嫌いだった人に好きになってもらいたい
春内
第1話 許嫁解消
ファミリーレストラン、通称ファミレス。
学校が終わった放課後、私はそこにいた。
「もう許嫁やめないか」
真剣な顔でそう告げてきたのは親同士が決めた許嫁、桜井良である。
良とは保育園の頃からの付き合いで、仲も良かった。幼稚園も小学校も中学校も一緒だった。もちろん、高校だって一緒だ。
良は文武両道で女子からの人気も高く、何より困っている人がいたら手を差し伸べられる優しい性格。そんな彼の周りにはたくさんの友人がいる。
優しくて、人望があって、私が困っていたら真っ先に助けてくれて、笑った顔が子供みたいで、かわいくて。
私は良のことが好きだし、良だって私のことを想ってくれている。
そう、思っていたのに。
「もともと親同士が勝手に決めたことだし、口約束みたいなもんだろ?正式な書類も通してないって父さんから聞いたし、俺たちが許嫁でいる必要はないと思うんだ」
「ど、どうして、突然そんなこと…」
「いや、だってお前も好きでもない奴とこのままいったら結婚させられるんだぞ?そんなの嫌だろ」
好きでもない奴…。
良は、私のこと、好きじゃ、ない…。
「まあ、そういうことだから。これからはお互い許嫁じゃなくて、ただの幼なじみになろうぜ」
良は快活に、悪びれもなく笑う。私はその笑顔が大好きだけど、今は直視できない。
「お、お父さんたちにはなんて言ったら…」
「俺の両親にはもう言ってある。『当人同士が決めたことでもないのに勝手に決めんな』って一言いったら納得してくれた。絢香とも相談してから決めろって言われたから今日相談した。もし、絢香が両親に言いずらいなら俺が言ってやるから遠慮なく頼ってくれ」
紛うことなき親切心。だけど、相談しろと親から言われているのに、これではまるで報告だ。
許嫁をやめる。私もそれに賛同していると思われている。だから相談せずとも結果は決まっている。良の中では。
だけど、私は…っ!
「悪いな。こんな話をする為だけに時間とらせて。申し訳ないんだけど俺、これから用事あるから先に出るわ。金置いとくから払っといてくれ」
頭が重い。心臓がうるさい。汗が頬を伝う。
どうにか、良をこの場に引き止められるような話はないか、必死に考える。でも、思考が上手くまとまらない。
「そんじゃあな」
「……っ」
声すら、出ない。
余程急いでいたのか、いつもなら私の変化に気づいてくれたであろう良は、早足でファミレスを出ていった。
暫く呆然と良が出ていったドアを見つめて、視線をテーブルに移す。周りの人の声が妙に耳に響く。
次第に視界がぼやけて、雫がぽつりぽつり、とテーブルに落ちていく。
嗚咽が漏れそうなのを必死にこらえた。一瞬でも気を緩めてしまったら声を上げて泣いてしまいそうだった。
「泣いちゃうんだ。あんたも意外と女々しい奴だね」
ドカッと先程まで良が座っていた席に誰かが座る。聞き覚えのある挑発的なこの物言いに私は心当たりがあった。
「よっ、泣き虫さん」
目が合うと小馬鹿にするような笑みを浮かべた、大っ嫌いな女がいた。
「な、んで…」
「言っとくけど盗み聞きするつもりはなかったからね。あんたらが…ていうかあの男がでかい声で話してたのが悪い。それにわたしの方が先にここに来てたし」
どこか決まり悪そうにしながらもそう言い切った彼女の名前は羽川翠。肩まで伸びた黒髪を片方だけ耳にかけて、見えた耳には校則違反のピアスがいくつか付けられていた。
「な、に…笑いに、きたの…… 」
声が震えないように最大限努力はしているものの自分でも思うがなんとも情けない声を出していた。
羽川とは小学校からの腐れ縁で中、高と同じ学校に進学した。彼女とは、とにかく相性が悪い。いつも挑発的で捻くれ者で人を馬鹿にしたような言い方をよくしてくる。
私は端的に言えば彼女のことが嫌いだ。
いつも、いつも憎まれ口をたたいてくる彼女のことが理解できないし、自分のことを悪く言ってくる相手に対して好意的でい続けるなんて私には無理だ。普通に腹が立つし、関わりたくないと思う。
今の私は、彼女からしたら格好の的だ。何を言われるのかわからないが、これ以上醜態を晒さないよう、今も尚溢れてしまっている涙をそのままに彼女を睨みつける。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃん」
「…どっか、行って」
「えー、折角だしあんたの泣き顔、目に焼き付けさせてよ」
「泣いて、ない」
「声震えてるし、現在進行形で目から流れてる雫はわたしの幻覚か何か?」
売り言葉に買い言葉。
皮肉を交えた会話には慣れている。だけど、今はダメだ。
こんな顔、誰にも見られたくない。彼女の皮肉に怒りを覚えて、感情が昂って涙が余計に止まってくれない。
自分が情けなくて、恥ずかしくて、目の前の彼女が鬱陶しくて、めんどくさくて。
「まさかあの天童絢香が振られるとはね。ていうか許嫁って本当だったんだ。このご時世に許嫁なんて古すぎでしょ」
拳を作って強く握る。爪が、皮膚にくいこんで痛い。
「いつもは振る側だけど、振られる側になった気持ちはどう?」
眉が寄る。歯を食いしばって、胸の痛みを耐える。心臓に針が何回も何回も刺されているような痛みが続く。
振られた。
私は振られたんだ。
告白する前に振られてしまった。
それを自覚すると、もうダメだった。
涙がとめどなく流れてきた。
我慢も限界がきて、溜まっていた感情は制御できなくなってしまった。
情けない、悔しい、恥ずかしい。
俯いて、せめて彼女から顔が見えないようにする。
「…〜〜っ!あぁ、もう!」
突然大きな声をあげたかと思えば、彼女は制服の上から着ていた、グレーのパーカーを私の頭から被せてきた。
「それ、貸したげるから被ってて。わたしに泣き顔、目に焼き付けられたくなければ言う通りにしてよ」
彼女の言う通りにするのは癪だったけど、泣き顔を見られるのもやっぱり嫌で、私は彼女のパーカーを羽織って、フードーを深く被った。
彼女のパーカーからは柑橘系のさっぱりした爽やかな匂いがした。
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