは何も面白くない。

 些細なことで不快な噂が広がったのだから――――。


「こう君は私を振るんですか?」


 真相を聞き終わり、何も言えない僕に美海は静かに訊ねた。

 胸が締め付けられた。最悪な気分だ。

 美海を悲しませることを美海に訊かせてしまった。

 美海と別れることを想像してしまった。

 目を見て返事がしたくて起き上がろうとするが――。


「ダメ、このままでお願い」


 美海に体を押さえつけられてしまい、起き上がることができなかった。

 だから、僕を押さえる美海の手を強く握りしめて返事を戻す。


「絶対に別れない」


「……はい! 私も別れてあげません」


 僕の頬をつつきクスクスと笑っていることを考えると、美海は僕の返事など分かっていたのだろう。

 けれど、返事を戻すまでに一拍の間があった。

 美海の顔が見えないから、その一拍の意味を察することは難しい。


 でも――もしかしたら、僕の返事に安堵したからなのかもしれない。


「不安にさせたよね? ごめんね、美海」


「なんか……この間仲直りしたばかりなのに、また変なすれ違い? が起きちゃったね」


 うるさい――。心臓の音が嫌に頭へ響いてくる。


「それなら……また仲直りしないといけないよね?」


 早く仲直りをして、美海の不安を――僕の不安を取り除きたい。

 そう逸る思いから『仲直りしよう』と、伝えたのだけれども、美海は頷いてくれなかった。


「こう君は前に言ったよね? 歴史は、想いは、年を重ねるにつれて風化するって」


 三者面談の日に言った。歴史を苦手と言った幸介に向けて言ったことだ。


「後世まで残る程に強い想いが風化するってことは、私やこう君が抱く想いもいつかは風化しちゃうのかな?」


 美海がさっき作った間の正体はこれだ。

 きっと不安なのだ。

 今は互いに強く想い合っている。

 けれど、その想いがいつまで続くのか分からない。

 前回仲直りするに至った勘違いや今回の噂話。

 そういったトラブルやすれ違いで、関係が悪化することだって考えられる。

 僕が怖いと感じているならば、美海もまた怖いと、不安になっているのだ。


「……未来さきのことは誰にだって分からないよ美海」


 違う、そうじゃない。そんなことを伝えたいわけじゃない。

 これでは言葉足らずだ。


「…………そうだよね。ごめんね、変なこと言ったりして」


「確かに、どんな想いも風化する時がくるのかもしれない。でもね、美海?」


「……うん」


「けれども僕は――風化して、色褪せてしまう度に……いや、色褪せてしまう前に僕の最高に重い色を、美海に染めていきたいと思っている」


 美海がいてくれたから、美海がその想いで僕を染めてくれたから、僕らはこうして一緒にいられる。


 だから、言葉を詰まらせ、撫でる手を止め、押さえる手をギュッと握りしめ、思い悩む美海に、冬休みに交わした会話を思い出してもらいたい。


「美海は僕とどっちが相手を染めているかって張り合ったでしょ? そして大事なことだって言ったでしょ?」


「うん……言った、けど……?」


「色褪せるよりも前に、2人で塗り合うことが先へ未来さきへと繋がっていく。僕はそう思いたい。だから――冬休みに張り合ってくれたように、僕は同じことを美海に望みたい」


 要は、何度も上に更新された『好き』という想いを伝えるから、美海にも同じだけ言ってほしい。


 僕は勝手にもそう押し付けているのだ。

 あまりにも身勝手なお願いゆえに、バス旅行の帰りを思い出してしまう。

 美海の笑顔を見られないと眠れないから笑って欲しい、と願ったことを。


 今回はそれよりもずっと我儘で身勝手なお願いなのだけど――。


 美海も思い出したのだろう、『相変わらず強引なんだから』と呟いた。

 そして呆れたように――。


「――もう……こう君は本当に仕方ない人だね」


 と、あの時に言った同じことを美海は言った。


「ごめんね、これが僕だから」


「いいよ、わがままなのはお互い様だからね」


 ここでやっと、僕を押さえる美海の手から力が抜けたことを感じた。

 だが、顔の向きを変えることは許してくれても、起き上がる事は許してもらえない。


 それでも、美海の目を見ることができた。

 悲しい目をしていると想像していた。

 でも、美海は優しい眼差しで僕を見ていた。


 美海の目を見ると穏やかな気持ちになれる。

 いつもキラキラしていて、波が揺らいでいるようにも見える。

 まるで海そのものを見ているかのように。


 とても美しい瞳をしている。


「僕は、みんなの前ではちょっと背伸びする美海を素敵だなって思う。でも、僕の前では等身大の普通の女の子になる美海も素敵だなって思うし……その、そんな美海が凄く好き」


 美海は顔を染めることもなく、ただ真っすぐに返事を戻してくれる。


「私は、みんなの前では格好付けてあれもこれも手を伸ばすこう君を素敵だなって思う。でもね、私の前では年相応に……ううん、まるで子供みたいに無邪気になるこう君を素敵だなって思うし、私はそんなこう君が大好きです」


「ありがとう。子供みたいってのはちょっと気になったけど、凄く嬉しい」


「ふふ、そこは素直にお礼だけ言ってほしかったな?」


 文句を言いつつも、頬を撫で、親指で瞼をなぞる手付きはとても優しい。

 その行動すべてから、美海の気持ちが伝わってきている気がする。


「それで、美海は僕と仲直りしてくれるのかな?」


 さっきは頷いてくれなかった。でも今度は――。


「こう君……目、瞑って?」


 美海はどうあっても膝枕を続けるみたいだ。

 だから、僕は素直に美海にされたお願いに従う。

 徐々に美海が近付いてくる気配がしたのだが、その気配は途中で止まってしまう。


 どうしたのだろうか――そう思った時。


「と……届かない」


 そんな呟きが聞こえてきた。


 目をうすく開いたのだが、その……なんだ。

 美海の顔ではなくて女性特有力が僕の眼前にまで迫っていた。


 そりゃそうか、膝枕状態で前屈みになればそうなるのは当然だ――と、冷静に考えながら、そっと目を閉じた。


 でも――でもさ?

