・スケベして下さいと言われても
それからしばらく途方に暮れた。
通りのベンチに腰掛けて、エメラルドの殻に覆われた空を見上げながら呆然とした。
ファフナさんは宿屋の一等室に滞在している。
そこにうかつに戻れば、どんな事態を招くかもわからない。
だって彼女はこれから死の作戦に挑むのだから。
そうなれば是が非でも、狙った相手との卵を残そうとするだろう……。
「はぁぁぁぁぁぁぁ…………」
「大きいため息だ。よし、俺様が偵察してこよう!」
「いいの……?」
「俺様の足ならすぐそこだ」
シルバは行動が素早い。
狼は銀色の風となって通りの彼方に消えた。
「オルヴァールにようこそ、パルヴァス王子!」
それからしばらくほうけていると、いきなり大きな声で挨拶された。
それは気さくそうな神族の青年だった。
「あ、これはご丁寧に……!」
「あの空が気になりますか? 造られた世界とはいえ、美しいものでしょう? どうぞご満喫下さい! それでは!」
爽やかな笑顔を残して彼は去っていった。
せっかちな性格なのか、道行く人をカツカツと早足で追い抜きながら。
「おお、人間ニャ」
そんな後ろ姿を見送っていると、今度は獣人族に声をかけられた。
「人間ってあんまり神族と変わらないんだニャー」
白い長毛が朝日に輝く神秘的な猫人さんだった。
「こんにちは、獣人さん」
「はい、おこんにちわニャン」
「凄く綺麗な毛並みだね。まるで――ワッ?!」
粗いヤスリのような舌で頬を舐められた。
家猫とは比較にならないほどに大きな舌だった。
「ニャハハハッ、シルバに聞いた通りのしょっぱい味ニャ! 人間は塩分取り過ぎじゃないかニャー?」
「か、勘弁してよ……」
舐められたところがヒリヒリする。
「またニャー! また見かけたら体調確認してあげるニャ!」
太くて長い尻尾をゆっくりと揺らしながら、猫人さんが去っていった。
その声は中性的で、男なのか女なのかどっちなのか、よくわからなかった。
「これあげるー、シルバと一緒に食べなよー」
さらにその後、妖精族の女の子にサクランボウをいただいた。
「え、いいんですか……?」
彼らは20センチくらいの背丈で、それが小さな籠を両手に吊して宙に浮遊していた。
「この前背中に乗せてもらったお礼だよー! よろしく言っといてねー、少年」
「ありがとう、早速いただくよ」
オルヴァールで栽培されている物だろうか。
不気味なほどに赤黒く熟したそのサクランボウは、雄羊宮で食べていた物よりもずっと、甘酸っぱくて爽やかだった。
それにしてもシルバのやつ、いつからここに出入りしていたのだろう。
さっきの猫人さんの言葉からしても、最近知り合ったって感じではない。
「戻ったぞ、大将!」
「あ、お帰り。これ、妖精の女の子からシルバにだって」
「果樹園のアイツか」
「あと、よろしくって」
「真面目か、大将」
シルバは後ろに下がって石畳に座った。
そして鼻息を粗くしながら、さあそれを投げてくれと身構える。
俺はシルバの頭上に、ヘタを取ったサクランボウを投げ与えた。
「……んんっ、美味い! やはりここの食べ物はどれもこれも美味いなっ!」
「俺もそう思う。……それで、
「おお、喜べ、今日は夜まで帰ってこないぞ」
「本当!? よかった……。あ、いや、よくないんだけど、まあ今日のところは……」
もらったサクランボウは4つ。
残りの2つは全部シルバにあげた。
「まずは大将が自分で考えることだ。具体的にどうスケベして姉御を助けるか、大将が決めるんだ」
気が進まない……。
進まないけど、ファフナさんが死の作戦に挑む前にどうにか助けになりたい。
「そう焦るな、大将。どっちにしろミルディン殿から、スケベでパワーアップ計画がファフナの姉御に伝えられる」
「う……っ?!」
「……ん、どうした? 顔が青いぞ?」
「だったらそれまでにっ、具体的にどうするかっ、決めておかなきゃけないってことじゃないかっ!?」
そう叫ぶと、シルバはクルリと回って一声吠えた。
「開き直れ、大将。これは堂々とスケベするチャンスだ」
「それができたら最初から開き直ってるよっ!!」
「ははは、人間とは難儀なものだ! さあ帰ろう、大将!!」
楽しそうに跳ね回る灰色狼と、宿屋コルヌコピアまで一緒に駆けた。
外の世界で自由に散歩できる。
それが俺たちにはただただ嬉しかった。
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