いたちごっこのフレーム問題
森本 晃次
第1話 戦後の日本
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年9月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。
もう、半世紀以上も生きてくると、毎日のように、昔のことを思い出す。
「年を取ると、若い頃のことを思い出して、いつの頃からやり直したい」
と思う人も多いことだろう。
「子供の頃なのか?」
それとも、
「大学時代からなのか?」
そこまでとは思わないが、
「就職してからであれば、どこなのだろう?」
と、実に曖昧に考えてしまう。
特に就職してからというもの。子供の頃から考えていたような、
「就職すると、大人になり、その大人になってからというもの、子供の頃から勉強してきたことの集大成」
とでも言わんばかりの毎日だと思っていた。
しかし、実際に大人になって、仕事をしてみると、自分が思い描いていたような、
「社会貢献」
であったり、
「仕事をすると、その成果としてのお金がもらえることでの満足感」
であったり、
「毎日が充実していて、楽しい」
ということがあるだろうと思っていた。
ただ、その反面、
「仕事をしなければいけない」
という義務のようなものであったり、
「責任を押し付けられる」
という理不尽さなどがあることで、実際に楽しいはずの毎日が、マイナス面を考えて、
「少しでもプラスになればいいな」
と思えればいいくらいであろう。
実際に、
「プラスに感じる」
などということはほとんどなく、会社というものが、
「ブラック企業だったんだ」
ということを思い知ることになるだけのことであった。
一応、頭の中では、
「ブラック企業かも知れないな」
という思いはある中で、
「本当にブラックだったんだ」
と感じるのは、大いなるショックに違いない。
「自分の中では、かなりの妥協があったはずなのに」
と思いながらも、妥協が妥協でないほどのブラックさというものは、
「自分のプライド」
というものを、いかに傷つけられるということになるのかということを、思い知らされるのだ。
プライドというのは、
「会社がブラックかも知れないが。そんなことは分かっていて、それでも、社会のために頑張っている」
という意識を持てるかどうかということである。
ブラックな企業相手に、理不尽だと分かっていても仕事をしなければいけないということは、それは、自分のプライドを傷つけられることである。
あくまでも、仕事というものをブラックという形で片付けられるのは、自分の中で悔しい。
「ブラックでありながら、それでも、我慢をしなければいけないというのは、プライドが傷つけられるだけなので、同じブラックでも、理不尽さというものが、少しでも、納得のいくものでなければいけない」
ということになるのである。
だから、
「お金ではない」
と、仕事をする上での報酬を、金額で換算しないようにしているつもりだが、それでも、
「お金に換算しないとプライドが許さない」
というほどになってしまうことが、自分で自分を許せないということで、
「プライドが傷つけられた」
ということになるのだ。
「金銭の問題ではない」
とは分かっていても、金銭の問題で片付けなければいけないほどのブラックな企業。
それが自分には
「許せない」
ということになるのだ。
会社側がそれを分かっているのかいないのか。
分かっているとすれば、
「実にあざといことであり、プライドを傷つけられるものだ」
しかし、分かっていなければ、
「プライドというものが、会社側にない」
ということなので、
「俺にとって、プライドを傷つけられたわけではないので、何もこんなところに、いつまでもしがみつく必要はない」
ということで、金銭的なものがなければ、
「簡単に見切りをつけられる」
というものである。
そんなブラックな会社に入ったのも、当時は、まだまだ景気がよかった頃で、小さい頃からの夢だった、
「プラモデルを作る会社に入りたい」
という思いがあったからだ。
自分が子供の頃というと、プラモデルが全盛期といってもいい時代だった。
お城や戦艦、戦闘機などの、
「実際にあるもの」
とは別に、当時流行っていた特撮番組とタイアップする形で作られたプラモデルは、売れに売れたといってもいいだろう。
特に、
「怪獣、怪人もの」
というのは、結構売れた。
「正義のヒーロー」
というものよりも、怪獣の方が売れたことだろう。
何しろ、正義のヒーローは、毎回出てきて、一人しかいないが、怪獣は、毎回違う怪獣が現れて、正義のヒーローにやっつけられる。
ストーリー的には、それがいいのだが、
「毎回いろいろな怪獣が出てくる」
ということで、
「今回は、どんな怪獣なんだ?」
と思いを馳せるのも、楽しいものだった。
そんな怪獣ものと言えばいいのか、
「特撮ヒーローもの」
と呼ばれる方が多かったであろうが、一部の中には、
「主役は怪獣だ」
と思っている人もいるだろう。
だからなのか、話の中で、いつもやられる怪獣に敬意を表してか、
「怪獣供養」
という儀式をする時もあった。
しかし、実際には、その儀式の最中に、
「怪獣出現の報」
があり、
「急遽、喪服を脱ぎ捨てて、その下から出てきた戦闘服で、即刻、怪獣胎児に向かう」
という、一種の、コメディのような話になっていたりする。
本当は、
「怪獣供養」
などという、
「厳かな回」
であるにも関わらず、若干、コメディタッチにしていたのは、どういうことなのだろうか?
それを思うと、特撮怪獣シリーズというのは、
「怪獣を主役にしては、いけない」
ということにでもなるのだろうか?
しかも、皮肉なことに、
「子供たちに人気があって、プラモデルも売れに売れている」
というのに、実際の視聴率は、それほどでもなかったり、なかなか予算が回ってこなかったりして、結構苦しんでの政策をしていたようだ。
「あれだけ人気があって、空前の怪獣ブームを巻き起こした」
といってもいいのに、なぜか、収益にはつながらないようだ。
というのも、やはり、ターゲットが、子供相手ということで、その年齢層に致命的な偏りがあることが一番の問題ではないだろうか?
実際に、撮影で使われる、
「怪獣のぬいぐるみ」
などは、
「使いまわし」
が多いということであった。
「怪獣の角を取ったりつけたりし、あるいは、まったくありえないという、
「えりまきのようなものをつける」
ということで、うまく別の怪獣だと思わせるというような、姑息な方法がとられたりしているのであった。
しかも、ある週当たりから、
「怪獣や宇宙人の出てこない」
という回があった。
そもそも、中学生以上もあてにしての番組だったので、それはそれで不自然ではなかったのだが、やはり、子供としては、
「怪獣が出てこないとつまらない」
ということになるだろう、
だから、そんな回は、面白くないという話が思ったよりも、子供の間で広がったことで、
「あの番組は、面白くない」
ということで、もろに視聴率の低下を余儀なくされたりしたものだった。
ただ、
「どうして怪獣のない回を続けて作ったのか?」
というと、その理由は明快で、
「予算がない」
ということであった。
怪獣のぬいぐるみの使いまわしにも限界がある。
何度か、それぞれの部分を取り外したりして、他につけても、その分、劣化も激しく、一度他で使ってしまうと、もう使えなくなる」
というのもざらだったということもあって、結局、新たに新しいものを作らなければいけないということで、結果は同じだった。
しかも、そのたびに、製品を落として作るのだから、そんな商品に、
「再利用」
というものはできなかった。
しようと思うと、結果的に。何もできず、
「とても、ぬいぐるみとしては、使えるものではない」
ということになる。
映像に写すとなると、その劣化部分や消耗部分は目立つというもので、
「一発クレームの嵐だ」
といってもいいかも知れない。
そんな時、
「白黒テレビの時代はよかったな」
と思うかも知れない。
「新しいおのが出てくると、古いものがすたれていく」
というのは、
「時代の移り行く証明」
のようなもので、映画などでも、昔の、
「サイレント映画」
というものには、
「活動弁士」
といって、
「吹き替え」
のような人がいて、それを本職としている人が結構いた。
それが、
「トーキー」
ということで、効果音まで映像と一緒に流せるようになると、それまでの、活動弁士は、一気に職を失うことになる。
また、テレビが普及するまでの、子供の娯楽というと、公園などにやってくる、
「紙芝居」
であった。
おじさんが、来ると、子供たちは、遊んでいるのをやめて、一気に集まってくる。そこで、スライド式の、絵を見せることで、芝居の代わりをさせるわけだが、その時の紙芝居のおじさんの口上というものが、実に、
「プロの技」
だったのだ。
特に、子供たちはシビアなもので、面白くなければ、そっぽを向いてしまう。次に来た時は、どんどん来る人が減ってきたり、最後まで見ることをせずに、家路を急いだりして、「始まる時は、十数人いたものが、終わった時には、数人になっていた」
などということはざらだったといってもいいだろう。
そんな紙芝居だったが、テレビが普及してくると、皆テレビに夢中になる。やはり、いつの時代も、
「子供は、いや、子供だけに限らず、新しいものを求めるものだ」
というものなのだろう。
そんな時代があってから、紙芝居が流行っている頃にも、その傾向というものはあったのかも知れないが、
「ロボットもの」
というのが、出てくるようになってきた。
圧倒的に、時代劇のようなものが多かったのは、戦争中の、出版規制というのが影響しているのかも知れない。
あの頃の探偵小説作家などは、出版規制に遭うことで、推理小説などの書物は、出版できなかった。それまで発売されていたものも、発刊禁止となり、廃刊に追い込まれることも少なくなかった。
あるたいてい小説作家は、
「それでは食っていけない」
ということで、同じ推理ものでも、
「江戸時代における推理もの」
を書くことで、何とか発刊できたものだった。
なぜ、時代小説などはよかったのか、そこまでは分からないが、
「当局の目を盗む」
ということで、時代物はよかったのだろう。
ただ、一つ考えられることとして、
「時代劇というのは、今も昔も、勧善懲悪だ」
といえるのではないだろうか?
勧善懲悪というのは、
「善を勧め、悪を懲らしめる」
ということで、当時の戦争のスローガンと合っていたのかも知れない。
特に、
「アジアを、欧米列強の支配から解放し、アジアに植民地化されないような、新秩序を築く」
という、
「大東亜共栄圏の建設」
という大義名分があることは、当然のごとく、
「勧善懲悪だ」
と言っていいだろう。
そんな時代において、時代劇というと、
「水戸黄門」
であったり、
「当山の金さん」
さらに、
「鞍馬天狗」
などといった、勧善懲悪であり、さらに、正義のヒーローというものは、戦時では好まれたに違いない。
もちろん、一番ウケるものとすれば、戦争ものだろう。
それも、ドロドロとした戦争ものではなく、
「華々しく、敵をやっつけるものが、戦意を高揚し、国民感情を、一致団結させ、国家総動員を掛けるには、ちょうどいいプロパガンダになった」
ということであろう。
だから、戦争というものに敗戦して、占領下からの独立であったが、そんな時代でも、戦記物は好まれ、時代劇も子供にウケたりしたのだった。
そして、そんな中で、それまで廃刊とされてきた探偵小説であったり、新たな分野としての、ホラー、オカルトなどの、
「ゴシック小説」
であったり、
さらには、今までは、過去の時代劇ばかりだったものが、今度は、未来に思いを馳せるという、
「SF小説」
というのも出てきたのであった。
特にSF小説というのは、元々発想として、乏しいところがあったので、新興小説として、ウケたのかも知れない。
日本というのは、戦後の教育のせいもあるのか、
「大日本帝国というのは、アジア侵略を重ね、最後には、米英との戦争という無謀な道を選んだ」
ということで、
「弱小国が、世界の超大国に戦争を吹っかけて、それで、当然のごとく負けてしまった国だ」
という教えられ方をしてきた。
しかし、実際には、
「大日本帝国という国は、国防のために、大陸進出を行い、アジアを植民地化していた欧米諸国を刺激し、さらに、ヨーロッパの戦争に、アメリカ、ドイツの影響で巻き込まれる形になってしまった」
というのが、歴史の真相ではないだろうか?