 これを耐えるには、僕にはちょっと難しかった。


「ふ――美海さん、と……届かないって、ちょっと――」


「だって届かないんだもん! もう、こう君! 笑わないでよ、イジワル!!」


 目を開けたそこには、桃色に染めた頬を膨らませる美海が映った。

 恥ずかしそうに、それはもう――大変ご立腹な様子だ。


 そんな激おこぷんすかぷんな美海さんへ単純な疑問を投げ掛けてみる。


「美海はどうして膝枕にこだわっているの?」


 僕の顔を見たくない程に怒っている、もしくは泣き顔を見られたくない。

 そう思っていたけど、その様子は感じられなかった。

 だから疑問が残っていたのだ。


「……笑わない?」

「笑わない」

「そのね……予行演習になるかと思って」


 予行演習とは何に対してだろうか。

 頑張って思い出せ、そう思考を巡らせようとしたが、その前に美海が答えを言った。


「こう君が具合悪い時は看病するって言ったでしょ? ついでに膝枕して、キスも……って、考えていたの」


 冬休み明け初日の朝、図書室でした会話だ。

 美海は律儀に約束を守ろうとしてくれていたということか。

 なるほど……なるほど……。


「こう君、今絶対に心の中で笑っているでしょう? お見通しなんだからねっ!」


「いや、濡れ衣。笑ってなんていないよ」


「えー、ほんとに?」


「本当に。だって、美海は僕が抱える悩みを一緒に抱えようとしてくれたってことでしょ?」


 僕が熱を出した原因は風邪の菌ではない。

 一種のトラウマからくるものが原因だ。

 美海はそれを引き取り、美海が言う『メッ!』をしようとしてくれたということだ。


 いじらしい美海の思いをどうして僕が笑うことができる。


 そしてお見通しだったことが不満なのだろう。

 美海は『ウー……』と唸るような目付きで僕を見ている。


「お見通しなのは僕の方だったね?」


 自分でも天邪鬼で意地悪なことを言ったと自覚しながら上体を起こす。

『むすっ』とした表情をする美海は、

 唐突に今年使用していた学生証の交換を訴え出てきた。


 記念に取って置く人もいるかもしれない。

 かく言う僕も、美海との縁を引き寄せた物だから取っておきたい気もする。

 だが、美海が望むなら交換しても構わない。


 と言うより、美海の学生証をもらえるなら万々歳だ。

 諸手もろてを挙げて交換を歓迎したい――。


 ――そうして、学生証を交換した訳なのだが。


 終業式の今日、2年生から使用する学生証を配るとは聞いていた。

 そして、休んだ僕の代わりに美海が美緒さんから預かってきてくれたのだろう。


 ここまでは理解できる。


 だが、どうして美海の首からぶら下がるカードケースの中に、またもや僕の新しい学生証が入っているのだろうか。


 でも――――懐かしいな、そう思っていると。


「返してほしい?」


「そうだね、無いと困るからね」


「ふ、ふっふ~、どうしよっかなぁ? こう君、さっき私にイジワルなこと言ったからなぁ? 悩んじゃうなぁ?」


 美海は仕返しとばかりに、凄くイタズラな顔で意地悪なことを言っている。


 ただ――僕はおかしいのかもしれない。

 恋に、美海に、毒されているのかもしれない。


 そんな顔ですら、見ると穏やかな気持ちになる。愛おしいと思えてしまうのだから。


「どうしたら返してもらえるだろうか?」

「そうだなぁ……」


 美海はそう言って、立てた人差し指をこめかみに当て、悩む様な素振りをみせた。

 でも、それはただのポーズだ。


 すぐに条件を告げてきた。


「これからも私と一緒に働いてくれないですか?」


 美海はイタズラに笑い、懐かしい言葉をくれた。

 そしてそれは――。

 むしろ僕からお願いしたいことだから、僕も懐かしい返答を戻す。


「ええ、是非働かせてください」


 目を合わせ、2人で「ふふ――」と笑い合う。

 一緒に過ごして行くうちに、こうして過去を共有して、時に思い出し、笑い合える関係。

 そんな関係が僕と美海の間に作られ始めている。

 この先もそうやって2人で思い出を染め合っていきたい。


「こう君の学生証を拾ったのが私でよかったね?」


 あの日。

 学生証ともども美海に拾われたおかげで僕は前に進めた。


「僕の学生証を拾えてよかったね?」


「あー? 真似っ子! でも、ふふ――また来年も学生証を交換しようね」

「再来年も交換しよう」


「ふふ、よろしい!! じゃーあ――はい!」


 美海は最強でいて最凶な笑顔をして、

 僕の首に学生証が下げられた紐を通してくれた――――――。


 懐かしいやり取りによって、当初の事が鮮明に思い出される。

 僕らの関係は、アルバイトをクビにされ、学生証を拾われ、雇われ、助けられ、心を救ってもらったことから動き出した。

 拾われて、助けられて、救われたこと事への、こじ付けかもしれないが――。


『捨てる神あれば拾う神あり』


 当時の僕はことわざになぞって、

『アルバイトをクビにされたけど、同じクラスの上近江さんにすくわれたおかげで、これからも一緒に働くことが出来るようだ』とは、よく考えたものだ。


 それなら、関係が変わったこれからは何になるだろうか。

 考えてもパットは思い浮かばない。

 でも、1人で駄目なら美海と2人で考えていけばいい。


 2年生の事も含めて、その先も美海が一緒なら乗り越えて行けるだろう。

 まだまだ考えないといけない事はたくさんある。


 けれど、そうだな。


 僕の運命が大きく動いた1年間の物語の名はやはり――――。


「ねぇ、こう君?」

「ん? どうしたの、美海?」


「あとは……仲直りだけだね?」

「そうだね。すれ違ったなら仲直りしないとだ」


「うん……」

「おいで、美海」


「うん!!」


 触れるだけのキスを交わし――。


 互いに見つめ合う。

 瞳を通して心を探り合い、繋がりを求め合い、染め合っていく。

「すき」と告白きもちを贈り合ってから――。


 ゆっくりと唇を重ね。

 深く、さらに深く――――。


 僕が美海へ抱く想いを。

 美海が僕へ抱く想いを。


 まだまだ未熟な想いかもしれない。

 けれど今の僕と美海は同じ想いを流し合っている。


 今は確かな形となる気持ちを流し込む。

 永遠とも思えるようなキスを交わし――――――。



 どちらからともなく、ゆっくりと唇を離し見つめ合う。

 けれど、初めて少し大人なキスを交わしたからか、どこか照れたように笑い合ってしまう。


 そして。


「2年生になってもよろしくね、美海」


「うん! よろしくね、こう君!」


 最後に仲直りを果たし、

 また一つ僕と美海は強固な絆で結ばれたことで、


『アルバイトをクビにされたけど同じクラスの美少女にすくわれて一緒に働くことになった』に幕を下ろしたのだ。



 ~1年生編 最終第七章「ひろすく」 完結~



【あとがき】


 第七章の終了に伴い、1年生編の本編は一先ず終劇となりました。


 ですが、本編にいれられなかった

「こぼれ話」や美海の誕生日を含む

「春休み特別編」を順次執筆していきますので、

 更新はもう暫らく続きます。


 これ以上は長くなりそうなので、

 2年生編の予定についてなどを

「次のページ」にまとめましたので、そちらをご一読いただけると幸いです。


 想い出や「ここが良かった!」「このエピソードが好き!」みたいな思いのたけを書き込んで頂けると作者が喜びます。ひと言、「面白かったです」だけでも貰えると非常に嬉しいです。

 また、ここまで読まれて評価を入れられていない方。よろしければ評価欄から「★〜★★★」で率直な評価を教えていただけると幸いです。


 そして、最終話まで読まれた皆さま。

 また、フォローや評価、応援ポチ、感想などで応援くださった皆さま。

 誠にありがとうございました!!


「ひろすく」を愛読してくださった読者の皆さまに、最大級の感謝を。


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