・総力戦:オーリオーンの闇計画 - 欲深き円環 -

・パルヴァス


 その日、俺はエメラルドの石柱輝くポータルに立っていた。

 オーリオーンの闇計画の第一段階、アルバレア自由主義連邦国との同盟締結を支援するために、外交使節に加わることになった。


 幸運の根源であるパルヴァス・レイクナスをオルヴァールの外に出すことをミルディンさんは渋ったが、ファフナさんの後押しで願いが叶うことになった。


 これから世界の命運を塗り替える計画が始動する。

 いくら戦えないからといって、安全なオルヴァールに引きこもっているのは堪えられなかった。


「常々、もっとわがままを言ってほしいとは思っていました……。ですが……困ったものですね……」

「そう心配するな、ミルディン殿。いざとなったら番犬である俺が大将を守る」

「君は狼だよ」


 俺の足下で耳をかく狼の後ろに回って、代わりにかいてあげた。


「うむ、そして大将はレイクナス王国の元王太子。外交使節に加えない理由はない」

「そうっすよ。それにこの作戦が失敗してザナーム騎士団が半壊したら、それこそ緩やかな世界の終わりっす」


 ポータルが、美しいエメラルドの石柱が輝きだした。

 俺、シルバ、ミルディンさん、カチューシャさん、それぞれが石柱の前に集まって、見送りのみんなに手を振った。


「行ってきます……。ガルガンチュア、不在の間、よろしくお願いいたします……」

「わふっ、パンタグリュエルに伝えておこう! 気を付けて行くのじゃよ、愛弟子よ」

「うんっ、全部コギ仙人のおかげだよ!」


「軽蔑して止みませんが、効果はありました。私のファフナに、あんなことをさせるなんて……いつか報いを受けさせます」

「ワヒョヒョヒョヒョ!! ……冗談じゃろ?」


 ミルディンさんが首を切るようなジェスチャーをすると、美しいオルヴァールが消えた。

 世界がオルヴァールの夜のように暗くなり、それがしばらく続いた。


 世界が正常な状態に戻ったのは、それから1分ほどが経った後だった。

 俺たちはいつの間にか昼の太陽の下にいた。


 幽閉生活の中で憧れて止まなかった高い青空、銀色の輝く雲、草木の香りの混じる湿った風を感じた。


「では参りましょうか、アルバレア連邦議会に」


 そこは人気のない林道だった。

 林道を抜けるとそこは大通りで、立ち並ぶ店や露店の彼方にお城がそびえていた。


 王族が排斥された後も政府の中枢施設は変わらなかったのだと、ミルディンさんが語ってくれた。


「少し、浮いていますね、私……」

「大丈夫っす、そこはミルディン殿だけではないっす」

「長耳の女に、盾と槍の巨女、品のいい美少年に、灰色狼。誰から見ても奇妙だろう」

「喋らないって約束だったでしょ、シルバ」


「わんわんっ」


 俺たちは街の人たちの注目を一身に浴びながら、お城に続く大通りを進んだ。

 王様がいなくなっても、門衛さんは仕事を首になったりしないようだった。


「ミルディン様ですね、議長たちが中でお待ちです、どうぞこちらへ」


 門衛の人にお城の中に通された。

 俺とシルバの姿になぜか驚いていたようだけど、それ意外はあっさりとしていた。


「謁見の間……?」

「今は応接間です」


 応接間には人が4人いた。

 お爺さんと、お婆さんと、初老のおじさんと、線の細い紳士が真剣に何かを話し合っていた。


「議長、ミルディン様をお連れしました」

「ミルディン……? 誰だね? 今日は他に会談の予定などなかったはずだが……」


 お爺さんは不思議そうにそう言った。

 お婆さんはこちらに疑いの目を向け、おじさんは書類を確認した。

 紳士だけが落ち着き払っていた。


「ミルディン様ですよ、ほら、あの――ええと……ど忘れしてしまいましたが、あのミルディン様です!」


 門衛さんの様子がどうもおかしい。

 ミルディンさんはそれを気にも止めずに前に出た。


「私はミルディン。ザナーム騎士団の副団長兼参謀のミルディンと申します」


 え、まさか、これ……。

 アポイントメント……取って、ない……?


「騎士や傭兵には見えないが……しかし、その耳は、もしや……」

「ええ、見たところ彼女は神族のようです」


 お爺さんの疑問に紳士が答えた。

 その紳士は来賓のようだ。

 黒檀の長テーブルの端にぽつんと独りで座っていた。


「申し訳ありませんわ、ナーイさん。何かの手違いのようですわ」

「なかなか面白いダジャレですね、レディ」


「……は?」


 来賓のナーイさんが席を立ち、何を思ったのかミルディンの前に立った。

 頬の痩せこけた40代ほどの紳士が、唇に手を当ててミルディンさんを観察した。


「もしや、貴女きじょがギュゲスですか?」

「いえ、初めて聞く名詞です。ギュゲスとは……?」


「……ええ、我々にもその問いの答えがわかりませんでしたが、つい先ほど、氷塊いたしました。ギュゲスの正体は貴女ですね」


 この紳士、何を言っているのだろう……。

 お婆さんはこの人を気に入っているようだけど、なんだか不気味に感じてきた。


「すみません、イミフです」

「もしや、そちらにいるのは――パルヴァス・レイクナス王子ですか?」

「……えっ?!」


 急に怖くなって後ずさった。

 そうするとすぐに前に出てくれるシルバとカチューシャさんが頼もしく前に出てくれた。


 ミルディンさんもすぐに俺の隣に下がって、この奇妙な紳士を警戒した。

 何か、非人間的な何かを感じさせる、得体の知れない表情をする人だ……。


「なるほど、なるほど……これは困りましたね……」

「ダリウス議長、この紳士は何者でしょうか……? なぜ、いまだ孤立状態にある国レイクナスの、元王太子の名を知っているのでしょうか……?」


 向こうからすると、アポなしで押し掛けてきたそっちこそ何者だ、という状況だ。

 お爺さんとお婆さんとおじさんは顔を寄せて、こそこそと話し合いを始めた。


 そしてふいにお爺さんとおじさん席を立ち、壁際まで寄るとそこにあった剣を取る。

 まさかその剣で、俺たちを襲うつもりなのではないかと焦った。


「ハポナ夫人、貴女とのひとときは掛け替えのない時間だった」

「ああ、ナーイ……残念だわ……」


 お婆さんとナーイさんは恋人……?

 でも歳が離れているように見えるけど……。


「交渉は決裂のようだね、ダリウス議長。今後の参考に、なぜ私にその剣を向けるのか、教えてはくれまいか?」

「我々アルバレアは、自由主義連邦は、円環との契約をひた隠しにした王朝を、粛正して生まれた政府だ」


 王族の粛正。

 元王子からすれば、背中が凍るような恐ろしい言葉だった。

 ヘリートのことが心配になった……。


「だがね、議長。生き残るためには、これが最前とは思わないかね? ニンゲンの言葉で言うところの『背に腹は変えられない』状況ではないか?」


 まるで自分が人間ではないような言い方だ。

 交渉が決裂したというのに、紳士はどこか機嫌がよかった。


「欲深き円環……」


 ミルディンさんがそうつぶやいた。

 その言葉は議長たち三人を凍り付かせ、カチューシャさんに緊張を、シルバにうなり声を上げさせた。


「貴方が欲深き円環なのですか……?」


 続けてミルディンさんは聞いた。

 言葉は落ち着いていても、ミルディンさんの顔には鋭い敵意があった。


「そう言うそちらは、ギュゲスで間違いないようだ。……しかし、奇妙だ。なぜ君たちが、人間の味方をするのだね?」


「貴方が人間を骨の髄までしゃぶり尽くした後に、私たちが貴方のカモにされるからです」

「ああ、私の交渉術ならそれもあり得るかも知れない。……うん、遅かれ遠かれ、そうなるだろう」


 これが俺たちの敵……?

 これが俺たちが魔王と恐れた最悪の存在……?

 不気味だけど、あまりにちっぽけだ……。


「私はね、私たちはビジネスをしているだけなのだよ。私たちは代償相応の恩恵を与えているはずだ。それを踏み倒そうとする人間たちこそ、真の不法者ではないかね?」


 攻撃するつもりなのか、カチューシャさんが流し目でミルディンさんを見た。

 ミルディンさんは静かにそれにうなづいた。


「ムダかとは思いますが、排除する他にないでしょう。どうでしょうか、ダリウス議長?」

「我々は欲深き円環には屈せん。我々は贄にされるために生まれたのではない。交渉は決裂だ!」


「お別れの時間のようだ。さようなら、ハポナ夫人、楽しかった……」

「ああ……ナーイ……貴方が敵でなかったら……」


「私を殺せばエーテル体の大襲撃が始まる。猶予は約二日といったところか。私は円環を構成する一部であるが、私個人が存在すると仮定した上で、あえて言うなれば――」


 二本の剣と一本の槍が紳士ナーイを襲った。

 彼はそれを避けようとしなかった。

 死をまったく恐れていなかった。


「君たちの勝利を願わん」


 俺たちは円環を構成する一部を倒した。

 その円環の一部は、円環の役目を否定して散っていった。


 何から何まで、奇妙な人だった。


「これは私の仮説ですが……彼は契約を取り付けるための、人間に近い個体だったのでしょう……。円環を構成する、末端の営業マンといったところでしょうか……。まあ、私の勝手な推測ですが……」


 ただ一つ確かなことがあるとすれば、大襲撃のトリガーを引いてしまったということだ。


 猶予は二日。ナーイさんが最期に教えてくれた貴重なアドバイスだった。

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