【アップ】2023年10月1日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
天川裕司
【アップ】2023年10月1日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
【本日の礼拝メッセージ】
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前奏
招詞 イザヤ書55章8~11節
頌 栄 たたえよ、主の民[こ改25]
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
子どもと親のカテキズム問55
「祈りの恵み」
こどもさんびか
あいの主イエスは[改124(4節)]
牧 会 祈祷
讃 美 歌 20番
聖書
使徒言行録17章30~34節(新約P249)
詩編1編1~6節(旧約P835)
説 教
「この一人の方によって~幸いな道への招き」
宮武輝彦
祈 祷
讃 美 歌 518番
使 徒 信条
聖餐式
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 542番
祝 祷
報 告
讃美歌~♬
【讃美歌全曲マラソン】讃美歌20番 礼拝 讃美(主をほめよ、わがこころ)
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=kH9WDOpqsTQ
主にありてぞ 讃美歌21 518番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=AZRDnA8NUS8
(讃美歌の歌詞はブログの方より閲覧できます)
2023年10月1日 礼拝説教 中心聖句
それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。
使徒言行録17章31節
いかに幸いなことか 神に逆らう者のは計らいに従って歩まず 罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず
詩編 1編1節
はじめに
いろいろな試練に悩むとき、より頼むべきは、人の哲学か、真の信仰か。
1
「さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます」と、使徒パウロは、神の命じているところを明らかにする。「無知な時代」とは、哲学的知識において誇り高いアテネ(アテナイ)の人たちからすれば、「何を指して言っているのか」と心探られる言葉。先に「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えて造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません」と諭したように、目に見える偶像の存続そのものを、神の許容とする。しかし、ユダヤ人のみならず、ギリシャ人も、「どこにいる人でも」「今は皆悔い改める」ようにと、神が命じておられる。「悔い改め」る時、わたしたちは、神の悲しまれる罪を自覚し、「清い心求め」、(詩編51編12節)、「生涯の日を正しく数える」(詩編90編12節)ことを求めて祈る。ガリラヤの地で叫ばれた、悔い改めは、すべての人への招き(マタイ3,4章)。
2
「それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです」と、使徒パウロは、「一人の方」、イエス・キリストによる裁きの日を告げる。さらに「神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになった」と告げる。「死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来る」(コリント一15章21節、ローマ5章12,15,19節)。「主は乏しい人の右に立ち 死に定められる裁き[死罪にさだめようとする者、死を宣告する者たち]から救ってくださいます」(詩編109編31節)と告白されるように、主なる神は、貧しい者、弱い者を正しく弁護してくださるまことの権威者。不当な死罪から救われる。じつに、神は、御子を不当な死罪から救われた。神は、ご自身の憐れみのゆえに、ご自身の裁き(義)ゆえの死を、独り子(御子)に負わせられた「わたしたちの贖い主」(63章16節)。「あなたはわたしたちの父」と告白される神こそ、御子をこの世に遣わされた、まことの神。すべての人は、御子において、このお方を求めて祈る民(神の教会と聖徒の交わり)の一人とされることへと招かれている。「アッバ、父よ」と叫ぶ「御子の霊」を、「わたしたちの心に」、「キリストを死者の中から復活させた父である神」が与えてくださる(ガラテヤ1章1節,4章6節)。
3
「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った」。当時、死後の世界について「死は無であり、永遠の眠り」と信じられ、墓石にも「私はいなかった、私はいない、私は心配しない」と略語(n.f.n.s.n.c.)を刻んだ。「それで、パウロはその場を立ち去った」。「しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた」。アテネ伝道において、「主」は、ご自身の一つの枝、教会を与えられた。
おわりに・詩編第一編は、幸いな道への招き。それは、「主に知られている人」たちの「集い」とその祝福を明らかにする。御子の命において、神を知る道を求めたい。
(Mynote)
二〇二三年一〇月一日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『子供と親のカテキズム 問五五』
「恵みを与える方法としての祈りとはなんですか」
「イエス様は、祈り求める者に聖霊を与える事を約束されました。復活のイエス様は、特に祈りによって、聖霊に於いて私達と共に居て下さいます。ですから、いつでもどこでも祈りながら御国への道を歩んで行きます」
イエス様も天の父なる神様に祈って居られた。主の祈りの内容を引用して居た。
