灰のカーディガン
松柏
灰のカーディガン
「もうそろそろ行く場所は決めたの?」
別れたはずの彼女が何故かいまだにソファーに座っている。
「そろそろやめろよ、ここは俺の家だ」
「出ていけって言いたいの?」
迫力もなく、苦い顔をするわけでもない、いたって普通の顔で聞き返してくる。
「明日には出ようと思ってる、その間ずっとここで暮らす気じゃないよな?」
大学に進学したものの、なにをすべきかわからなくなった俺は、周りの胡散臭い話をあえて信じて自分探しにでも出てみようかと北海道へ旅行を企てた。
「誰もいないならいいじゃない、ありがたく使わせてもらうわ」
あまりにも軽くいうから、怒りどころか呆れてしまった。
「なんだよやっぱりその気なんじゃないか」
彼女はコーヒー片手にスマホを睨んでる、俺の言葉は聞こえてるはずなのにまるで届いてないように感じる。
ふと、彼女が何かを思い出したようでクローゼットを漁り始めた。
「そうそう、ちょっと待ってね確かここに入れたはずなのに」
話題を振ったのは彼女なのに何故か俺が待たされている。
「あったあったはいこれ」
クローゼットの奥底に仕舞われていたのが嘘だったかのようにとても綺麗な包み紙の何かを渡された。
「別れる前に渡そうとしたけどあの時は私も動揺してたからさ捨てるのもあれだし使ってよ」
包み紙を破らないように開けてみると中にはこれといった特徴のないごく普通のカーディガンだった。
「向こうはまだ冷えるでしょ?これ持っていきなよ」
彼女は4・5月の北海道をカーディガンなどという薄い羽織りで凌げると本気で思っているのだろうか
「ああ、まあ、ありがとうもらっておくよ」
「どういたしまして」
こういう返事や、彼女から出る育ちの良さのようなものは今でも嫌いじゃない。
準備を終えて朝を迎えた。
なんら問題ない時間に起きられたのに出かける前は妙にバタバタとしてしまう。
「あー行ってらっしゃいーお元気でー」
寝ぼけながら彼女が起きてきた。
「二日もしたら帰るからそれまでに出てってくれよ、鍵はポストに入れてくれ」
「はいはいわかったわかった」
まるで朝の会話じゃないがおはようもわざわざいう関係の中じゃない、少し冷たいようにも思ったがこんなものだろうとドアノブに手をかけた。
「うん…じゃあ、それじゃまた」
「それじゃあねー」
いつも通り気の抜けた挨拶だった。
余裕を持って空港に着くことができた。
搭乗まで三十分あまりあるのでコーヒを買いに行くことにした。
コーヒーショップと言えるほどでもないが列ができていたので並んだ、すぐに自分の番が回ってきた。
「カフェオレの甘くないやつを一つ」
「ミルクはどうなされますか?」
おかしなことを聞く店員だ。
「あの、カフェオレ…」
「アーモンドミルク、豆乳などありますが?」
食い気味に言葉を遮ってミルクの種類を説明してきた、わからない洒落すぎている。
「あ、普通のやつで…」
吃ってしまった、別に喋るのが苦手なわけじゃないのに、
ああ、これは後で気持ち悪がられていないか考えすぎるタイプの奴だ。
「9番でお待ちのお客様〜」
考えてしまうことを考えていたらいつのまにか出来上がっていた。
蓋のないタイプのカップで中身が見えていた。
「戻ろう…」
ターミナルに戻ってさっきのことを考えていたらまた、時間が過ぎて搭乗の時間になった。
指定席は窓際のKの7番だったのだが何故か先に女性が座っていた。何度も見返したが間違ってはいない。
「あの、すみませんそこ僕の席だと思うんですけど…」
目的は別にあるが楽しみにしていた旅行だ最初から揉めたくはない下手に下手に声をかけた。
「あれ、あれ、私窓際の席にしたはずなのに、あ、そっかこれ隣…すみませんすぐどきます」
しょんぼりしながらも席を空けてくれた揉めずに済んだがやけに心が痛い。
「あ、なんか、すみません」
「い、いえいえ、こちらこそすみませんでした」
お互い話せば話すほど負の言葉しか出てこない気がする。
キリがいいのでここでやめた、一番なにが引っ掛かるって俺自身は窓際にこだわりがない。
「あの、よかっ」
席を譲ろうかと悩み悩んだ挙句言葉を出したのにその瞬間機内アナウンスが流れた、隣の女性は俺が言葉を発したことにすら気づいていない、俺はそのまま北海道まで外を眺めてしまった。
北海道は寒かった。
到底カーディガンじゃやっていける寒さじゃない。
一応持ってきたが使うことはなかった。
前にテレビで見たラーメン屋やよくある観光名所をいくつか回ってみたが、寒さで楽しみきれなかったような気がする。
誰かといっしょに来るべきだったろうか。
「かえろう」
自分探しという特に目標もない旅行はあっけなく幕が下がった。
非日常を体験すれば何かが変わるのかもしれないと甘すぎる考えで外に出た、最初から楽しむつもりでこればよかった。
結果少し落ち込んで特に成果なくちょっと上手いラーメンを食べて帰っただけだった。
とんでもない遠回りで1200円相当の味を知ってしまった。
地元に着くと少し暖かったのでコートを脱いでカーディガンを着た。
「使い道あったな」
これから日常に戻るんだろう。先のことはもう少しゆっくり考えよう。
帰ると彼女はいなかった。カーディガンを着てるところを見られなくて良かった。少しほっとしている。
日常も日常通りではないか、まあ、そんなものだろう。
出て行く前に部屋を掃除して行ったのか少し出る前より片付いている。
「一人は一人で寂しいもんだな」
カーディガンの入っていた袋がくしゃくしゃに丸められてゴミ箱に捨てられていた。
まあ、そんなものだろうとカーディガンをクローゼットにしまった。
灰のカーディガン 松柏 @tndonald
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます