23 だっこです!


「すいません、ちょっと突然血の匂いがしたので、驚いてしまって」

「………気付かなかったわ。そう言えばカヤちゃん、ハナも良かったのよね……」



 師匠は少し顎を上げて目を閉じ、少ししてからそう言います。

 私の方を向いたその表情は驚き半分、関心半分といった様子です。



「もしかすると、例の人の痕跡かもしれないわ」

「はい、急ぎましょう。多分方向もわかるので、先導します」

「警戒は私がやるわ。カヤちゃんは、怪我しないようにだけ気を付けて」

「はい!」



 血の匂いが、男の子自身のものか、その他野生動物のものかはわかりませんが、腐臭ではないとなれば、新しい痕跡である可能性が高いです。

 楽しさに浸るのはおしまいにしましょう。

 少し駆け足で不安定な斜面を進みます。



「……多分、もうすぐそこです」

「ええ」



 私の呟きに、師匠は簡単な相槌で答えます。集中しているのでしょう。

 先ほどのやり取りの通りに、警戒は任せて歩き続けます。



「この辺りです。……随分、荒れてますね」

「気を付けてカヤちゃん。近くに生き物の気配は無いけど、なんだか不穏だわ」

「はい」



 平坦な地形。所々めくれ上がった地面。

 獣の足跡にしては、必要以上に荒れています。

 野生動物同士の縄張り争いの可能性もありますが、もっと別の可能性を、私たちは知っています。

 先ほどから鼻につく血の匂いも、かなり強くなっています。

 ソレの源に向けて、私は足を進めます。

 平坦な地形の切れ目、斜面際の……あの低木辺りでしょうか。



「……死骸、ですね。ツノイシで、しかも手付かずです」

「ふむ……死因は分かる?」

「はい。多分、刀傷です」

「なるほど、まずいことになったわね」



 何がまずいのかを聞く必要はないでしょう。

 ここまでの道中、獣の死骸が無かったわけではありません。

 私たちはツノイシの死骸が一つ、川沿いに埋められていたのを確認しています。

 あの埋められた死骸は、まず間違いなく、あの男の子の手によるものでした。


 それに比べて今回の死骸は、何かに食われたり、はぎ取られたり、埋められたりもしていない、完全に手付かずの死骸です。

 一度は埋められた死骸を確認している以上、男の子が意図的にこれを放置したとは考えにくく、傷口は奇麗ですから、野生動物の仕業とも思えません。


 だとすれば、可能性は一つ。

 男の子は、この死骸に手を付けなかったのではなく、手を付けられなかったのでしょう。

 おそらくは、死骸の後処理をするだけの余裕が無かったのです。



「師匠、他の痕跡を探しましょう」

「必要無いわ。こっちを見て」

「えっ? あ……」



 削られた地面、盛り上がった土、そして……斜面へと続く血痕。

 私は息を詰まらせて、斜面の方へ走り寄ります。

 ……薄暗くて、下は見えません、微かに見えたのは……所々、落ち葉のなくなった……何かが転がり落ちたような跡でした。



「急がないと!」

「待って!」



 地面に手を付いたところで、師匠に呼び止められます。

 どうして……いえ、当たり前です。日はもう随分斜めになって、斜面の底の方は見えなくなっています。

 今の私はあまり冷静ではありません。一度落ち着いて……



「カヤちゃん、突然だけど私と手、繋いでくれる?」

「えっ?」



 手をつなぐ?

 確かに師匠の手を握れば安心できますし、落ち着くこともできると思いますが……いえ、そういうわけではなさそうです。

 師匠の真面目な表情を見て、私は落ち着きを取り戻します。



「一気に降りるわ。尋常じゃない数の何かが近付いて来てる」

「っ、はい。ツノイシですか」



 差し出された師匠の手を取り、私は少しの疑問をぶつけます。



「わからない。けど、さっき調べた限り、ここは大きな獣道みたい。ツノイシは夜に移動するから、必ずここを通るでしょうね」

「なるほど、だったら……」

「ええ、今すぐここを離れて、ついでにあの男の子も探しに行きましょう」



 なるほど、降り始めれば、気を引き締めすぎて、まともに会話はできなくなるかもしれません。

 今のうちに作戦を共有してくれるあたり、やっぱり師匠は冷静です。



「わかりました……でも、降りるんだったら。手も使って降りた方がいいんじゃ……?」



 片手が不自由な状態で、お互いの重心を支え合うのは至難の業です。

 なにか特別な理由がないなら、それぞれ別れて降りた方が……



「それはね……よっと!」

「えっ?」



 突然、左手で引き寄せられ、師匠の目の前に立たされます。



「こうやって……よっこらしょい!!」

「ええっ!?」



 今度は背中とバックパックの間に腕を回され、そのまま抱きかかえられます!

 いわゆるだっこ。だっこです!

 私も結構大きくなりましたし、バックパックもありますし、右手には杖を持ったままなのに、余裕のだっこです!

 いやまあ、反射的にしがみついた私の協力もありますけど!



「し、師匠? 説明してください!」

「ごめんごめん、でも、もう行かなくちゃ」

「ええっ!?」



 抗議の声も虚しく、師匠が足を踏み出した感触が伝わります。

 私から見て後ろの斜面に、当たり前のように踏み込んで……

 いや、なにをするかはわかりますけど! なにするかはわかりますけど!!



「一気に下るわよ! しっかり捕まってて!!」

「許可くらい取ってください師匠おぉ!!」



 杖を握った、師匠の右腕が脇から抜かれ、咄嗟に師匠の肩を抱いてしまいます。

 そして全くの予想通りに……師匠と私は、斜面の下へと飛び込みました

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