(公同礼拝)
『使徒行伝』(第一七章三〇〜三四節)
『詩篇』(第一篇一〜六節)
この『詩篇』の箇所にある「悪しき者はそうではない、風の吹き去るもみ殻の様だ」とは、世情や周りの人間に流されて、いつも右往左往しながら神様への道をそれでも歩まず、やがて無頼ながら頼り無さを知り、滅びの道に至る様にすら想えてしまう。
全ての人はこの地上に誕生させられ、やがて老いて行き、死への不安・恐怖・苦しみに苛まれて行く。この事を周りの人達の人生を見ながら既に知って居る為、「人も自分もやがてそう成りこの世を去る事」を知らされて居る。それ故の不安・恐怖に先ず苛まれて居る存在と言って良い。或る人はこの事を「この世で神様から人に与えられた試練」と呼び、また或る人は「神様の恵みがその人に現れる恵みの印」と呼ぶ事もある。
死と言うのは、人が自ら編み出した(神様の教えに背いて欲望を通した事による)罪の産物である。人は罪を犯したから、神様に依るその人の生(せい)に死が定められたのである。
この上で人は、この地上で様々な思想をまた編み出して、哲学や人生学、啓発、スピリチュアル学、占い等を作り出し、凡ゆる場所・境遇から救われる法を求め始めた。これを「人間による無知な時代」とパウロは言う。高学の人ならこんな「無知」であると自分が言われたらきっと怒り出すだろうか。それも傲慢の為す業に在り、罪に在り、その罪は「真実の神様を知らない事」が先ず挙げられる。その上で正しい信仰に歩まず与らず、人間の範囲でのみ「自分は知識も知恵も得た」と唯ひたすら傲慢に縋って安心しようとするその姿を指す。虚しい神々を拝み続ける人々に対し、「動かない木や石で造った物をひたすら拝み続ける人達」と聖書は教える。その木や石で造った像である神々は、そこから動かず人を教えたり助けたりはしない。固より罪人である人々が正しい信仰に依らず、神様から離れて造った物達である為、人の力を超えないからだ。罪から生まれた物は罪に在る。
人は本来、自分の中に在る罪を示されたら示される程、自力ではどうしようも無い事を思い知らされる。人の罪は信仰に依る悔い改めと、神様の聖霊の働きに依ってしか救われないからである。その罪を人はよく自力で解決しようとし、自分から死が逃げて解消されるとまで錯覚し、邪教に依り自分達人間が救われると信じる事に又罪がある。詰り神様から離れて教えを乞い、その邪教に救いを求める以上、罪の道・所謂る滅びの道から逃れる事が出来ないのである。ここに、神様が本来人に与えた心の純粋・柔軟が必要に成る。
人にとって生来の知識の目的は「唯一誠の神様の真実を知る事」に在る。人が生来持つ罪の悔い改めとその救いは、イエス様の存在に依り全て解決される事になり、そのイエス様が三日目に救われた事に依り、死に定められた全ての人の「罪から神様の恵みへの復活が約束された事」を知らねば成らない。
初めから堕落した人の罪の救いは、神様の真実を先ず知る事に始まり、イエス様が復活された事に依る「罪人が清められ信仰に依り救われる事」を知り、その上で全ての人はこのイエス様の十字架での死を常に体の内と外に纏い続けて居る事、詰り神様が人の為に用意して下さったこの恵みに気付き、完全なる正義である神様の御前で「自分の何足るか」を知る事に繋がる。
唯一誠の神様を知る事は、そのまま生きる事に繋がる。イエス様の幹に繋がる事は罪から救われ豊かな信仰の実を結び、永遠の救いに在る命の栄えに繋がるのである。ここに全ての人にとっての、永遠に変わらぬ命の根本の喜びが在る。
しかし多くの人は、イエス様の甦りを聞いた時に信じられず、嘲笑い、或る人達は「この事については、何れ又聞く事にする」とそれでも人間の常識で物事を感じ考え、自分達の正体をその時だけは考えようとせず、飽くまで地上で全てを納得しようと試みる。これは神様の事を考えないのと同じに在り、人が自分について考えない姿に同じだ。人が皆「自分が何処から生まれて来たか?」を考える時、誰もそれについて一から説明出来ない。自分達を今生かしてくれる自然・資源の存在理由、宇宙が誰に依り何処から生まれたかも知らず儘、その頼り無い虚しい人間に留まり、気休めの教えに留まって居る。「死ねば全てが終わり」「この世を去ればもう感覚は無いから楽だ…」「輪廻転生するから大丈夫…」この様なまやかしにより自分を誤魔化し落ち着こうとして居る。これもそう信じる事に在り、分からない(解らない)で終わるもの。だからこそ人には真実が必要であり、その真実を見極める力が必要であり、神様が与えられたその命が救われる切っ掛け・真実の教えが必要に成る。その真実の教えがキリストの真実に在り、これは神様と自分との一対一の関係に依り(信仰に依り)、神様から聖霊を通して気付かされ、教えられる以外に法は無い。初めから罪人であり限りの有る人が、自力でその真実を見極め知る事は無理に在る。その事に気付かされる上で自分の何足るかを知り、先ず神様の御前で自分の信仰を改めて見(反省して悔い改めて)、神様と自分(人)との生来・本来の在り方から学び知らねば成らないのだ。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
榎本保郎牧師 ミニ説教23 「心の貧しい人」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=ov7YHt4DAzM
「恐れずに歩む:詩篇からの力強いメッセージ」
THE DAILY with Arthur Hollands 2023/10/05
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=b00eMhI0qcY
イエス・キリストの生涯をたどる旅・2
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=tzfLoBiw_zA
(お暇な時にぜひどうぞ)
【アップ】2023年10月1日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります 天川裕司 @tenkawayuji
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