16 プロローグ:ただの冒険者
「ああー、泣かないで。ほら、もう大丈夫だから。落ち着いて、何があったのか説明できる?」
女性はそう言ってしゃがみ、私の肩に手を乗せました。
その声色はとても優しく、手に触れていると安心できました。
涙が少し落ち着くと、私はなんとか言葉を発する事ができるようになりました。
「私、森にお母さんと一緒に住んでたんです……」
私は口を開き、女性の言う通り、話し始めました。
お母さんと一緒に、森の小屋に住んでいたこと。
朝起きると、お母さんが動かなくなっていたこと。
お医者さんを呼ぶために、家を飛び出したこと。
道を間違え、森に迷い込んでしまったこと。
異形に襲われ、必死で逃げたこと。
女性に救われたこと。
助かった安堵感と、どうしようも無い事実に気付いてしまったことによって、涙が止まらなくなってしまったこと。
最後の方になると、私は再び泣き出してしまっていました。
全てを話し終わった後は、ただひたすらに、女性に感謝を伝えました。
「なるほど……ね……」
女性は優しく相槌を打ちながら、話を最後まで聞いてくれました。
涙は止まり、女性に話したことで、心も落ち着きました。
すると、私の中に女性に対する申し訳なさが湧き出て来ました。
女性も、目的も無くここにいた訳では無いでしょう。
それが何なのかは分かりませんが、貴重な時間を私に使ってくれているのです。
そうで無くとも、危険を冒して私を異形から救ってくれたのです。
これ以上何をしてもらうのも厚かましいような、そんな思いが私の頭に浮かびました。
「本当に……ありがとうございました。私はもう大丈夫です……」
「……大丈夫じゃ無いでしょ? その足の怪我、歩くのも難しいんじゃない?」
「あっ……」
女性の言う通りでした。
靴の脱げてしまった左足の怪我は、私が思っているよりも酷かったようでした。
立ち上がるどころか、座り込んでいるだけでもズキズキと痛みました。
「それに、歩けたところで道もわからないんじゃ無かったの?」
「それは……その通りです」
女性は先程とは違い、少し厳しい声色でそう言いました。
私はそれ以上何も答えることが出来ず、俯いて、黙ってしまいました。
「ふーむ……」
少しの間、沈黙が流れた後、ふと、そんな声と共に、私の肩に何かが置かれました。
反射的に顔を上げると、女性が私の肩に手を置いているのだと気付きました。
そうして、私と目が合った瞬間、女性は柔らかい笑みを浮かべました。
「……私の助けが必要でしょう? 助けが必要なら頼りなさい。あなたは私に何をして欲しいの?」
「えっ……?」
女性は一呼吸してから口を開くと、再びとても優しい声色でそう言いました。
私の望みは何でしょう?
女性に何をして欲しいのでしょう?
私が女性に頼めることで、一番して欲しいことは、少し考えればすぐに思い浮かびました。
「なら……お願いします!私をキャンプまで連れて行ってください!」
私は声を張り、願いました。
お金はありませんでしたが、女性が私の家の場所を知っているはずもありません。
他の手段を取ろうにも、帰るにも、まずはこの森を出て、キャンプまで行かなければいけませんでした。
「うーん……」
しかし、女性は何やら目を閉じて、すこしうなりました。
間違った事を言ってしまったのでしょうか?
それとも、女性にもキャンプの場所が分からないのでしょうか?
「そうね。でも、もっとできる事はあるわ」
実際には、そのどちらも違いました。
「もっとできる事……?」
「例えば……」
私が女性の言葉を復唱すると、女性は私の左足に手を添え、杖を向けました。
「自然に漂う無垢なる魔力よ。彼の者に同化し、傷を癒せ」
私は、女性が何をしているのか分かりませんでした。
私は、ただぼんやりと、左足に微かな光が集まっていくのを眺めていました。
「ナルリア」
女性がそう呟くと、集まった光が弾けたような感覚の後、左足の痛みが引いていくのが分かりました。
「私の足を治してください。とかね」
「お医者さんなんですか!?」
私は思わず、治ったばかりの足で女性に詰め寄り、質問を投げかけました。
実際には左足も一瞬で完治した訳では無いようで、少しずきりとしましたが、その時の私にとっては重要なことではありませんでした。
「ああいや、確かに多少医学の心得はあるけど、お医者さんってほどじゃ無いの」
「あっ……そうですか……」
私は流石にそんなうまい話はないかと肩を落としました。
「でも、お医者さんの知り合いならキャンプに居るわ。ちょっと変わった人だけど、見た事もない奇病となれば、森の中にだって喜んで来てくれるでしょうね。それもタダで」
「本当ですか!?」
しかし、女性が口にしたのは、まさに私が求めている『うまい話』そのものでした。
「この辺りに大きなキャンプは一つしか無いから、貴方が目指してたのはその人がいる場所で間違いないはず。そこにたどり着けば、帰り道もわかるでしょう?私が送ってあげる。何だったら、帰り道の護衛だってしてあげてもいいわ」
「そこまで……どうしてそこまでしてくれるんですか?」
本当に、どうして初対面の私に、そこまでしてくれるのでしょうか?
そもそも、この女性は何者なのでしょうか?
ふと思い出したのは、昔、お母さんに聞かせてもらった騎士様の物語でした。
白銀に輝く鎧を全身にまとい、剣と盾を身につけた騎士様。
怪物の討伐に、遭難者の救助、壊れた馬車の荷物運びまで、困っている人がいれば誰であろうと助け、役目を終えれば白馬に乗って去っていく、銀騎士の物語。
しかし、目の前の女性は馬を引き連れているようには見えませんでしたし、鎧を身に付けているようにも見えませんでした。
どちらかと言えばかなり身軽そうでしたし、武器も盾や剣ではなく、杖一本でした。
「…………アサードジョーの牙の採集。あなたのおかげで依頼を達成出来たの。そのくらいの事はさせて頂戴。ギルドへの報告も急ぐわけじゃないし、この後の予定と被るところもあるしね……」
「依頼……? ギルド……?」
依頼にギルドと、聞き慣れませんが、どこかで聞いたことのあるような気のする単語。アサードジョーというのは、先程の異形の名前かと想像が付きましたが、疑問は解消されませんでした。
「あら、あなた、顔も怪我してるわね。ちょっと待ってね……自然に漂う無垢なる魔力よ……」
女性がそう言って私の頬に手を当て、呟いている間、私はぼんやりとしていました。
それほど、私の頭は疑問で一杯でした。
「あなたは一体……?」
女性が先程と同じく光を集め、頬に優しい感覚が訪れた時、疑問は口に出ていました。
「私は……ただの冒険者よ」
女性は、笑顔で私を見つめ、そう言いました。
冒険者。
昔聞いたことのあるような単語。
おそらくはお母さんが話していたのでしょう。
しかし、その言葉だけでは結局、どうして女性がここまでしてくれたのかは分かりませんでした。
「さあ行きましょう。手を出して。もう立てるはずよ?」
ただ、女性の手を握り、立ち上がった私は……
「冒険者……」
その日、確かに『冒険者』に憧れたんです。
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