そもそもの日本の脅威となっていて、仮想敵国として最初に想定していたのは、ロシアで、明治時代に、そのロシアとの戦争も起こり、結果として、勝つことができた。
「薄氷を踏む勝利」
であったというのは、紛れもない事実であったが、それでも、弱小である明治日本という国が、
「世界の超大国」
と言われたロシアに勝つことは、奇跡に近かったのだ。
ただ、それでも、当時の政治家と軍の力を結集し、勝利に導いた。そこがある意味、
「大日本帝国の、ピークだった」
といってもいいだろう。
そこで手に入れた、
「遼東半島から伸びる、満州鉄道の権益の死守」
ということと、当時の食糧問題などの、
「やんごとなき理由」
などによって、日本は、
「満州事変」
というものを引き起こした。
それにより、
「日本の言い分は、国際社会から否定され、結局孤立した日本は、自給自足の道を歩むしかなくなってきて、しかも、資源に乏しい日本は、海外の資源地帯に進出するしかないということに追い込まれ、戦争に突入を外圧で余儀なくされた」
ということになったのだ。
「誰が好き好んで、戦争などしたいというのか?」
というもので、
しかも、敵は、当時の超大国、アメリカ、イギリスである。
パッと考えただけで、
「勝ち目のない戦への突入」
ということになったのだ。
それでも、突入しなければいけなかったのは、
「日本には致命的に資源が少ない国だった」
ということで、日本が、北部仏印に進駐したことで、欧米が日本に対して、
「輸出禁止」
という、
「経済制裁」
に踏み切ったことが大きい。
「これは完全に日本にとっては、籠城戦であり、欧米からは、日本が、占領した地域を解放し、明治維新の状態に戻らない限り、経済制裁を解かない」
という、いわゆる、
「ハルノート」
と言われる、一種の戦争における、
「最後通牒」
なるものを提示されたことで、
「いよいよ戦時体制」
ということになってきたのだ。
その時、日本には、
「大東亜共栄圏の建設」
という大義名分があることで、戦争への突入に対して、国民の意思高揚と、士気の高さを植え付けることができた。
当時の日本では、
「中国の反日運動などによって、嫌がらせであったり、通州事件のような、大虐殺事件が起こったりと、日本人にとっては、
「中国許すまじ」
という状態だったこともあって、
「マスゴミが国民を煽った」
ということもあり、
「戦争を止めることは誰にもできなかったのだ」
と言えよう。
だから、歴史の授業などでは、
「軍の独断専行が戦争を招いた」
と言われるが、それは間違いだ。
逆に、軍も政府も、戦争には、むしろ消極的というか、冷静に戦争を考えた時、
「勝ち目はない」
と思っていたのだ。
当時の大日本帝国というのは、
「政府と軍」
というのは、それぞれで存在していた。
「政府の配下に軍がある」
というわけではなく、大日本帝国には、
「天皇の統帥権」
というものがあった。
つまり、
「国家の主権は天皇にあり、帝国陸海軍は、その天皇の直轄として、天皇が軍を統帥する」
ということであったのだ。
だから、政府といえども、軍のことには立ち入ることはできず、作戦も、漏洩を恐れ、知ることはできなかったというのが実情であった。
だから、陸軍大臣や海軍大臣といえども、彼らは一部の権利を軍に持っているだけにすぎず、軍の作戦などに対して、一切の口出しはできず、知ることもできなかったというのが、実情であった。
それが、結果として、政府と軍の足並みがそろわなかったことで、何度か戦争を辞める機会があったにも関わらず、やめることができなかったのだ。
v 元々、大東亜戦争を始めた時に、青写真があった。
というのも、
「戦争開始とともに、先制攻撃を行い、戦争を有利に進めることで、半年くらいの間に、占領地域を増やすことで、相手の戦意を挫き、反戦ムードが高まったところで、日本から講和に持ち込む」
というのが、大まかな作戦だったのだ。
「それが、唯一の勝利でしかない」
という、まるで日露戦争における、
「薄氷を踏む勝利」
をもう一度いばらの道として歩まなければならなかったのだ。
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